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第四節

 三森さんに対する嫌悪感がわずかに拭えた出来事があったのは、彼女と会ってから二週間経った頃。


 土曜の十二時に二階へあがると、三森さんはペンを片手にメモ帳とにらめっこしていたが、こちらを向くなりパァ、と顔を輝かせた。子供じみたテンションに、僕のアンテナが嫌な予感をキャッチする。


 「お前を待っていたんだ!」


 「いやおひとりで行ってください」


 「飯を食いに行くぞ!」


 「どこに」


 興奮しきった調子の彼女は、僕の疑問に応えることなく、乱暴に僕の手を取った。


 「え? ちょ、待って! 転ぶ転ぶ転ぶ転ぶ!」


 「全く、だから今時の若い人は体力が落ちているといわれるのだよ。しゃきっとしろ」


 「ひっぱらないでください! あんたも若いだろ絶対!」


 階段を一気に駆け下りたおかげで思い切り段の角にかかとをぶつけ、そら痛い思いを味わう。見れば、三森さんは今までに見たことがないほどの笑みをこぼしている。


 必死に転がらないように下り、僕らは廃墟の外へと飛び出した。





 ついたのは、なんてことない、隣の農家。


 彼女は僕の手首を強く握ったまま、その裏に回った。


 二階建ての、苔の生えた木造建築。一階の大きな窓は開かれ、そこからカーテンが冬の風に揺らめいている。


 部屋の中には木材の机と長椅子があった。上にはホカホカと湯気を立てたつけ麺の汁。


 「あらあら~君が小説のアシスタントの京介君ね~」


 そこから顔を出したのは、六十代くらいのお婆ちゃん。昔の良き大家という風格の、ふっくらとした、抹茶色の着物をまとっている。しかし農作業しているためか、手の皮は分厚かった。


 ぱっと離される三森さんの手。その時始めて僕は彼女と手をつないでいたことに気付く。今になってドキドキする心臓。それどころではなかったので、完全に感触なんて覚えていない。嫌いな人であろうとも、ドキドキしてしまうのは男の性か。悲しくなる。


 ちらりと三森さんを盗み見るも、彼女は平然とした態度のままだった。何か、自分だけ動揺しているようでかっこ悪い。


 お婆ちゃんは間瀬と名乗った。


 「あ、アシスタント? 一体何の――」


 「ええ。とても優秀ですよ。頭も切れるし、小説の相談に乗ってくれますから」


 いつそんなことしたよ。


 僕の言葉を遮り、三森さんは言い切った。じろりと見るが、三森さんは首をすくめるだけだった。文句の一つでも言ってやりたかったが、間瀬さんの手前、粗相はできない。


 「いつもありがとうございます。お婆ちゃん」


 席に座り、うどんをすする間、三森さんは視線をぴんと伸ばし一礼する。いつもの高慢な態度ではない、真摯な女子生徒。……え? 誰?


 「いやいや~三森ちゃんに栄養あるもの食べさせないとねぇ。若いのにチョコだけじゃ体持たないわよ」


 上品にお礼する三森さんに、間瀬さんはコロコロと冷やかした。どうやら間瀬さんはチョコしか食べない食生活を心配し、土曜日に三森さんのご飯を作ってくれているらしい。


 「どうせ貴方のことだ、アシスタント君を振りまわしてたりするんじゃないの~」


 「別に大丈夫だよな。京介」


 「階段駆け下りるときに足をぶつけました」


 「……それは君が貧弱体質だからだろう」


 まあ引っ張ったのは悪かったが、と口をとがらせそっぽを向く彼女は、そのままうどんのお代わりを要求する。


 間瀬さんのうどんはとてもおいしかった。コシがあり、濃くも薄くもない絶妙な昆布の風味。一度食べたら癖になる、まろやかな味だ。まるでレストランのようなクオリティだ。


 「うん。やっぱりお婆ちゃんの手料理ほどうまいものはないよ」


 三森さんは遠慮せずバクバク食べている。あっという間に重ねられる数枚の空の皿。少しは遠慮しろよ、と突っ込みたくなるほどに豪快な食いっぷりに、間瀬さんも嬉しそうだ。


 「またまた~お世辞が上手なんだから」


 「私は世辞を言わない主義です。とても美味だと思う」


 口元に手を当てて褒めたたえる姿に、間瀬さんは破顔する。……こうして見ると、三森さんは普通に可憐なんだけれど。


 切れ長の瞳が満足げに細められるのを見ていると、不意に目があった。


 「盗み見するとは趣味が悪いな。いくら私が美少女だといっても感心しない行為だ」


 「その自己評価の高さは度が過ぎると顰蹙買いますよ」





 結局三森さんは八杯お代わりし、片付けもせずに自室へ戻ってしまった。こんな大食いなのに毎日チョコレート一枚で足りているのか?


 「全く、片付けていかないのですか……」


 うまかったぞ、と言った時には颯爽と姿を消した三森さんに一人愚痴りながら、僕は真野さんと一緒に皿洗いをしていた。


 「まあまあ。いつも貴方がいない時は一緒にしてくれるんだけどね。あの子猫だから」


 ジャボジャボと水音の合間を縫って、間瀬さんがなだめる。姉貴も同じことを言っていたな。


 「わかります。自由気ままって感じがしますし」


 ああいう人って人生楽しんでいるんだろうな、とは思う。


 「だけど、嫌いにならないであげてね。あの子ああ見えて優しいのよ」


 「……少なくとも僕はそう思えません」


 脅迫してきたし。なのに姉貴も間瀬さんも三森さんのことは優しいという。……どうしてかはさっぱり分からない。


 「大体変じゃないですか。廃墟に住み着いているようで。言動も奇妙ですし」


 「それは分かる。最初はびっくりしたもん。廃墟にへんな人がいるーて」


 温和に笑う間瀬さんは、皿をしゃこしゃこと手洗いしながらうなずいた。


 「数ヶ月前、私神社の帰りに転んだのよ。石段から転げ落ちて」


 「……それは、お気の毒に」


 近くの神社は石段が不安定に重なっているだけだ。高齢者が転倒することは少なくない。僕でさえ以前こけそうになったほどだ。


 「だけどね、三森ちゃんが私をここまでおぶって行ってくれたのよ。あの子折れちゃいそうなほど華奢なのにねぇ。大丈夫って言っても、老婆一人にできないって。それだけじゃないわ、足が治るまで畑の面倒も素人なりにしてくれたり、たまに様子を見に来てくれたり」


意外だ。あの人の唯我独尊ぶりを見てる限り、人に優しくなんて想像できない。


 「他にも彼女、地域ボランティアにも参加したり、いじめっ子を庇ったり、迷子の子と一緒に親を探してあげたり。いい子なんだけどねぇ、それをあまり表に出したがらないのよ」


 間瀬さんがぼけて、三森さんと別の人を混同していないだろうかと疑いたくなった。


 「そう言うことだから、まあ、できれば彼女を見捨てないであげてね? アシスタント君」


 「別に、嫌とは言っていませんから」


 脅迫とか悪ぶっている割には慈愛に充ち溢れている人だと知り、少しだけ親近感を抱いてしまうのは、自分が甘いからか。



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