第三十二節
「はぁ。またあいつに色々気づかされてしまったな」
病室。
京介の暖かい体の感触を何度もリフレインさせながら、私は布団に体をうずめ、のんびりと空を見上げていた。そろそろ闇の帳が支配しようとする空。いつもだったら憂鬱になるはずのとこしえの闇。しかし、不思議と今の心持は穏やかだ。
私は必ず病気から生還する。確率は限りなく低いだろう。だけど、まず心持で負けたら何もできない。
最初、私は死んでいいと思っていた。別に私の命如き消えたってこの世の中は何も変わらない。むしろ、両親は邪魔ものが消えて良かったと思うだろうし。
だけど、いつからだろう。
京介に会い、全てが変わった。
生に執着し、友人の大切さに気付いた。自分には価値なんてないのは知っている。しかし、死んだら悲しんで、泣いてくれる奴らがいる。
泣かせたくない。
生きて、また笑いあいたい。
ただの朽ち果てた廃墟で、みんなを呼んで、豪勢に馬鹿話をしたい。
私を認めてくれない奴らのために死を肯定したりしない。
私は、私を慕ってくれる連中のために、この日々を過ごしていきたい。
死ぬと確定した?
知らん。
生きてやる。
あいつらを、絶対に悲しませたくないんだ。
皆が待っている。京介が待っている。なら私は、彼に応えよう。知らず知らずのうちに強く固められる拳。私は約束を、破らない。
「……ところで、君原。お前いつまでそこにいるつもりだ?」
「ありゃりゃ、バレてた?」
ガラガラと扉が開き、着崩した制服のまま入ってくる君原。不良らしい、悪びれた様子がない彼に、つい笑みがこぼれた。看護師に見つかったら一発アウトなのに。
「馬鹿かお前。面会時間は過ぎているのに」
「手術もうすぐなんだろ。ほら、チョコレート」
投げ出されたチョコをキャッチする。私が大好きな銘柄だ。よく覚えていてくれたな。
「よくやった。褒めてつかわす」
「なんで上から目線なんだよ」
どかりと京介が座っていた椅子に腰を下ろす。折角受け取ったチョコだ、溶ける前に食べようとパッケージを開ける。濃密なチョコの香り。これだ、この香りを吸う瞬間も好きだ。ほくほくした気分のまま、私はパキンと一かけらを折って味わう。
……うん、おいしい。
「……怖くねーのかよ、お前」
薄笑いを浮かべながらも、その口調は愁いを帯びている。やっぱりこいつも可愛い所あるじゃないか。
「怖いさ。だが、死にたくない。せいぜい生き延びる事とするさ」
「……」
上がった口角が、みるみる下がる。
「そんな顔をするな。お前が好きな女がしぶといのは、お前が良く知っているはずだ」
苦しそうに顔をゆがませる彼に、私は強がって見せる。
「そりゃそんな顔になるわ。お前が好きなんだ。生きてほしいんだよ、俺は」
「さらりと告るな、残念断るさ」
「知ってたっつーの。一度告ったんだ、俺はこれから告白魔な」
「ああ、なんて私は罪深き女なのだ。意図せず男を色欲に縛り付けてしまうなんて」
「お前のそう言う清々しい所好きだわ」
金髪をワシャワシャと撫でながら、豪快に突っ込む彼。その野太い笑い声が、今の私にとって、何よりの救いだった。
「……君原」
「なんだよ」
「すまないな、いつも」
意図せず、ぽろりと本心が漏れた。豆鉄砲を食らった顔をする君原に、私はさらに言葉を紡ぐ。
「私の無茶に付き合わせて。いつもそうだったよな。私が変な事をして、そしたらお前が尻拭いをしてくれる。私達はそんな関係だった」
体育館を乗っ取って即席ライブした後、怒られていたのは君原だった。
生徒会長候補としてビラを屋上からまいたのも、君原が教師にスライディング土下座したことにより私は許された。
ひょんなことで不良グループとの死闘だって、君原が加勢してくれたおかげで撃破出来た。
私の横暴に、いつだって君原はつくしてくれた。
不思議だ、いつもなら羞恥心に負けて言えなかった言葉が、すらすらと飛び出す。死に近づいたからか、はたまた京介の影響なのか。
「お前がいなかったら、きっと私はどうにかなっていた。私が元彼に乱暴された時も、私が自暴自棄になった時も、お前だけは寄り添ってくれた。私が会長になった後も、いつだって助けてくれた。いつだって私はお礼すら言えず、ただ当然だという態度を取っていた」
「……らしくねーよ、何だいきなり」
君原の語尾が震える。ただ、ひたすら作り笑いを保ったまま、わざとらしく不良っぽく喋っていた。
……感謝したかった。
私みたいな碌でなしに、ずっと付き合ってくれて、挙句の果てに好意を寄せてくれて。
そうやってお前はいつだって何も考えていないバカの振りをして、常に私のための最善手を打ってくれている。
京介と言い、君原と言い、私にはもったいないほどの連中が支えてくれた。
……もっと先に気付くべきだった。
「ありがとうな、こんな私を好きになってくれて」
「……気持ち悪いんだよ、ほんと」
目が泳ぐ君原。
「ああ、だろうな。……退院したら、また、色々私はやらかす。その時には、君原、お前に最後は頼るからな。覚悟しろよ」
私が笑うと、君原の口元が引きつり、しかも今度は泣きだした。血が出るほど唇をかみしめ、顔を隠すことなく、ただ両手のこぶしを握りしめていた。
「……おい、泣かすつもりはなかったんだが」
私は愚かだ。京介も君原も泣かせて。
「うるっせえよ馬鹿。いいからさっさと退院しろよ、このボケが」
返ってくる嗚咽混じりの暴言。
「お前は、ただ前だけみてりゃいいんだよ! ドアホ」
俺はお前の影になる。俺はお前に死ぬまでつくす。
だから。
生きろ。
生きてくれ。
真っすぐと涙に濡れた目を私に向ける彼に、私は再度誓う。
「死ぬと思うか?」
「……死なねーよな、お前だから」
「なら信じろ」
生存率なんて、本当は知っている。
可能性は、一パーセントを切っているそうだ。我ながら地上最悪。
だけど、不思議と恐れはない。むしろ逆転劇で快勝する未来を夢想し、逆にテンションが上がるレベルだ。
「そういいながらよ、お前だって普通に何もかも隠してよ」
きっと、ギリギリまで自分の病気を知らせなかったことを言っているのだろう。……それは、本当にすまない事をしたと思っている。
「普通言うだろうが。そんな大切な事」
「ああ。すまなかった。だが私はただ、お前にそんな重みを背負わせたくなかったんだよ」
「今更それ心配するタマかよボケ」
あっさり一蹴される私の懸念。
「どれだけお前に不幸が訪れようが、絶対俺も寄り添ってやる。だから、今度からそんな馬鹿みてーな事するなよ。次やったら殺すからな」
点滴が刺さっていない、私の手を取る彼。そのまま自分の額に当て、歯を食いしばって嗚咽を漏らしていた。暖かい、彼の額。
「ああ。再び私が同じ過ちを犯したら、迷わず殺せばいいさ、君原。だが、これだけは見ていろ」
本当にありえなかった。
いつ死んでもいい命だと思っていた。
だけど今は違う。
美玲先輩が、京介が、お婆ちゃんが、そして君原が。
私を肯定してくれた。
ならば、私もそれに答えるほかあるまい。
知性を称えた笑みを浮かべ、私は声を張り上げた。
「お前が惚れた女が、華麗に生き残る様をな」
せめて君原の前では、傲岸不遜、唯我独尊な自分でいよう。




