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第三十一節

 数日、三森さんと会えない日々が続いた。僕らはラインとか持っていないため、毎日病棟を訪れるしかなかった。そして面会謝絶と言ってお引き取りを促されてた。


 ひたすら心配だった。次の日、目が覚めると三森さんが亡くなっていたら……?


 恐怖と焦燥、そして心配。毎日毎日こっちが精神をすり減らす日々だ。


 学校に行っても、勉強しても、何に対しても集中力を欠く。何やっていても三森さんのことを考えてしまう。何をやっても、だ。心配だけが増幅され、ひたすら失う恐怖を抑えるだけで精いっぱいだ。


 一週間くらい経ってからだ。


 ついに面会謝絶が解除された。


 一番のりで見舞いができた。こんな時も、三森さんの両親は来ていない。本気で殺意を覚えた。


 「久しぶりですね、三森さん」


 一週間の間に、三森さんはだいぶ衰弱していた。腕には点滴が刺さっており、下半身はすっぽりと布団に包まれていた。もう、暫く立つことすらままならないらしい。


 「久しぶりだな。京介」


 声もかれている。視界の焦点も、どこか合っていない気がする。強い、真っすぐな眼差しは、そこにはない。このままいけば、死ぬ。この未来は、ほぼ確定だ。痩せてぶかぶかになった患者服から覗く、鎖骨と白い肌。


 胸が張り裂けそうになった。しかし、僕の口角は上がる。あげるしかなかった。三森さんは、珍しく疲れた顔をしていたから。ここで僕も沈んでいたら、それこそ駄目だ。


 「……発作は二度目なんだ」


 「そうだったんですか」


 「君が私を見つけてくれた前日にな。こんな頻繁に発作が起きるなんて」


 その目は、どす黒い闇に落ちている。絶望した目、というのだろうか。初めて会った時の、唯我独尊自信満々の態度は、もうかけらもない。まるで別人のようだ。


 ……三森さんには、似合わない。


 「手術も近い。だが、もう諦めている。死ぬ運命からは逃れられない。……日ごろのツケかな。考えてくれば私はいつだって一人でいた。だれにも頼らず、そのまま過ごしていた。だからかな、最後は自分一人だけ苦しんで死ぬ。素晴らしいね、神様と言うのは、因果応報と言う言葉が大好きなようだ」


 つらつらと三森さんは懺悔を並べ、そのまま目をつぶる。


 「――たくない」


 震える語尾に、三森さんは点滴が刺さっていない手を自分の両目に当てていた。


 「死にたくない。もっと、もっと生きたかったんだ」


 死にたくない、と連呼し、嗚咽を漏らす三森さんに、つられて僕も泣きそうになってしまう。僕は、無力だ。何もできない。三森さんの死を回避させることはできない。


 「どうしてだ。ずっと劣等感しかなかった。自分には何もない。そう思ってた。なのにどうして今なんだ? どうして今、大切な物に気付いた時に!」


 彼女は両手で髪をかきむしりながら、血がにじむほど唇をかみしめる。


 「なんでいつも駄目なんだ。折角、楽しくなってきたのに。貴様とあって、君原と腹わって話しあえて、お婆ちゃんのうどんも食べられず、小説も書き終えていない。死んでいいと思っていたはずなのに、なんでようやく生きたい時に死ぬことになる? 最悪な運命だ、本当に」


 毒を吐く彼女は、本当に弱弱しくて。自分の無力感に自分のこぶしを思い切り握りしめる。それしか、それしか僕にはできない。


 僕には。


 ……。


 生きてほしい。


 熱くなる眼がしらを抑える。


 僕の無力さに心底殺意を覚える。あんなに絶望しきった彼女を、僕は救うことすらできない。何もすることもできない。


 だけど、それでも生きてほしい。


 死んでほしくない。僕を救ってくれた、貴方だけは。絶対に。死なせたくない。


 どうすればいいんだ。


 神様を恨む。何もかもを恨む。だけど、そんなんじゃ意味なんてない。


 どうすれば、人を助けられる。


 三森さんのように、人の心を救いあげられる?


 どうすればいいんだ。


 ……。


 何もなせない。


 ならば。


 涙を堪え、僕は言葉を紡ぐ。


 「……三森さん」


 「……なんだ」


 涙で充血した目で、僕を見る三森さん。そんな彼女を見、僕は思った。


 今の三森さんは、まるで初めて彼女とあった僕のようだ、と。


 迷って、不条理や虚無感に染まり絶望しきった、あの頃の自分。


 無力な自分。無力な三森さん。


 本当に、同じだ。


 涙をこらえろ。


 三森さんの方が大変なんだ。苦しんでいるんだ。僕如きが泣いてはいけない。


 言葉で伝えろ。


 非力な自分は、それしかできない。


 ならば、言うしかない。自分の気持ちを。前の僕のようにふさがった心を溶かすために。ガタンと音を立てて椅子から立ち、そのまま必死に言葉を紡ぐ。


 「以前、言っていらっしゃいましたよね、運命はあるか、ないか、と」


 三森さんに届くかどうかなんてわからない。というか絶対届かないだろう。


 だけど、言うしかない。


 三森さんは無言のまま、虚ろに僕を見つめる。


 言葉を継ぐ。


 「運命は、決まっていない。ただ進んだ道を過去として振り返り、それを運命と言うって。それが三森さんの持論でしょう」


 「……それがどうした。考えなくてもわかる。もう打つ手なんてない」


 「そうやって諦めるんですか。どこまでも傲慢不遜な貴方が、ガンだからと言って諦めるんですか」


 「諦めなければ辛いんだ! 分からないだろうお前なんかに!」


 激高する三森さんの涙が飛ぶ。身を乗り出し、かれた口調で慟哭する。三森さんらしくない、本能的な絶叫には、紛れもない本音しか入っていなかった。


 「死ぬんだぞ。結局何も変わらないさ。やってられないさ。ずっと後悔してる。結局私は変人を名乗るただの凡人さ。私の言葉は私自身に届かない。死ぬのは怖いんだ。なにも届かない、何もない闇に落ちる。どれだけ恐ろしいか分かるか?」


 「分かりませんよ! 僕なんかには絶対わからない!」


 三森さんの苦しみなんてわからない。僕は、三森さんじゃない。


 「だけど、なんで死ぬと決めつけるんですか!」


 「医者は言っていた、手術成功率はほぼゼロ! もう駄目なんだよ!」


 「ほぼゼロなんでしょう! なんで生きることをしないのですか? なんで生きる可能性を見ようとしないんですか? 縋ることは確かにつらいことかもしれません。精神が止みそうかもしれない苦行かもしれません。しかし、縋らないと何も始まらない! 何もできない! それを勝手に放棄するタマですか! 三森さんがそんなタマなのですか?」


 硬直する彼女。


 「僕の知っている三森さんは頭がおかしくて、変な持論持ってて、性格が悪くて、変にナルシストで、絶対まともな人じゃない!」


 だから。


 「だから、そんな現実見ないでください! 僕を救ってくれた貴方は、もっと変な人のはずです! 自分の運命は自分で決める! まだ小説は未完成なんでしょう? まだ生きたいのでしょう? 君原先輩も間瀬さんも姉貴も、みんなあなたを待っているのですよ! 皆貴方が戻ってくるのを待っているのに、皆貴方の身を案じているというのに、勝手に死ぬことを自分で決定して、卑屈になって逃げて! そんなの、僕の知っている三森さんじゃない! 貴方は凡人じゃない! 凡人じゃない貴方だからこそ、凡人なら絶望する所でも生きるために最善を尽くせるんじゃないんですか!」


 「……貴様に、何が分かる?」


 「分かりませんよ。分かりたくもないです。ですが、僕は約束しました。貴方を待つと。貴方が本当に死を受け入れるというのなら、勝手に死んでください。ですけれど、僕は絶対に待ち続けます。絶対に」


 僕は、三森さんが好きだ。変な所も多い。だけど、僕は知っている。


 三森さんの優しさも。


 三森さんの賢さも。


 三森さんの美貌も。


 三森さんの笑顔も。


 三森さんの気遣いも。


 三森さんの言葉も。


 僕は、三森さんの虜だ。大好きだ。こんな所で死んでほしくない。だから、僕は三森さんを待つ。


 絶対に。


 ここまで僕が自己表示するのは初めてだった。三森さんは先ほどの憤怒はどこへやら、ただぽかんとしていた。


 「諦めないでください。三森さんは普通の人じゃない。だから、きっと、助かります。僕が付いています。頼りない僕だけではない、君原先輩も、間瀬さんも、姉貴も。皆、貴方を待っています」


 いつの間にか、僕の視界は歪み、暖かい物が頬を伝って流れていた。泣かないと誓ったのに、本当にダサい。声もいつの間にか涙声になっているし。僕は今世紀最大のひどい顔をしているだろう。喉も三森さん同様かれていた。


 「だから、生きることを諦めないでください。お願いです、生きて、一緒にいてください」


 目をぬぐう。涙は次から次へと溢れてくる。鼻をすすり、悲泣をこぼしながら、僕は言いきった。


 届いただろうか。


 僕の気持ちは。


 ……駄目だろうな。こんなボロボロな口調、支離滅裂な内容。


 病室はひどく静まり返っていた。窓から覗く曇天は、うっそうとした雰囲気を作り、寒い空気が窓の隙間から吹き込んでいた。体は、熱かった。


 数分の沈黙が、僕らの周囲を支配していた。


 「……。はは、はははは」


 静寂を破ったのは、三森さんの笑い声だった。久しく聞いていなかった、愉快な笑い声。作り物ではない、本物のそれ。


 「はははは! 京介、本当に最高だよ!」


 「何笑っているんですか……」


 「京介、来い」


 涙をぬぐい、クリアーになった視界には、小悪魔的な笑みを浮かべる三森さんがいた。


 招き猫のように、手をこまねく。


 促され、僕は三森さんのベッドのそばにある、備え付けの椅子に座る。


 「本当にお前はなんだ? 悪口でもいいに来たか」


 「……すみません」


 めっちゃ変人と言いまくってた自分に気付く。顔に血の気が引くとはこのこと。ずっとけなしてたやん自分。


 「いや、いいんだ。やはり、私は変人だ。変人はつまり天才を指す物。私からしたら究極な褒め言葉だ」


 三森さんは、ニコリと笑った。


 初めて見るほどに、その笑顔は美しかった。


 「京介」


 「何でしょうか」


 「君が私の部下で良かったよ」


 空虚な瞳ではない、そこにあったのは、芯が通った、いつもの三森さんの目。次に、三森さんの温かく、柔らかい手が僕の頭に乗った。数回ほどよしよしと言った調子で撫でられる。とても温かい手のぬくもりだった。


 「忘れていたよ。そうだ、そうだよ。私は、空虚じゃない。何を諦めていたのだろうな、私は」


 その目に宿るのは、先ほどの闇ではない、三森さんらしい冷静な眼差しだった。


 「抗わないのは、私らしくないよな、京介。死にたくない。死はなにも残さない。だから、絶対に死なない。単純な公式すら思い出せないほど錯乱してしまうとはな。あーあ。本当にアホだな、私は」


 「今更過ぎますよ、三森さん」


 「美少女の私だって、たまには誤ることくらいあるのさ」


 先ほどまで弱気だった彼女が一転し、好戦的に点滴が刺さった手で自分の胸を抑える。なりを潜めていたナルシストが浮上し、やはり笑みがこぼれてしまう。


 「だけど、それを京介に言われてしまったことは悔しいな。さすが私の部下だ」


 「上司がちゃらんぽらんだと部下がしっかりするように、世の中できているのです」


 「なるほど。自由奔放な私の下に君がいて本当に助かった」


 執拗に僕の頭を撫で続ける三森さん。病人となっても変わらない三森さんの暖かさとバニラの香りにドキドキしてしまう自分がいる。


 「京介」


 「はい?」


 「ありがとう」


 茶化していない、それでいて、真っすぐな声色に、僕の胸は突かれた。


 「……お礼するくらいなら、迷わないでください」


 つっけんどんな照れ隠しに、三森さんは気分を害した様子もなく、宣言する。


 「ああ、もう迷わないさ。京介」


 その一言に、僕の涙腺は決壊した。溢れだす涙に、鼻水をすする。


 「おい、どうした、京介。泣くな」


 「すみません……! 三森さん!」


 安心した。三森さんが生きる希望を持ってくれることが。大好きな三森さんに、僕の気持ちが届いたことが。きっと、僕は世界一格好悪いだろう。好きなだけ怒鳴り出して、そのまま号泣とか、普通だったら引く。


 「大好きです、三森さん!」


 「ああ、知っているさ。京介」


 なのに、三森さんは暖かい。どこまでも。


 ……暖かい?


 「ちょ、何やっているんですか!」


 「慰めてやっているだけだよ、京介」


 いつの間にか僕は三森さんに抱きかかえられていた。背中に回った三森さんの細い腕。僕の頭は、そのまま三森さんの胸にあてられていた。バニラの香りが、より強くなる。


 「私の、大切な部下だ、お前は」


 脳にしみいる、低めの、なのに聞きづらくない声色は、まるで天使のように柔らかく、僕の心を抉った。


 三森さんが生きている。


 ドクドクとかすかに三森さんの鼓動が耳に入る。いつの間にか強張っていた肩がほぐれる。


 「うう……三森さん!」


 死なないでほしい。


 生きて、傍にいてほしい。


 例えこの恋が実らないとしても。例え誰かに三森さんが取られてしまったとしても。


 僕は、三森さんに生きてほしい。


 死ぬ間際に悔いを残してほしくないから姉貴を呼んだりした。だけど、駄目だ。


 僕は、三森さんがいないと駄目なんだ。


 「よしよし。可愛い奴め」


 「煩いです、三森さん」


 「……京介♪」


 「なんでそんな生き生きしてるんですか」


 「最初会った時は冷徹だったお前が、今こうして赤子のように涙を流す。なんと言うか、愛しいなと思っただけだ」


 「ずるいです、三森さん」


 僕の恋心を無自覚にかき乱す。本当に、こういう所は嫌いだ。こんなことされて、さらに好きにならないわけがないじゃないか。


 「絶対に、生きてください。三森さん」


 「ああ。もちろんだ」


 その日は面会時間ぎりぎりまで、ずっと三森さんと寄り添っていた。別れを惜しむように。ずっと。ずっと。





 「なあ、京介」


 「なんですか」


 「ずっと私は柏木ではなく、京介と呼んでいたよな」


 「そうですが……」


 夕焼けがまぶしい空。雲は晴れ、僕らを赤く染め上げる。


 「鈍いな。お前。絶対チェリーだろ。つまり……童貞だ、うん」


 「放っておいてください!」


 「……下の名前で呼んでくれないか」


 「なんですか、急に」


 三森さんの発言は、本気で予測できない。まるで酔っ払いの脈絡ない駄弁りと類似している。


 「ふと思っただけだ」


 「いつだって貴方は急ですね」


 面会時間終了まで後数分。一生続いてくれと願う。しかし、時は、無情に過ぎていく。


 「貴方が生きて、またあの廃墟に舞い戻った時に呼びます」


 「ひどいな。……まあいい。楽しみは後に取っておくさ」


 三森さんは観念したように眼を瞑る。


 「楽しみにしているよ」


 「三森さんこそ、小説、完結させてくださいね」


 「ああ。分かっている」


 その後、面会時間の終了を告げられたあたりから、記憶がない。ただ、また今度な、と手を振る三森さんの声だけが、脳裏に焼き付いていた。


 絶対に生きてくれるはずだ。


 後は、僕が信じるしかない。


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