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第二節

 朝十時。僕は平常通り、マフラーを巻き、廃墟に赴く。平日だからか、街路で見かけるのは年寄りや、母に連れられた幼児のみ。休日なら多くの人が行きかう大通りも、どこか閑散と寂れた雰囲気が横たわっている。


 刺すような冷気に耐えられず、思わずコートの襟を立てる。シベリア気団の到来だと快晴の乾いた空を見上げた。寒い、と思わず漏らすほどに、今日は冷えている。


 果たして、彼女――三森さんはいた。窓からは晴れか曇りか曖昧な光が差し込んでいる中、机に向き直っている彼女はすっと背筋を伸ばし、カタカタとパソコンのキーをタイプしている。ちらり、と切れ長の眼差しから大きな黒眼が僕を射るも、挨拶もなしに再びタイピングに熱中する。知り合いを見る目ではなかった。いや、僕も同じだ。彼女はあくまで他人。駅で隣に座っている客に、親しげな眼差しを送ったりしない。それと同じ。


 もちろん、僕も挨拶をすることなく、本棚から適当の本を取った。何百冊もあるため、暫く手持無沙汰になることはないだろう。読書は好きではない。むしろ嫌いだ。活字を目で追っていると眠くなるし。しかし、やることがこれしかないのだ。スマホも所持していないし、そもそも特定の趣味もない。古書の独特な古い臭いにも、ようやく慣れてきた頃だ。


 「それに、レイチェル・カーソンの『沈黙の春』なんて収蔵してる高校生なんていないでしょう」


 古典文学。西洋文学。教科書に出ている本やら最新のライトノベル。その他文庫本や犯罪小説ノンフィクション。本当に本となれば縦横無尽というレベルの在庫だ。実はこの人司書ではないかと勘繰るほど。


 充実した蔵書の割には、読書する環境はひどく手薄。もちろん暖房設備など無いのでひどく寒い。

 

 そのため僕は引き出しに仕舞われた赤と白のチェック柄のブランケットを引きずりだし、快適に生活させてもらっていた。三森さんの所有物なのだろうけれど、さすがにこれがないと凍死してしまうほどの寒さだ、彼女もそれを知っているので、僕がブランケットを使うことを黙認してくれている。というか興味がないのだ。あっちは赤いコートを寒かったら着想できる訳だし。次第に自分の体温で熱を持つブランケットに包まれていることに、幸せを覚えるようになってくる。この感覚が好きだ。


 僕らは互いに関わることもなく、ひたすら自分のやることに熱中していった。


 喧嘩した訳ではない。あれから一週間経っても、僕たちの間はこうだった。干渉もしないし、僕は彼女のことを動く置物と認知してる。三森さんも休憩を挟み、チョコを食すついでに話題を振る暇つぶしの道具としか思っていないだろう。


 ……酔狂な人もいる物だな、と冷やかに彼女を見、僕はあの日のことを回想した。





 「契約、ですか」


 自己紹介無しに、この人は僕に交渉をもちかけた。


 「そうだ。その縄、どうせ死ぬつもりだったんだろう?」


 「……否定はしません」


 丁度人の首が入りそうな輪が作られた縄を見、僕はため息を漏らす。これはどう見ても、言い逃れはできそうになかったから。反して、三森さんはほう、となぜか嬉しそうに口角をあげた。


 「知ってるかい、君」


 「……何がですか?」


 「首吊りは楽に死ぬことはできない。気道がぎりぎりと締まり、簡単に意識を奪ってくれない。滅茶苦茶苦しくて最悪な死に方だよ。死後もうっ血して目も当てられない」


 間違っても初対面に話すべき事じゃないだろう、それは。


 「死は恐ろしいものだ。何故君は死にたがる?」


 身を乗り出して、目を輝かせる彼女。どう見ても普通じゃない。あ、やばい人に当たったなと直感した。おおむね正しかった。


 「何も死を否定するわけではない。ただ知りたいのだ。死ぬ瞬間の人間は、一体何を考えているか」


 笑いを堪え切れないという風に、三森さんは口元に手を添えた。隙間からは、三日月に歪む口元が覗く。


 「特に考えてないですね。強いて言えば、貴女の様な人と会うとはとても驚きです」


 「ほう。確かに私は世間一般で言う美少女だ、最期に私の顔を見れてお前は運がいい」


 「あ゛」


 素で声が漏れた。


 前髪をかきあげるしぐさが鼻につく。先ほどまでの綺麗な人、という印象が、一気にナルシストのウザい女と言う評価にレベルダウン。


 「極度のナルシストですね」


 「光栄だよ」


 上から目線のまま、やれやれと言いたげに首を振る彼女。キィ、と彼女は椅子から立ち上がり、つかつかと僕に歩み寄ってくる。ふわりとバニラの香りがした。


 「ところで、何をやっているんですか、貴方?」


 「見ればわかるだろう。この廃墟の持ち主は既に死亡している。ならば私が書斎として使っても差し支えもないだろう」


 書斎。なるほど、彼女はここに巣食い、自分の好きな事をやっている訳だ。この本の山やノートパソコンを見ればわかる。きっとここで自分の嗜好を消化しているのだろう。


 「不法侵入ですけれどね」


 「ばれなきゃ犯罪じゃないのだよ。それに、どうせ死ぬなら、最期くらい私の契約に乗ったっていいのではないか」


 話が戻る。そのまま僕より身長が高い三森さんを見上げながら、僕は思わず笑みをこぼしてしまった。


 「契約って、中二病ではないので。それに、何故僕なんですか」


 「別に誰だってよかったけど――そーだな、うん、君がここに来たから、とでも理由付けしておこうか。それに、契約と言っても別に難しいことじゃない」


 君はただ――。


 「私のパシリとなれ。私の手足となってくれればそれでいい。他は何も要求しない」


 思ったより曖昧模糊な指示。しかし、別に受けるつもりは毛頭ない。適当に煙に巻くつもりだった。


 「それに、僕にとってメリットがありますか」


 「君には居場所ができる。これでどうだい」


 「学校や家にあるので無効と言ったら」


 「それはないな。少なくとも君は、そこまで社交的には見えない」


 数秒、どう切り返すか迷った。実際通ってる中学には友人はいないし、家にも居場所はない。別に初めて死のうと思ったわけではないし、今日結構に移したのも、丁度頃会いかな、と思ったまでだ。


 「嫌です」


 「居場所が欲しくないのか?」


 「別に。どうせ死ぬんで」


 「死んでくれるからこその頼みなのだけれど」


 「知りません」


 しつこいのは嫌いだ。


 それに、僕に居場所など必要ない。そう言おうとするも、彼女は僕が言葉を発するより前に、影のように近づいてきていた。


 「仕方がないな――」


 ドン、と衝撃音とともに、僕は反射的に眼を瞑ってしまう。


 見ると、僕がいる所を覆うように三森さんが両手を扉に当てていた。切れ長の瞼がアップになり、迂闊にもときめいてしまう自分がいる。コートからのぞく、ほっそりとした鎖骨が官能的に僕を誘う。壁ドンとは、美しい人がやると絵になると初めて理解した。不本意ではあったけれど。


 「……なにしてるんですか」


 動揺を悟られないように言うと、彼女はにへらと笑う。


 「色仕掛け」


 ……不覚ながら、僕の心拍数が何段も上昇する。


 「惚れたな」


 「惚れてないです」


 「受けてもらえるよね」


 満面の笑顔にある大きな黒の瞳に、僕の警戒した顔つきが映っていた。


 「断ります。何度も言うように、居場所なんていらないですから」


 「そうか。じゃあ――」


 不意に、彼女が離れた。その手に握られていたのは……。


 僕の生徒手帳。住所や学校。そして、姉の写真と連絡番号――。


 「……! なんで」


 「ただで壁ドンすると思った?」


 なるほど、どさくさにポケットから抜き取られたらしい。どぎまぎした自分がとても腹立たしい。


 「返せ!」


 「およ。ようやく事務的な返事ではなくなったな?」


 はっと我に帰るも既に遅い。ここまで動揺したら――。


 予想通り、三森さんは黒い笑みを浮かべ、手帳を開き、電話番号をのぞき見る。


 「開園中学二年の柏木京介。ほう、屈指の進学校じゃないか。素晴らしいねー。で、この可愛い女子生徒の写真は――」


 刹那、彼女の瞼が少し瞬いた。


 が、すぐに先ほどの捉えどころのない嬲るような口ぶりへ戻る。


 「姉、かな」


 「……返してください」


 「いいよ。ただし、電話番号は覚えたけれど」


 ポン、と彼女は生徒手帳を返した。受け取りながら、先ほどの落ち着いた雰囲気をかなぐり捨てた彼女に、心底狼狽せずにはいられない。


 「死にたいなら死ね。けれど京介のお姉さん、どうなっても知らないよ。死のうとしたことチクっちゃおうかな~」


 悪魔だと確信した。頭の回転は速いようで、僕の弱点を的確についてくる。腸が煮えくりかえるのを抑え、淡々とした言葉遣いを意識する。


 「貴方、最低な事をしている自覚あるんですか」


 「自殺志願者に人権があると思ってるの? 私のもとに来なかったら死んでたくせに、いまさら人権云々唱えてるんじゃない」


 小首を傾げ、邪悪な笑みを深めるこの人に、僕は縄を握りしめる。必死に反論しようと試みるが、残念ながらこのちっぽけな頭には何も浮かぶことなく。


 ……殺すか?


 いや、僕の底までの能力と気概がない。無理だ。下手したら半殺しにされ警官とこんにちはする羽目になる。


 この女の言うとおりにするのは癪だ。しかし、従わなければ、恐らくこの人は姉に手を出す。……あの人だけは、守らなければならない。


 「分かりましたよ」


 「何がかな? 言葉にしなければ物事は伝わらないものだよ」


 性格が悪い。できることならぶっ殺してやりたい気分。法律がなければ殺してる。


 「のりますよ。貴方の契約」


 皮肉を込めたつもりだったが、彼女は気にするそぶりは一切見せなかった。


 「そうか。とても嬉しいよ」


 むしろ大好物なものでも与えられたように、この人はとんと回転椅子へ座る。


 最初の好意は既になく、残ったのは彼女のあまりに身勝手な行動に対するいら立ちと嫌悪感。美少女と自分で言う所も腹が立つし、何よりそんな奴に壁ドン一つで踊らされた自分にいら立つ。


 音楽に誘われることなく、さっさと首を吊れば良かったと後悔しつつも、せめてもの抵抗として、思い切り彼女を睨みつけるだけにとどめた。彼女は彼女で、全く効いていなさそうだったけれど。





 ふぅ、と気持ちよさそうな声に、僕の意識が引き戻される。


 見れば、三森さんがぬぬ、と背伸びしているところだった。そのスカートは、紛れもない、偏差値七十代の名門高校の制服。頭の良い人は揃って三森さんのように変人なのだろうか。


 三森さんは左右に体をグネグネさせた後、何故か幸せそうな顔をしていた。そのまま涼しげな眼差しのまま肘をつき、窓から見える雑木林を眺め、かと思えば、再びパソコンに向き直り、カタカタとブラインドタッチでキーを叩いている。


 自由気ままという言葉が似合うな。それ以外の感想はない。


 ……そう言われれば、この人はなにをやっているのだろう。大抵訪れると、こんな風にパソコンに向かっている。ネットサーフィンだと最初は思ったのだが、いかんせんキーをタイプする時間が多い。


 ちょうど一冊読み終えた後、ひょっこりと後ろから盗み見る。ネットではない。ワードを立ち上げているようだ。そこには文字の羅列が並んでおり、三森さんはひたすら文字を打ち続けていた。


 ……何やっているんだ?


 「私は作家志望なんだよ」


 心を読んだかのような返答に、ドキッと心臓が縮みあがる。見れば、ジロ、と背後の僕を見ていた。感情が読めない、平坦な声色。視野が極端に広い女だ。


 「変だと思うかい?」


 「いえ。芸術家は変人が多いというのは知っています」


 たとえば三森さんとか、と付け加えると、褒め言葉だありがとうと肩をすくめていた。……ウザい。


 「己の才能を武器に道を切り開く。何とも素敵な生き方だとは思わないか」


 「競争率激しい上に収入は少ないのは知っていますよね」


 最近の小説業はシビアなのは、恐らく三森さんも既知だろう。増加する小説に反して減少する読み手。しかも印税は年間百万円から三百万。とても生活できない。


 「知っている。だが収入の問題じゃない。楽しいかの問題だよ。あと一年しかない高校生活だ、楽しまなければ損というもの」


 ふわりと柔和な笑みを浮かべ、からからと回転椅子を僕のほうへ向けた。


 「……なんですか?」


 「いや。私に興味を持ってくれて嬉しいよ。パシリといっても硬くなっては意味がないからな」


 「何その関係知らないです。脅迫なされたことも忘れてしまったのですか」


 「読んでみるか? もう少しで完結しそうなんだ」


 「話飛びましたね。読みませんよ。面倒くさい」


 僕は小説が好きではない。基本的に他の情報媒体――映画やTV――より劣っているし、活字を読むだけで眠気がする。


 「つまらんやつだ」


 僕の返事が気に食わなかったのか、鼻を鳴らし、三森さんは口を膨らませて見せた。


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