第二十七節
あれから、数日が経過した。
学校へ行き、勉強し、帰宅してから三森さんのお見舞いし、家に帰り復習し、夜遅くに寝る。最近のルーティーンだ。特に三森さんが入院している場所は家から自転車で三十分のため骨が折れる。ここから近い病院へ転校してくれないだろうか。
「なら毎回お見まいに来なくてもよいんだぞ」
その旨を言うと、三森さんは苦笑していた。
「僕が行きたいだけです。それに勉強の息抜きにもなりますし」
「だろうな。こんな美少女と話すだけでも癒されるというものだ」
カタカタとキーをタイプしながら、三森さんは自画自賛する。病人に見合わない傲慢さは健在だ。
……それでも、彼女の美しい黒髪は色あせ、水色の患者服から覗く鎖骨は浮き出ているし、頬もこけている。けれども僕がいる手前だからか、それとも素なのか、三森さんは衰えを感じさせない。いつも小説ばかり書いている。最近の彼女はすこぶる快調なようで、今は文字数が七万文字を突破したそうだ。僕はあまり小説に詳しくはないが、個人的に速筆だと思う。
「ちゃんと寝ていらっしゃいますか」
「ああ。私もできるだけ長生きしたいのでな」
「やはり、手術とかはするのでしょうか」
「するだろうな。三月終わりに摘出手術を行う。望み薄だろうけど」
三森さんと話していると、生死感覚が揺らぐ。三森さんはきっと死ぬだろう。しかし、憂鬱になるものの悲しくなることはない。三森さんが元気でいてくれるからだろうか、とにかく、今の状態の三森さんが、今の僕のすべてだった。死は一切入ってこない、僕だけの、彼女に対する印象。
逃げなのかもしれない。しかし、いずれ来る決別を、僕は受け入れたくないのだ。
「間瀬さんは元気かい?」
「元気です。相変わらず美味しい素うどんを作ってくれます」
「うらやましいな。私も食べたい」
そういえば三森さんは暫く廃墟に訪れてはいないはずだ。確か、一か月程度は。
「病院生活は暇だ。消灯時間を過ぎると何もできない」
「でしょうね。というかそれが普通ですよ。大病を患いながらもここまでぴんぴんしているってまずありえませんよ」
「今となってはお前との関係をブラブラと紡ぐことしかやることがない」
三森さんはそう言いながらも、画面を見ずにキーボードをたたいていた。
君原先輩が三森さんの病棟へ訪れた時は本当にすごかった。
「三森ちゃーん!」
「よせ。そして私に触れるな」
抱きつこうとする君原先輩を鬱陶しそうに振り払う三森さん。
「大好きだよ~!」
「死ね」
「ひど!」
君原はたいして懲りることなく、三森さんに抱きつこうとしていた。
「ありがとな、柏木! ミモリンの居場所をリークしてくれてよぉ」
「京介……」
頭を抱えて恨みがましそうに見やる三森さんに、両手を合わせて謝罪する。
「すみません、でも、三森さんと会いたいと繰り返し言われたので」
ストーキングされたし。それに、きっと三森さんも彼と会いたいと思っていただろうし。
事実、三森さんは嫌がるそぶりを見せているものの、どこか口調は柔らかく、少し嬉しそうだった。暴言も照れ隠しみたいだ。何だかんだ、彼女らは仲が良い。
三森さんの寿命が尽きかけていることに対しても、君原先輩は。
「あ~大丈夫大丈夫。医者って寿命を短めに宣告するから。実際余命半年とか言って三年以上生きたケースもあるし」
あり得ないほど軽い。まあ、君原先輩の湿っぽい姿を、三森さんは見たくないだろう。きっと、君原先輩もそのことに気づいている。一件何気ない会話であるのだけれども、君原先輩は、きっと僕が想像できないほどの複雑な感情を抱き、中身がスカスカな駄弁りに徹しているのだろう。
「君ならそう言うと思ったよ、君原。全く君は私の予想の範疇でしかないようだ」
「うっせーな。ったく、マジで病人かこいつ。毒舌健在だぞマジで」
「病人だよ。本当にこんなかよわい可憐で美少女な女の子をいじめないでくれ」
「柏木、こいつぼこっていいか?」
「だめです、先輩」
こんな軽いノリで、いつだって僕たちはわちゃわちゃと楽しんでいた。
帰り際、君原先輩は笑顔ではなく、どこか遠くを見ているような、ぼんやりとした眼差しだった。
寒がりに沈む道には、コートやマフラーに身を包んだ人々が闊歩している。空はどんよりと曇り、残雪は黒々と電柱の端へ残っている。
君原先輩は最寄駅、僕はそこの駐輪場で自転車をとるため、必然的に十分程度共に行動することになる。あれほど病室でやかましかった彼は、今はまるで貝の如く押し黙っている。
僕だって喋ってはならない時の雰囲気は分かる。というか何を喋ればよいかわからない。こんな時に限って以前廃墟で喝を入れられた記憶がまざまざとよぎる。
半分ぐらいの道のりを進んだ時、おもむろに君原先輩が口を開く。
「なあ、京介ちゃん」
不意打ちな声かけに、僕はワンテンポ遅れて返事してしまう。
「何ビビってんだよ。廃墟のことは水に流そーぜ! 俺も言いすぎた所あるからよぉ」
やはり彼は軽かった。
「いえ、あの時は僕が愚かでした」
「うん、愚かだった。悔い改めるがよろしー」
……突っ込み不在。
「あいつあほだからな、一から百まで自分の中に封じ込めちまうんだろーなー。そういうところ馬鹿」
「君原先輩が三森さんの悪口言うなんて意外です」
「あ? おいおいおい俺を何だと思ってんだよ。この前言った通り、俺は聖人君主でもないんだけど」
爆笑しながら君原が言う。
「別に俺はあいつのダチを自称してるけど、別にすべて肯定するわけではねーよ」
「さばさばしていますね。三森さんみたいな思考だと思います」
「まあな。あいつの性格が移ったのかもしれないな。かなり長い時間一緒にいたし」
三森さんとの一緒にいた期間は、僕の何十倍も長い。
……きっと僕より、三森さんの死に対し複雑な感情を抱いているだろう。
「なあ、お前さ」
「なんですか」
「三森を見つけてくれてありがとな」
不意なお礼に僕は驚く。
「いえ、というか、先輩がいなかったらずっと燻ったままでした」
「……正直さ、俺も三森と会うことに躊躇してたんだよ」
「そうなんですか?」
意外だ。彼はいつもガヤガヤと三森さんと話していたのに。
「あいつ、かなり変わってた。やせ細ってたし、語尾にも覇気がなかった。ナルシスト口調も……なんというか、精気がないんだよ」
全く気付かなかった。彼だからこそ、気づけたのかもしれない。僕はまだ三森さんの口調の細かい機微を感じ取ることはできない。いつも通りの彼女に見えた。
「笑顔を保つのが必至だったよ。本当に、あいつは変わっちまった。もっと先に打ち明けてくれればよかったのに。いや、駄目か。俺みたいな低能の高校生が、何かを成すことができない。あいつもそれを分かっていたんだろうな」
最後は独白のようだった。君原先輩は口元だけは笑顔だけれど、目だけはどこか空ろだった。
「なあ柏木。ひとつお願いがあるんだよ」
「なんでしょうか」
「三森、多分だけど、お前を頼りにしてる。だからしっかり力になってやれよ」
なぜそれを僕に託そうとするのか。本来なら君原先輩の役割ではないのか。
それを察してか、君原先輩は苦笑しながら補足する。
「俺はもちろんだ。だけど、きっとあいつ、お前のこと愛玩動物か何かと思ってるから」
「それは多分あるでしょうね……」
完全に遊ばれてる感ある。
「だからだよ。あいつのメンタルの力になってやれ。その役割はお前が適任だろうからさ」
ノリに任せている風にも見えるけれど、その目だけは真剣だった。ここで冗談を返したら間違いなく張り倒されていた。
「了解です。だけど、君原先輩も、三森さんのそばにいてくださいね」
「もちろんだっつーの。ったく、偉そうな口叩くようになっちゃってなー」
「放っておいてください」
君原先輩とは、きっとずっと仲良くできるだろうな、と僕は漠然と思った。
一方間瀬さんには、三森さんの寿命が近いことを告げることはできなかった。間瀬さんは高齢だ、三森さんの寿命が尽きそうなことを教えなくたっていいだろう。
「そう、元気なのね」
心底安心している間瀬さんに、残酷な事実を伝える必要なんてないだろう。できるはずはない。
「暫く身体の不調で来れないようですけれど」
そう、と間瀬さんは手作りの素うどんをこさえてくれた。安定のおいしさだ。このだしの素材は一体何なのだろうか。そのまま無言でずるずると啜る。
三森さんの分の空席が、少しだけ寂しかった。多分、二度とここに座るものは現れないのだろう。
きっと彼女は死ぬだろうから。少しだけ、笑顔がひきつった。
「あの子、心配だったのよ。時々息も切れていたし、アシスタント君が来る前も、少し体調が悪そうな様子もあったのよねぇ」
もっとそれを早く言ってください。
「あの子は優しいから、何事もないようにふるまっていたけれど、たまに薬のゴミを忘れてることだってあったのよ。ああ見えて時々抜けてるのよねー」
「そうだったのですか……」
「アシスタント君には隠してたから、私も教えようとしなかったんだけどね」
間瀬さんも、三森さんの味方だった。
「戻ってきたら、もっと素うどんのトッピングを増やそうかな」
戻ってきたら。その未来の実現する確率は、どれくらいなのだろうか。
「きっと三森さんも喜ぶでしょうね。彼女、間瀬さんの手料理好きですから」
喜ぶだろうな、きっと。今の僕は、うまく笑顔を作れていただろうか。




