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第二十六節

 一週間かかった。三森さんが入院している病院を探すのに、一週間。中学校をさぼり、朝から晩まで自転車をこぎ、病院を回る日々。ときどき君原先輩と連絡を取りながら、僕はしらみつぶしに学校を回り続けて行った。県内の病院をピックアップし、ようやくたどり着いた、大きな病院。


 三森さんは変わっていた。


 体はさらに細くなり、自慢の黒髪もばさばさ。腕には点滴の針が刺さっており、痛々しい姿をさらしている。今にも折れてしまいそうな、華奢な体。きっと今なら、三森さんの赤いコートはだぶだぶに違いない。


 しかも、泣いていた痕跡も。


 「久しぶりだな、京介」


 しかし彼女はあくまで気丈に振舞っていた。僕を見やるなり、にっこりとほほ笑んで見せる。こんな時なのに、三森さんを取り巻くバニラの香りは消えていなかった。


 その姿に僕は憤怒の感情に駆られてしまう。


 どうして彼女は、ここまで自分のことをおざなりにできるのだろう。


 「久しぶりですね、三森さん」


 「どうしたんだい。ひょっとして、私が恋しくなったのか」


 「冗談はほどほどにしてください」


 怒気をはらんだ口調も、三森さんからしたら脅威でも何でもないのだろう、冗談のつもりはないぞ、とにこにこしている。


 「会いたかったんだろう? 私に」


 「……ええ。会いたかったです」


 「やけに素直だな。正直な男は好きだぞ」


 正直、今更嘘をつくにもならない。病室にある椅子を取り出し、三森さんのそばに座る。つい五分までは自転車で周辺を駆け回ったおかげで、かなり疲弊していた。


 「疲れていそうだな」


 「貴方のせいですよ」


 汗ばんだ制服のブレザーを椅子にかけ、まじまじと三森さんを観察する。


 「なんだい? 私の顔に何かついているか」


 「別に。……痩せましたね」


 「だろうな。色々と服薬回数も増えたし」


 「苦しくないんですか」 


 「苦しいさ。だが、今の苦しみは一瞬で終わる。そう信じるしかない」


 「……死ぬんですか」


 気づけばそう尋ねていた。何だかんだ、僕は三森さんの体調が最も気になるらしい。本当に、怒りに来たはずなのに、とても甘いなと自嘲する。


 「ああ。死ぬな。生存確率は何パーセントだと思う?」


 「……聞きませんよ」


 「それが賢明だろうな」


 「以前、言っていらっしゃいましたよね。一番死ぬのが怖いと」


 掃除のとき、彼女はそう言っていた。その闇に沈んだあの瞳を、今ならはっきり思い出せる。三森さんは、これを予測していたんだ。自分が朽ちるこの時を。


 「怖いさ。死は無情だよ。何も生まない、何もかもが喪失する。自分ですら」


 三森さんの目が、暗くなる。


 「私の当初の目的はね、君を利用して死の怖さを緩和させるつもりだった。けれど、駄目だった。やはり怖いものは怖いものだ」


 三森さんは薄く笑う。窓から覗く曇り空が、この場の雰囲気を優鬱にしている。


 「なあ、京介、君はなんで生きようと思えたんだ?」


 「それも利用の一環?」


 「単なる好奇心だよ」


 三森さんはなにを考えているかわからない。しかし、これは正直に答えた方が良いかと思う。


 「三森さんがいたからですよ」


 三森さんのおかげだ。何もなかった僕に居場所を与え、生きる活力を与えたのは、三森さんだった。だから今こうして立ち直っている。こうして生きて、三森さんに憤怒を抱くことができる。


 「私かい?」


 「はい」


 「恐縮だね」


 三森さんは肩をすくめ微笑する。


 「……三森さん、貴方には――」


 支えてくれる人はいますか。


 僕の問いに、彼女の目はあからさまに泳いだ。そのまま口を閉ざし、視線を下へ向けた。


 「いない。君原はいい奴だ。だから頼れない。京介は年下だ、お婆ちゃんにも悪いから」


 「貴方の両親はどうなんですか」


 「危篤状態の娘に顔を見せない時点で見限ってるよ」


 そう言えば、僕は三森さんの両親を見たことがない。


 ……まさか。


 「君の思っている通りだよ。私にも色々と家庭事情が立て込んでいてな。金だけはかけてくれるのは感謝だな」


 皮肉めいた口調に、僕は大抵のことを察した。そうだ、よく考えればわかる。ガンなのを分かっていて、一人で廃墟に行かせる事態普通ではない。


 「そんな顔をするな。おかげでお前は私に会えたじゃないか。それで充分だろう」


 よほど僕が寂しそうな顔をしていたのか、三森さんはフォローする。


 「……三森さん」


 「なんだ?」


 「本当に馬鹿ですね。こんな姿になるまで普通遊び歩きますか」


 「馬鹿さ。あいにく私はそれほど利口ではないのでな」


 反省したそぶりは見せない。素晴らしい思考回路だ。


 「……三森さん」


 「なんだい?」


 「三森さんには、待っている人がいないんですよね」


 「ああ。いないぞ」


 「じゃ、僕が待ちます」


 三森さんはあからさまにきょとんとした。しかし、ふっと三森さんが苦笑をする。


 「そうか。待っていてくれるのか。面白いことを申すものだな」


 「笑いごとではありません」


 思いがけず強い口調になってしまう。三森さんは笑顔をやめ、すっと真顔で僕を見る。


 「三森さんは弱い人です。だから、僕が支えたいんです」


 「……私は君にひどいことを言った。これからもきつく当たるかもしれない」


 感情の読めない、三森さんの瞳が、僕を射抜く。まるで僕の覚悟の度合いを確認しているかのようで。


 「そうしたら甘んじて受けとめます。今度は僕が、三森さんの支柱になります」


 三森さんが僕を助けてくれたように、今度は僕が彼女を護っていきたい。


 「僕は本当に頼りないです。頭も悪いし、運動もできません。乗りもよくありませんし、敬語体からずっと抜け出せないでいます。それに、未だに僕の中にくすぶる劣等感はぬぐえません」


 だけど、僕にはいる。そんな僕にでも接してくれる人たちが。ずっと僕を見守ってくれる先輩や、僕が誤れば道をただそうしてくれる先輩。どこかおせっかいでおいしいものを作ってくれるお婆ちゃんも、誰よりも身近にいてくれる姉も。


 「そんな僕でも、三森さんのおかげで生きる事が出来ました。だから僕も、最後まで三森さんに生きていてほしい。孤独とかじゃなくて、最後まで笑っていてほしいんです。君原先輩達もそう望んでいるはずです。一人だけ勝手に逃げて、全てを欺いて相手を護ろうとする下手くそな悲壮美とかなんて要りません」


 途中から感情に任せて叫び続けていた。ずっと言えなかった言葉が、考えるより先に口から飛び出す。


 「高校生の貴方からしたら僕なんて矮小な存在かもしれないです。それでも僕は、僕の浅知恵で貴方の役に立ちたい。だから、どうか僕を柱にしてください。三森さんが笑って人生を終えるための。少しでも恐怖を考えないための」


 生きてくださいなんて言えば、きっとそれは三森さんの足かせになる。だから僕は間違っても生きてくださいなんて言わない。ただ、この感情だけは伝わって欲しい。


 「どうして」


 「……何がですか」


 「どうして私のためにそこまでしてくれる?」


 感情の分からない声色と、いつになく弱弱しい眼差しに、するりと僕は本心を告げていた。驚くほどに、あっけなく。


 「僕は――」


 三森さんが、好きだから。





 言った瞬間、三森さんが分かりやすく硬直した。


 僕も硬直した。


 ……。


 …………。


………………。


うわあああああああああああああああああああ!


やべぇええええええええええええええええ!


 感情に任せた自分が愚かだった。まさかこのタイミングで言っちゃう? いやいやいやもうマジで死ぬ。顔に熱が集中し、いやな汗が背中を垂れる。


 さすがの三森さんもキャパオーバーだったらしく、見たことがないくらい呆けた顔をしていた。その驚きに染まった目で僕を見ないでくれ……。


 「べ、別にそういう意味で言ったんじゃないんですよ! ほら、あれです、言葉の綾です! 本当に!」


 今更ながら苦しい言い訳。個室部屋じゃなければ間違いなく注意されるだろう声量で弁解を試みるも。


 「……ふ」


 「なに笑ってるんですか!」


 「あははは、このタイミングで口滑らせるなんて、君はやはり面白い人間だねぇ、うん、最高!」


 ゲラゲラと腹を抱え笑いだす三森さん。もう本当に嫌ぁ……帰りたい。両手で顔を覆い、そのままうなだれる。


 「あーまあ君が私のことが好きなことくらい把握済みだったけど」


 「そうだったんですか!」


 心臓止まった。じゃあ、ずっと僕の気持ちは見透かされていたのか。それを知らずに僕はずっと三森さんのそばに空しく恋情隠し続けていたのか。黒歴史だ。もう死にたくなってきた。


 「ああ。初めて会った時とは違って感情の機微が読みやすくて面白いわ」


 「もう放っておいてください……ああもう」


 バレてるならもう隠さない。ある意味やけだった。


 「三森さん!」


 「なんだい?」


 「好きです‼」


 やけっぱちな告白に、三森さんはクスリと笑う。


 「君は、積極的になったね」


 すっと伸ばされる、細く、白々とした手が、僕の頬を撫でた。


 「私も、君みたいに強くなれるかな」


 その問いかけに、僕は迷いなく答えた。


 「なれますよ。絶対。僕みたいなやつでもなれたのですから」


 「……そうだな」


 頷いて、三森さんは窓の外を見上げる。先ほどまでの曇天は晴れ、太陽の光が地を照らし始めていた。


 「なあ、京介」


 「なんでしょうか」


 ひんやりとする三森さんの手にどぎまぎしていると、彼女は僕のほうを向いて、にっこりと笑って見せた。先ほどまでの強張った、作り笑いではない、小説が捗っている時や、チョコをほうばっているときの心底楽しそうな笑顔に、僕の鼓動は早くなる。


 「君の告白を、私は受け入れることができない」


 冷酷な一言。しかし、僕の気分は不思議と全く曇ることはなかった。


 「そうですよね」


 今の三森さんに、恋愛云々している場合などないのだ。加えて僕は彼女と不釣り合いだ。今だに三森さんのペースを掴めていないし、スペックも違う。僕だったら、三森さんにいらない苦労を掛けさせてしまう。だから、これで正解なんだ。


 チクリと胸に刺さるような痛みを、僕はあえて黙殺した。


 「だけど」


 「なんですか?」


 「ずっと一緒にいてくれよ? お前は私の部下なのだから」


 部下じゃないです、と訂正するのは今でなくてもいいだろう。


 「分かりました、三森さん」


 僕は、彼女のそばにいられれば、どんな形だって良いのだ。


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