第二十四節
京介が私のことを好きになったことを知った瞬間から、彼を遊び始める私はひどい奴だと思うが性格があれだから仕方がない。
いや、認めよう。最近、私は京介を観察するだけで楽しくなっていた。
なんというのだろう、ペットのモルモットを観察しているときと同じ心境だ。
白銀世界の一件の時をきっかけに、彼は少し前向きになったようだ。勉強も教えてあげることに。これは慣れていない私もきつかった。しかし京介はそんな私のプチ授業を受けてくれるし、友人もできたそうだ。しかも彼は学校へ行くようになったという。他人のことなのに私まで嬉しくなった。
「よかったな、京介」
「三森さんのおかげですよ」
はにかみながら笑う彼。そんな京介は、初めて会った時のような、ふてぶてしい面構えではない。変わったな、と私は笑顔を振りまく京介を見、少しだけさびしくなる。
……さびしい?
なんでだ。しかしぽっかりと胸に穴が開いた感覚は拭えない。親離れした息子を見守る感覚かな。
「これからもよろしくお願いします、三森さん」
「こちらこそ。暇があったら何か話してくれよ」
「もちろんです」
そう笑っていたのは、はるか昔。
馴れ合いから生じた隙と、京介にいらない心配をかけさせたくないという小手先の嘘が、私たちを割いた。そうだ、大雪の時気付いていたはずだった。私にはもう時間がないと。
問題を先送りにしようとしたおかげで、守りたい奴を失った。しかも廃墟で発作を起こしてぶっ倒れて、間瀬さんを驚かせて、ろくに君原と話すらできないままここに来た。本当に、最悪な末路だ。幸い金はあるので個室部屋は当てられたけど、両親はおろか、入院先を知らない友人達は来ない。
「京介……」
思えば不思議な縁だった。だけど、いつの間にかその縁を守っていきたい、そう思い始めた矢先にこれだ。混乱して君原にどうすればいいか聞いたが、結局回答されずにこうなった。
今頃京介は中学校で青春しているんだろうな。私なんて忘れて。
遺書を書いたものの、未だに書き足りないことだらけだ。まあ形式的に書いてみただけであまり意味がないのだが。それほどまでに私は後悔していた。京介は未だに怒っているだろう。
「自業自得か。傲慢なフリをした人間は、フリによって身を滅ぼすか」
小説のネタになりそうだな。作るつもりはないけれど。
そこに置かれていたパソコンを起動する。そこに開かれていたのは、題名未設定の小説のデータ。
すでに五万文字を突破している小説。私と京介の物語。他の小説よりも文法的にごたごただったけれど、どこか愛着がわいてしまう作品。喧嘩したところまで書いた後から断筆状態だ。いつの間にか途中でエタらせるという選択肢が喪失した作品だが、多分、完結しないだろうなと呟く。自己嫌悪に苛まれながら、私はキーを叩こうとしたが、やがて止める。今の私は、何も書くことができない。
……せっかく、京介に読ませてやろうと思ったのに。
何もやる気がわかない。生きてやろうという気分はない。
美鈴先輩のおかげで一度は救われた命。だけど、もう、遅い。何もかも遅い。君原も不義理なことをしたし、京介は言わずもがな。
今になって、はっきり分かる。
京介は私にとっての、ある意味清涼剤だったのかもしれない。あの声が懐かしい。最初の冷たい声色も、はじけたような、楽しげな口ぶりも。三森さん、と呼ぶやや甲高い口調も。もっと先に打ち明けておけばよかったんだ、そうすればこの状況は打破できたはずなのだ。いや、どの道結果論だ、何考えてもすでに遅い。
たまに外出許可が下りると、私は決まって病院回りの公園に訪れる。なにもない、広大な原っぱには、子供たちがワイワイと騒いでいる。遠くで母親や患者がほほえましそうな視線を送っている。とにかく開放感があるし、時間はあまりあるほどあるから、水色の患者服のひらひらした素材を思い切りひらひらさせたかった。
「いい風だな」
寒い風に当たると、少しだけ生きてるという実感を得られる。空気もきれいで、深呼吸すると肺の中まで清められている気がする。
京介とも一緒に来たかったな。あいつ、きっといいところですね、と変わらぬ敬語口調で言うだろう。
「ねえ、お姉ちゃん」
最初、私に対して呼ばれたとは知らなかったが、くいくいと太もも当たりの服を引っ張られ、振り返る。
小さな子供がいた。四、五歳くらいの女の子だ。あどけない顔立ちで、純粋無垢な顔を私に向けている。
「なんだい、おちびちゃん」
しゃがんでその子と目線を合わせる。かわいい子だ。成長したら、きっと私レベルの美少女になるだろうな、と漠然と思う。
「お姉ちゃん、なんで悲しそうな顔してるの」
「悲しそうな顔」
女児の言葉を反復する私。そんなに私は悲しそうだったか。好奇心をのぞかせる女児は、くい、と私に顔を近づけた。めっちゃにこにこしている。
「そんな顔をしていたかい? 私は」
「うん!」
元気いっぱい首を振る子供。
「おねーちゃんがお話聞いてあげる!」
「おねーちゃんね……」
ませた子供だ。だが、かわいいから許す。
「私くらいの年になるといろいろあるのさ」
「じゃあおばーちゃんなのー」
京介や君原だったらブッコロだった。笑顔がひきつる。一応私は十七なんだけど。
「おばあちゃんじゃないよ、お姉さん」
「私がおねーさんだからおばーちゃんなの」
「いやお姉さんだから」
「じゃあひいおばあちゃん」
きらきらした顔をしておばあちゃん連呼してくる女児。おい……。
「まあそれは置いておいて、何があったのー」
それ置いちゃだめなやつ。……まあいいか。
「……色々とあったんだよ、友達とけんかしてしまったんだ」
別に相手は子供一人だ、別に全部話す必要はない。気まぐれで、めっちゃ簡略化して話した。
「そしてね、もうその友達とは絶対に会えなくなってしまうんだよ」
死ぬからね、とは言わない。別に女児の返答に期待していなかったけれど、難しそうな顔をして考えてくれるので、しゃがんだまま待機する。
「う~ん」
女児はうなり続ける。……何も考えが思い浮かばなかったのかもしれない。
「ごめんね、変な話しちゃって。さ、他の子と一緒に遊びなさい」
「お姉ちゃんも遊ぼ!」
女児はそう提案した。
「え……私も」
「うん! ねーゆーくん! まーちゃん! おねーちゃんも遊んでくれるって!」
やばい。運動あまり出来ないんだけど。しかし女児の嬉しそうな顔に押し負けた。何だかんだ、私は甘いのかもしれない。
しばらくたくさんの子供達と戯れることになった。鬼ごっことか体力的に勘弁してほしかった。しかし最初は遠慮交じりに遊んでいたのだが、三十分ほど経過した所くらいでテンションが上がってきた。あっという間に子供達と打ち解けて、隠れ鬼やけんけんをして遊ぶ。
時間がたつのは早いもので、あっという間に五時を回ってしまった。二時間ほど遊び続けた計算だ。よく体力もったなと私の細くなった両手を見、少し元気がわく。意外とイケるな。
「おねーちゃん、また遊ぼーねー!」
たくさんの子供たちが病室に戻っていく。最初話しかけてきた女児は、最後まで私と一緒にいた。病院までの雑草まみれの道を、無邪気に踏みつけていく。
「楽しかったね、おねーちゃん!」
「そうだな。また遊んでいいかい?」
「うん! だいかんげーだよ!」
ほほえましい、天使みたいな笑顔を向ける女児。多少無理して体力ひねり出した甲斐があった。
「……所でおねーちゃん」
「なんだ」
「友達のことだけど」
まだ覚えていたんだ、と驚くも、表面上にこやかにふるまう。
「なんだい?」
「本当に会いたいの? お友達に」
「……ああ、もちろん」
「じゃあなんでお姉ちゃんは――」
その人のもとに行かないの?
不思議そうに尋ねてくる女児に、私は薄く笑う。
「時間がないからさ。いつ発作を起こすかわからない」
「だけど私たちと遊んでたじゃん。その時に行けたんじゃない」
返す言葉がない。そういえばそうだ。二時間程度で私がいつも使っている廃墟にたどり着く。しかも徒歩で。よく考えればわかることなのに、どうしてその考えに至らなかったのか。薬だってストックはあるし。
もちろん京介に投げた言葉をずっと後悔している。取り消したい、謝りたい。なのに、私は不思議と自分から接触しようという考えを持っていなかった。
どうして。遺書を書いたから? 違う。遺書なんかに、私の気持ちは収まりきれない。
簡単だ。
拒絶されるのが怖い。手紙やラインならまだ耐えられる。しかし、面と向き合うのはつらい。京介からしたら、大切な支柱だった私に裏切られたと思っているはずだ。
本当に、どうして私は京介に情を抱いてしまったのだろう。もし初期のドライな関係だったら、私は後腐れなくお別れできたのに。今では情を捨てきれない私が憎い。何より、せっかくの繋がりを壊してしまった自分に嫌悪感しか持てない。
突然黙りこくった私に、女児は再び言葉を紡ぐ。
「だいじょーぶだよ!」
「何がだい」
「おねーちゃん優しいもん! きっと仲直りできるよ!」
「どうかな」
私のしたことは最低だしな……、と半分聞き流していると。
「でもおねーちゃん、絶対後悔するよ」
「どうしてだい」
「会えなくなるなら、最後にあわないと嫌じゃん」
女児ぴょんぴょんとび回り、軽い口ぶりでそう言い切った。
何気ない一言だったが、なぜか私の胸には女児の言葉が刻みつけられる。無意識に立ち止まる私を、女児は不思議そうな顔をして見上げる。
「どーしたの? おねーちゃん」
「いや、何でもない」
最後。
……会う資格がないと諦めていたが、このままいけば、最終的なケンカ別れということで全て終わるのだろう。自覚はしていた。しかし女児の言葉が、その現実をはっきりとさせた。
「でも大丈夫! おねーちゃんは大丈夫だよ!」
「……ああ、そうだね」
……私らしい最期かもしれないな。内心自嘲気味に笑った瞬間。
腹部に、いやな痛みが走った。数秒ほどそれが痛みではなく熱だと思うほどの、急激な激痛。
身体の重心を崩し、ひざまづく。やばい、と自覚した時にはすでに遅かった。食道からこみ上げる、異物感。
「うえ!」
口から垂れる鮮血が、ドバッと草むらを赤く塗らした。やばい。激痛が頭の中を駆け巡る。腕から力が抜け、そのまま仰向けに倒れる私。
やば……い……な。
痛みで朦朧とする意識の中、女児が戦慄するのが見える。……悪いことしたな。突然話している人が喀血するとかトラウマものじゃん。
……やばい、これ、死ぬ?
口角を上げようとしても、皮膚の感覚すらなくなりそれもかなわない。
いつか死ぬとは思っていたけど、まさか、こんな形で?
……いやだ。
いやだいやだいやだ。
死にたくない。
まだ。
まだ、私は何も成せていないのに。迷うだけ迷って、そのまま死んでしまうのか。
怖い。怖すぎる。誰か。
京介……
助けて。
たった一秒にも満たない間に回転する脳裏には、走馬灯など存在しなかった。
ただ。
どうして京介ともっと早く会おうと思わなかったのかと、死ぬほど後悔した。




