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第十八節

 曰く、彼女は間瀬さんの部屋で倒れ、救急車を呼んだ。数日後電話越しで生存を伝えられた。そして、暫く入院するということも。廃墟の荷物はいつの間にか無くなっていたらしい。


 「アシスタント君がずっと来ないから、私、ずっと心配していたのよ」


 三森ちゃんも少し影があったし、と間瀬さんは続けた。


 「三森ちゃんもどこか冷たい目に戻ってしまってね。何があったんだろうかと思っていたのよ」


 「……そうだったんですか」


 もっと早くここに訪れていれば、こうはならなかったのか。三森さんが倒れた時点でまずいことになっているのは知っていたはずなのに。なんで僕は……!


 自分のつまらない意地のせいで、三森さんを危険な目にあわせてしまったのだ。


 「どこの病院に入院しているかわかる?」


 「分からないです……」


 連絡手段がなかったから、三森さんの事の顛末も分からなかった。


 自分が悪いのは明白だった。何もできず三森さんを放置した自分に、心底嫌悪する。


 「そう。それと、三森ちゃんからの言伝があるわ」


 「三森さんから……?」


 間瀬さんは悲しそうに眼を細めた。


 「悪かったな、京介って」


その後の記憶はない。ただ、全てを失ったかのような喪失感とショックだけは、覚えていた。





 不登校に戻るとは思わなかった。


 三森さんとは、もう会えない。入院先も不明だし、廃墟に戻ってこないとも言った。ならばもう僕に接触手段はない。


 三森さんがいなくなった今、僕はまさに抜け殻のような日々を送っていた。後悔と罪悪感で軽い鬱。過去にああしていればという後悔ばかりがこみ上げる。テスト前に勉強していればよかった、と思う奴と同じだ。また以前のように、そんな自分に自己嫌悪する日々。


 学校に行くことが、再び怖くなった。全てが嫌だった。


 悪かったなって、三森さん。


 悪かったのは僕だ。三森さんの心遣いを無下に逆上した愚か者だ。謝るのはこちら側だ。もう、既に遅いけれど。


 「三森さん……」


 大丈夫だろうか。入院はうまくいったのか。……ひょっとしたら、もう。


 「だけど、今更どう話せっていうんだよ」


 僕にはもう三森さんと会う資格がない。例え無事であろうと、三森さんの元に訪れることなどできるはずがない。


 激情に任せ喧嘩別れし、結局三森さんを助けられなかった。もし間瀬さんの所までたどり着かなかったとしたら、きっと三森さんは……。


 自分のふがいなさを呪詛しても、全ては遅い。


 彼女と出会う前の、自堕落な生活。勉学にも集中できないまま、僕はなにもできず死んでいた。


 無気力であるのに真っ先に気付いたのは、やはり姉貴だった。


 「覇気がない。暗い。死にそう。生きてる?」


 電話越しなのに秒でばれた。


 「なんと言うか、姉貴ってたまに容赦ないですよね」


 「何かあった?」


 「別になんでもないです」


 「はいダウト」


 一発でばれた。しかしさすがに三森さんの病気のことをもろもろ言う訳にはいかない。しかしこれ以上しらを切っても意味がないと踏んだ僕は、簡単に三森さんと些細な事で喧嘩したと伝えた。


 「ああ~だけどミモリンは過ぎたことは一瞬で忘れるよ」


 「そうなんですか」


 「謝ることなんてなかったからな~。高校時代では」


 「……そう、なんですか」


 謝ることがなかった? しかし、間瀬さんツールで彼女は詫びていた。それは、イレギュラーだったのか。


 「まあ大丈夫。ミモリン本当は心やさしいし、言動ほど変人じゃない所あるから」


 姉貴は大丈夫だよ、と電話口でコロコロと笑っていた。


 ……それでも、僕がやってしまったことは、許されるだろうか。本来そう僕が考えること自体おこがましいだろうけど、それでも考えてしまう。


 三森さんと会いたくなかったのが、会いたいけれどあえないという理由に変わった。僕が彼女に合う資格なんてあるのか。


 三森さんは僕を利用していたと言った。多分、それは嘘だ。もし本当に利用していたら、間瀬さんにあんなメッセージを残さない。あんな綺麗な笑顔を僕に見せるわけがない。どうして今まで気づかなかったんだろう。


 わざと挑発し僕を自分から遠ざける。そうすれば自分がいなくなっても僕は悲しまないだろうと思ったのか。


 自分と縁を切らせるために、三森さんは……。


 「大人ってずるいですよ」


 僕は三森さんみたいな、利口な高校生に慣れる気がしない。


三森さんに毒ついても、既に全ては遅い。





 三森さんに会えるはずがない。彼女に僕はなにもできなかったのだから。燻りながら、僕は家から出、廃墟へと向かっていた。


 三森さんが消えてから一週間。僕は毎日欠かさず廃墟へ訪れていた。三森さんのいない、冷えた廃墟に。


 椅子に座ってみる。考えれば三森さんはいつもそこにいたし、僕はここに座ったことがなかった。


 彼女の椅子を回す音がしない。三森さんのように、カラカラと椅子を回す愉快な音はなく、僕がやるとひどく空虚でつまらない。


 そう言えば、喧嘩別れする直前まで読んでいた小説、最後まで読めなかったな。


 椅子にかかってきた三森さんの赤いコートが幻として残っている気がした。


 三森さんのバニラの香りもしない。


 三森さんは生きている。


 だけど、多分、姿を消したということは……。


 嫌でも想像してしまう最悪な結末。


 死んでしまうかもしれない。


 三森さんが、死ぬ。


 恐らく僕の目に光は宿っていないだろう。机の前にある十字窓から、泥色の雪を見下ろす。三森さんはどんな気持ちで窓から見下ろしていたのだろうか。


 ……そう言えば、引き出し、トラップってまだ残っているのかな。


 不意に僕は気になり、引き出しを引く。


 トラップはなかった。


 元々なかったか、それとも解除したか。


 驚いたことに、中には便箋が一枚入っていた。


 三森さんからだ。驚いた。あの人が僕に手紙を残すとか考えられない。……と言うか、僕が今ここに来ること自体予測されていたんだ。


 しかし、なんとなく僕はその便覧を開ける事が出来ず、再び引き出しを閉めた。


 読んだら最後かもしれないから。


 自業自得なのに。


 「会えないって、本当にもやもやするんですね、三森さん」


 冷えた部屋の中で僕の独り言は一瞬で掻き消えた。





 「やっぱりいないか、三森のやつ」


 聞き覚えのある声に振り返ると、入口のドアにもたれている君原先輩がいた。いつもの陽気な笑顔ではない、重苦しい表情。それに、どこか苛立ったようなまなざしを送っていた。


 「君原先輩」


 「あいつが突然入院したって聞いたからな。病院わからねーからここに来たんだが」


 「三森さんはいませんよ。暫く戻ってこないらしいです」


 多分、ずっと。僕が椅子をカラカラと回し向き直ると、君原先輩が問うてきた。抑揚のない、冷たい口調だった。心臓の音が加速するのを感じる。君原先輩らしくない緊迫した雰囲気に、僕はすっかり呑まれていた。


 「知らなかったのか。あいつの容体が悪かったこと」


 「……知りませんでした」


 「嘘だろ、それ」


 君原先輩の眼光が鋭くなった。元々不良だと、彼は以前言っていた。それは本当らしい。そのどすの利いた音程に、僕は完全にひるんだ。何も言い返せない中、怒気をはらんだ君原先輩の声だけが響き渡った。


 「やっぱり嘘ついてたんだなお前」


 「すみません」


 涙が出そうだった。三森さんだけでなく、君原先輩までいら立たせてしまった自分が腹立たしい。


 「何について謝ってんだよ」


 「……嘘をついたこと」


 「それもある。だけど、もっと先にあいつが重症だってことを教えてくれていれば、こっちだってフォローできたんだよ」


 気付けなかった俺も悪いけどな、と君原先輩は舌打ち混じりに言っていた。彼も、彼なりに自己嫌悪の念を抱いているようだった。


 「ったく、喧嘩したのは知ってた。カマ掛けたら普通に素知らぬ風にしやがってよ」


 学校の帰りのことだろう。やはり、三森さんは話していたんだ。


 「……怒っていましたよね」


 「三森が、か?」


 「……自分勝手に激情に任せて。三森さんの気遣いを汲み取れずに逆切れしたんです、怒られて当然ですよ、僕なんて」


 自分が嫌いだ。呆れられているに違いない。


 君原先輩は、そんな僕をじっと見ていたが、やがて口を開いた。


 「別に、あいつはお前に対して怒っていなかったぞ」


 「……そう、ですか」


 利用されていたんだ。そうかもしれないな。


 その悲観は、君原先輩の次の一言で掻き消えた。


 『どうすればいいんだろう、私は』


 「……え?」


 「あいつ、かなり焦ってたよ。あんな飄々とした奴なのに、めちゃくちゃ取り乱してた」


 取り乱していた?


 なんで。


 「言いすぎた。どうすればいいって。初めてだよ、あいつが目に見えて動揺するなんて」


 君原先輩は、きっと僕を睨んだ。


 「お前さ、勝手に三森を決めつけんなよ。そういや最初からお前、三森に対し変な理想像押しつけてたよな。あいつは完璧じゃないし、俺らより脆い。とても、な。お前を利用した? お前に失望した? お前それ本人に確認したか? してねーだろ。つーか怖くてやってねーだろう」


 僕の胸倉をつかみ、強引に席から立たせながらつばを飛ばす。返す言葉がなかった。君原先輩の言葉だけが、僕の頭の中で反響した。


 「勝手に三森の傍を離れんなよ。お前が思っているほどあいつは冷酷じゃねぇ」


 衣服が首周りにさすれて痛む。しかし、そんなことは埒外だった。


 「あいつ、以前男に捨てられてんだよ。中学生には言えねえような仕打ちを受けてよ。それ以来俺以外のやつには笑顔こそ見せるも弱みを見せない」


 人間不信。おおむねそう言った所だ、と君原先輩は言う。


 思い出す、姉貴から聞いた、三森さんの以前の恋愛。


 「お前を連れてきた時、俺は驚いたさ。そんなこと初めてだったからさ。あいつがいい方向に変わりだしたんじゃねーかって。だから俺はお前が三森のそばにいてほしいと思ったんだ。だけどなんだその体たらく」


 解放される胸元。君原先輩は疲れたまなざしのまま窓の外を見上げた。


 「もう少し人を信じろよ。自分で勝手に自己完結して離れるんじゃねー」


 君原先輩は乱暴に吐き捨てて、じゃーな、と僕に背を向けた。


 「俺はあいつを探す。どこ病院かしらねーけど、必ず見つけ出す」


 呆気にとられる僕を置いて、君原先輩は振り返ることなしに出て行った。



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