第十一節
朝、目覚めると、外界が銀世界になっていた。庭は真っ白で、未だシンシンと粉雪が吹雪いている。ひたすら寒い。けれど、幻想的な白さに、僕は魅入られるように窓を開け、庭へ下りた。
「初雪、か」
吐く息が白く染まり、霧散するのを見ながら、僕は自分の髪に落ちた粉雪をつまむ。雪は僕の手ですっと溶けていく。遠くでキャッキャと子供たちが雪合戦している。かくいう僕も、胸の奥からうずうずした気持ちが吹き上がる。
こういう日、出掛けたくなってしまうのはどうしてだろうか。大人になり切れていないからか。手早く制服の上にコートを羽織り、僕は一目散に外へ飛び出した。
行き先は一つ。三森さんの廃墟だ。というか、僕の行動範囲はもはやそこしかない。
所々に見られる、拙い雪だるまや鎌倉。町全体が初雪に浮かれていた。子供たちがキャッキャと騒いでおり、時折雪合戦の雪玉が僕をかすめて飛んでいく。
果たして、三森さんはこの大雪を見ているだろうか。
……どうせ彼女のことだ、小難しい事を言って僕の高揚感をつぶしにかかるだろうな。とにかく、どういう感想でもいい。僕は三森さんと一緒に雪を見たかった。理由は無い。そういう気分だ。
獣道を通る。いつの間にか自分の通り道の草が踏み倒され、小道が形成されているのに気付く。
予想通り、三森さんは廃墟にいた。
彼女は雪に対し達観も小馬鹿にもせず。
「見たまえ京介! 雪だるまだ!」
先ほど見かけた子供と同じことをしていた。大人しそうな三森さんの姿とは相反し、活発に雪玉を転がし、厚くしていく。白い息を吐きながら、一所懸命に作っている。手はしもやけで真っ赤なのに、それでもがんばっている。赤のコートと白のマフラーは水を吸い、随分と重そうだ。
「三森さんのことですし、雪はなんとかだとかうんちく垂れるかと思っていました」
目を輝かせる三森さんはぺたぺたと雪玉の形を整えていく。
「私がそんな風流も無いことを言うと思うか? それより雪だるま作るぞ!」
廃墟付近には間瀬さんの家しかない。つまり、大量の雪が手つかずのまま保存されている。
「いや~本当に助かるよ。畑にも雪がかぶっちゃったからねぇ」
「大丈夫です。お婆ちゃん。私たちが頂きます」
暖かそうなカーディガンの間瀬さんの畑の雪を根こそぎ奪いとる。
「京介、お前は頭の部分を作れ。私は胴体を大きくする」
既に直径一メートルほどの雪玉をなお転がす三森さん。どれだけ大きな作品を作るつもりなのか。
「なんと言うか、三森さんが雪だるまを作るというのは意外です」
「私だって年相応に遊びたいものだよ」
ほら手を動かして。三森さんが急かす。彼女の球はやや大きめで、重いのか転がす速度が落ちている。
早く僕も手伝おうとひたすら雪を巻き込み大きくしていく。意外と早く盛り上がる雪は、徐々に肥大化していく。
無言でモリモリと雪玉を作る。最終的に三森さんの雪玉は二メートル近くになった。僕の身長よりも高いんだけど……。
「よし、こちらは完成だ。京介、頭を乗せて」
「え、あ、はい」
持ち上げようとして、気づく。
……重い。
予想の範疇をあっさり越えてる。雪玉を壊さぬように力を加減し、再び腰に力を込めるが、持ちあがらない。
「まさか、持ち上げるのが難しいから僕に頭を作れと命じたのではないですか」
「男の子だろう?」
当然、と言いたげな眼差しにキレそうになった。見れば僕の球は八十センチくらい。
ぎりぎり行けるか?
「さあさあ男の子の力を見せてくれ」
「意味深ですか。……まあとにかくやってみますよ」
腰を落とし、雪玉を持ちあげる。きつい。それと横で三森さんがきらきらした目を向けてくるから、やり辛いことこの上ない。フラフラしながら、持っている奴を三森さんの雪玉に乗せるが。
ぐらっとした途端、下段の雪玉が砕け散り、重力のまま頭の球が地面に落ちた。止める間もなかった。
「あ……」
じろりと見られる僕。
「す、すみません」
無残に砕け散った雪の塊を再び作り直す。
「さっきより大きい奴作ろう」
「また割れますよ」
「そしたら再びチャレンジすればよいだけだ」
ごたごた言わずやれ、と三森さんが命じた。
雪だるまができたのはそれから三十分後。
「できたぞ、京介!」
「すみません、何度も胴体壊してしまって」
「いや。最終的にかなりの大きさになったからよい」
満足そうに僕の頭をぺちぺちする三森さん。事実、僕の背丈を越えていた。三森さんは百八十と背が高い。彼女の目線くらいの高さだから、僕たちはドでかい物を作ったのは明白だった。
ついでに彼女が枯れ枝を刺したり、小石を埋め込んだり、バケツを頭にかぶせたりする。本格的に遊ぶな、と感心した。
「おやおや~すごいのを作ったわね~」
もふもふの手袋を身に付けた間瀬さんが、僕らの雪だるまを見上げる。
「ええ。名前は勇者ダルマンです」
いやそんな胸張って説明する話じゃないと思うけど……。
「寒いからゆっくりしてねー」
「わざわざすみません。うわ、暖かいです!」
結局二時間ほど雪だるまを作っていた。三森さんも温かいお茶をもらい、ほっと一息ついている。紫色になった唇が、ゆっくりと赤みを取り戻していく。こたつの中にある両足がやけどしそうに熱く、筋肉がほぐれていくのを感じる。
間瀬さんの部屋の中はぬくぬくしていて、まるで別世界だ。固まっていた体が溶けていく。
「京介も飲むか? 寒いだろ」
そう言いながら自分が口を付けていたカップを回してくる三森さん。心臓が跳ね上がった。
そ、それって、か、間接キスじゃ……? 三森さんが口を付けていた部分が濡れたカップを見、疾しい気分に晒される。
「い、いや遠慮しておきます!」
本能をねじ伏せた。
「そうか?」
あっさり了解して残りをすする三森さん。どうやら僕と違い、一切の邪念抜きで心配してくれたらしい。うわ、飲んでおけばよかったと後悔する。
「あらあら~初々しいわね~間接キスなんて気にしなくてもいいのに」
間瀬さあああん! この人に気付かせないでくださいよ!
間瀬さんの爆弾発言に、三森さんの目が一瞬丸くなったが、やがてふふ、と不敵な笑みをこぼす。まるで新しいおもちゃを見つけたような反応。
「そうだよな。大人っぽい奴だとは思っていたが、お前はまだ十四歳か。そう言うのに興味あるのも仕方がない」
「もうどっか行ってください!」
「激高するのも迫力なくて可愛いな」
けらけらと肩をすくめて爆笑する三森さん。もう恥ずかしい……。
「顔真っ赤」
「三森さんのこと嫌いです」
「実際の所は?」
「……嫌いではないです」
なんか腹立つ!
その後は三森さんだけ雪遊びに興じていた。僕はそのまま縁側に座り、雪だるまを大量生産する三森さんを見つめていた。
雪は一向に止まず、さらに降り積もる始末で、材料に困ることはなさそうだ。せっせと五つ目の特大雪だるまを建設する。黒髪には雪が積もり、手も真っ赤。なのに近所の子供たちのように、活発に雪だるまを作る姿はあきれを通り越して尊敬できる。
「ダルマン五世だ!」
ダルマン以外の名前が思い浮かばないらしい。見てるだけで寒そうだ。と言うか五世とか言うけどまだ三つ目だし。
「寒くないんですか」
「寒いさ。だけど来年は三年だ、受験勉強で遊ぶ暇もない」
今しか遊べないのだよ、と三森さんは白い息を吐きながら、心底楽しそうに応える。真黒な髪には所々雪の白が入り混じり、紺の手袋もぐっしょりと濡れている。本当に、高校生はすごいパワーを持っている。
……受験か。
ふっと憂鬱な気分になる。
受験の季節は、三森さんだけでなく僕にもやってくる。
しかも僕はひきこもりだ。授業には参加していないし、基礎学力も確実に劣っている。
この状態で、一体どこの高校に受かるというのだろう。
「……学校、行かないとな」
既に行く機会を見失っている。サボっていたつけがこれか、と自嘲する僕。
意図的に遮断していた事実に、焦燥のような、もやもやした感覚が腹にたまる。
僕も、三森さんたちみたいな高校生になりたい。
なりたいけど……。
「大丈夫だ、京介」
我に返ると、面前に三森さんの顔があった。大人びた、精巧人形みたいな、華麗な瞳に、心を見透かされている気がしてくる。どきんと心臓が高鳴った。
「学校は好きな時に行けばいい。無理して言って体を壊せば元も子もない。マイペースが大切なんだ」
甘やかすつもりは一切ないけど、と三森さんは両手を後ろで組み、諭すように言う。
「焦らなくてもいいさ。中学の勉強くらい私だって教えられる」
「……なんで考えていること分かったんですか」
「普通に分かる。突然どんよりしたからね」
「すごい観察眼ですね」
ずっと遊んでいたかと思った。
「……勉強、教えてくれるんですか」
「ああ。もちろん、京介が望めばな」
本来なら気休め程度の言葉にしか聞こえないのに、どうしてか三森さんが言うと確かな安心感があった。焦燥が静まり、やがて平常心に戻る。
「ずるいです。最終的な選択肢は僕に振るんですか」
母だったらやるとなったら強制的だろう。実際僕は母の傀儡だった。
「君の自由だから」
三森さんみたいに、もう少し僕に自由を与えてくれたら、僕はこうなっていなかったかもしれない。
「所で、なんでずっと後ろで手を組んでるんですか」
「ん? それはだな」
にやりと不敵な笑みを浮かべた時にはもう遅い。僕の顔面には雪玉が飛んでいた。首元に雪が滴り落ちて、一気に不快感に包まれる。
「うわ! ちょ、何やっているんですか!」
「悔しかったらやり返すことだな!」
シリアスな空気を木っ端みじんにし、三森さんは逃げ出すが、次の瞬間には深みにはまり無様にすっ転んでいた。
「ぶは! 寒い。京介、どうだ? 一緒に雪で――」
「覚悟!」
思い切り投げた僕の雪玉が、三森さんの顔面にクリーンヒット。
「やったな京介!」
三森さんが楽しそうに雪玉を両手に抱える。飛んでくる雪玉を避けながら、的確に三森さんに当てる。
「最初にやったのは貴方ですよ!」
そのまま雪合戦になだれ込む僕ら。
子供に返ったかのように、無邪気に笑う三森さんの笑顔。
そんな彼女の艶笑を見ていると、不意に、自分は三森さんが好きであることに気付いた。
廃墟の二階。いつもの定位置。回転椅子に胡坐をかき、三森さんはカラカラと手持無沙汰に回っていた。スカートから下着が見えそうだが、ギリギリカバーしてる点がエロ……しっかりしている。ブランケットをすっぽりとかぶった三森さんの横には、雪を吸ってずっしりと重くなったコートが掛けてある。
「なんだか、眠くなってきました」
昼時に間瀬さんの手料理を食べた満腹感で、僕の意識はおぼろげだった。とにかく眠い。本の活字を追っていたのも遠因かもしれない。夜更かしした覚えはないのに。
「寝たら死ぬぞ」
三森さんは容赦ない。
「後で起こしてくれませんか」
「面倒なのは嫌いだが……まあいい。死んだら起こす」
「いや死ぬ前に起こしてください――うわ」
「着ていろ」
自分が身につけているブランケットを投げつけてきた。ふかふかで、三森さんの体温で暖かくなったブランケット。三森さんのバニラの香りが、ふわりと舞う。
「いいんですか?」
「そこで凍死されても困るからな」
そう言う三森さんはブレザーに薄いスカート。三森さんの方が寒いはずだ。
「感謝しろよ。私のような美少女に優しくしてもらえるなんてな」
「そうですね」
「珍しく肯定するほど眠いか。暫く眠れ」
三森さんは僕に背を向ける。そんな彼女の背中が小刻みに震えていることに気付く。
「……三森さん」
僕が言うと、三森さんは振り返る。
「何だ」
「いつも、ありがとうございます」
普段なら絶対言えないことも、何故か言えた。頭が少しまひしているためだろうか。
「……ああ。こちらこそ」
少し上がった声とともに、僕の意識はゆっくりと闇へ落ちて行った。




