第十節
二人だけの空間。数日で大みそかと言う頃。
「どうした? 京介。浮かない顔をしているけれど」
パソコンを打つ手をやめ、三森さんが僕の顔色を窺ってきた。……浮かない顔をしているのは自覚している。それどころか、僕は人生最大の疑問にぶち当たっていた。
僕が、三森さんのことが、好き?
以前受けた中学受験の問題の百二十倍は難しい問題だった。
三森さんとかかわって一カ月が経とうとしているが、彼女はまず普通じゃない。
脅迫犯だし、高校生だし、変人だし、何考えてるかわからないし。
理性ではそう思っている。思っていたけれど。
「大丈夫か?」
「え? あ、いや、はい」
なかなか返事を寄越さないのにしびれを切らし、三森さんは怪訝な顔をした。
「挙動不審だな。私が美しさにメロメロなのは分かるが」
自分の悩みがちっぽけになったような気がした。
「安定の三森さんで助かりました」
けれど、正直、三森さんは綺麗な人だ。
スッとした鼻立ちに、切れ長な瞳。官能的な赤い唇――。スレンダーな体型の彼女は、僕より身長が十センチほど高い。華麗、と言えばいいのか。
……決してときめいた訳ではない。と言うか、本来僕の好みは護ってあげてたくなるような、そんな子で。こんなクールで何を考えているか分からない蛇みたいな人では断じてない。
「別に何でも無いです。時間を煩わし申し訳ございません」
「本当か?」
壁を背にする僕に、椅子から立ち上がり、顔を近づける三森さん。彼女の端麗な顔の造形に、思わず視線を外す。途端に不審げな表情をした三森さんが、にやりと笑った。
「ほう? どうしたんだ? 君にしては珍しい反応だな」
「煩いです。小説を書いてください」
「嫌だね。淡々とした君が取り乱すなんて、珍しいじゃないか」
楽しまない手はないだろう? と三森さんが迫ってきた。意地の悪い性格は相変わらずだ。ふわりとしたバニラの香り。
「顔が赤いぞ? 思春期か? 大丈夫さ、男が一度は通る道だよ」
「……! 放っておいてください」
ムキになると、ふふ、と三森さんは微笑しながら、そのまま席に戻った。人を食ったような態度。
「かわいい奴め」
「黙ってください」
心臓がバクバクする。顔がほてるのを感じながら、ひたすら読書に没頭しようとするも、無駄な努力。視線は文字だけを負い、中身は全く把握できないままだ。どうしても三森さんに意識がそれてしまう。君原先輩はとんだ原子爆弾を投下したものだ。
……。
静かになった三森さんを盗み見る。彼女はノートパソコンを膝に乗せ、クルクルと回転椅子を回している。どこか楽しそうな三森さんの口元が、ゆるいカーブを描いていた。……いつまでも見てみたいと思う自分は、絶対おかしい。
こんな人に惚れるわけ無い。絶対ない。地球がひっくり返っても絶対ない。
長い髪の枝毛を弄び、キーを叩く三森さんが、不意に僕を見やる。いつの間にか凝視していた僕は反応に遅れ、不自然に視線をそらす形になってしまった。
あっという間に顔に熱が集まる。何やってんだ自分と、サウナに長時間居座ったような汗が噴き出した。また三森さんが突っ込んでくると覚悟すると。
「京介……」
なんと、三森さんがプイッとそっぽを向いた。
「見すぎだ。恥ずかしいぞ……」
いつものはきはきとした口調ではない、少し照れた感じの声に、もうこっちの心臓が持たない。ギシギシと回転椅子が動く音だけが、無駄に音量が大きかった。
あの、三森さんが、照れた。
いつもだったら有り得ない状況に、僕はさらにフリーズする。
「す、すみません」
「構わんよ」
先ほど迫られた時以上の羞恥に悶えながらも、僕はありったけの気力で平然を装った。三森さんも同様で、パソコンに視線を移し、カタカタと何事もなかったように打ち始めた。三森さんのいじりにどれだけ救われていたか、よく分かった。
この感情をどう取り扱っていいか。相談するには、あの人しかいない。
大みそか。まだ姉貴は家にいる。自室で紅白の番組を垂れ流しながら、僕はベッドに正座していた。
「恋の相談か~」
「なんで僕が言う前に分かるんですか?」
姉貴はニヤニヤしながら、散らかった僕の部屋に入ってきた。
「いや~まさかあのミモリンを好きになっちゃうなんてね」
「好きと決まったわけじゃないです!」
「まあミモリン、かな~り変人だし、付き合うのは難しいかも~」
「聞いてますか姉貴」
一年間生徒会でかかわっていた姉貴だ、三森さんのことなら何でも知っている。
「とにかくミモリンの好みは京君とかけ離れていることを自覚しよーう」
なんでノリノリなのかは置いておき、先を促すと。
「あんな完璧美少女に釣り合う男ってどんな奴よ」
と返ってきた。どうやら恋バナをしたことは無いらしい。ですよねー。三森さんは自分の話は意外としないし、逆に他者の話を引き出して利用するタイプだ。それにロースペックな自分には勝率は無い。いきなり絶望……いや待て、何か三森さんが好きという前提で進んでない?
「だけど、ミモリン、暫く恋愛しないと思うんだよね~」
「どうしてですか」
いや、これ言っちゃ駄目かもしれないけど、と姉貴は念を押した。
「ミモリン、以前恋愛沙汰で色々あったみたいなんだよね」
「そうなんですか」
あの性格だ、よほど相性が良くなければそうなるだろうな。予想しよう、三森さんの性格に彼氏が耐えられなかった。
「私も生徒会時代に聞いたんだけど、言葉を濁すばっかりだったんだよね。君原君は知ってるみたいなんだけど、彼も教えてくれないのよ」
何があったかは闇の中と、姉貴は首を振っていた。無論、僕が介入できる問題ではないだろう。
「まあでも頑張ってみてね。あの子、意外と防御固いから」
弟にこうご期待~と姉貴はさも楽しそうだった。




