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涙を浮かべながら激しく咳き込むサーシャを見たアズレイトは、ぎょっとした表情となった。すぐにサーシャの背後に回る。
「サーシャ様、だ、大丈夫ですか?!」
背を優しくさすられアズレイトからそんなことを尋ねられても、サーシャは頷くことしかできない。
でも、それは「大丈夫?」と聞かれたら「大丈夫!」と答えてしまう悲しい人間の性でしかなく、内心は誰のせいでと怒り心頭だったりもする。
そして近くにいる騎士に向かって「水だ、水っ。急いで持ってこいっ」と叫ぶアズレイトに、その水お前にぶっかけてやろうかとも思ってしまう。
でもサーシャは、大人しく水を飲んだ。噎せすぎた喉が、強くそれを求めていたから。
─── それから5分後。
「サーシャ様、まだ顔色が悪いです。すぐ馬車に戻って横になりましょう。さぁ、わたくしの首に腕を回してください」
やっとこさ息が整ったサーシャは、そんなことを言うアズレイトをギロリと睨み付けた。
「結構です。......あなたにそんなことをされたら、妊娠してしまいます」
目には目を。下ネタには下ネタを。
そんなノリでサーシャが渾身の嫌みを言った途端、アズレイトはぷっと噴き出した。
「ご冗談を。このようなことで、子などできませぬ」
貴様、ぶっとばす!!
恥を偲んで、精一杯この男に合う嫌みを口にしたというのに、真面目に返答されてしまった気持ちをどこへ向ければ良いのだろうか。
んなもん考えなくてもわかる。こいつだ。
「黙れ。このタンポポ野郎」
「......は?」
目を細めてくすくすと笑っていたアズレイトだったけれど、サーシャがそう吐き捨てた途端、きょとんとした顔になった。
自分に向けられた言葉の意味がてんでわからないのだろう。
だからサーシャは、すぐそばに咲いているタンポポを指差して、懇切丁寧に説明をしてあげた。
「これまでのあなたの発言から、私はあなたが、タンポポの綿毛のようにあっちゃこっちゃ種を撒き散らす男だと認定しましたっ。私は、そんな人に触られたくありませんっ」
サーシャはキッと睨み付けながらそう言うと、プイッと横を向いた。
でもすぐに、口に何かが触れた。それは、アズレイトの人差し指だった。
「まったく、貴方様は女の子なんですからそんなことを言ってはダメですよ」
「なっ」
アズレイトは指を離さず、ごもっともなことを言ってくれた。
だがそれは100人が聞いたなら100人が「お前が言うな」と突っ込みを入れたくなるもの。
なのに、これまでずーっとサーシャとアズレイトのやり取りを傍観していた騎士達は、うんうんと頷き合っている。なんか腑に落ちない。
そんなわけで、サーシャがぶすくれてしまうのは当然だ。
なのにアズレイトは、素早くサーシャの膝裏と脇に手を入れて立ち上がった。
「さぁ、風も強くなってきましたので馬車にいきましょう」
「ちょっ、待って───......うわぁ」
急に視界が高くなって、慌てるサーシャを無視してアズレイトはしっかりとした足取りで馬車へと向かった。
それはそれは大切そうにサーシャを抱えて。
さて、馬車に戻ってからもサーシャは不機嫌だった。
いや、馬車に戻ってからの方がはるかに不機嫌になっていた。
無理もない。言いたくもない下ネタで精一杯の不快を伝えたのに、雑にあしらわれたのだ。
けっ、なにさ。大人ぶって。上品な口調で下品なことばっかり言っているくせに。......ん?そういえばこの人いくつ?
ふと気付いたが、サーシャはアズレイトの年齢を知らなかった。
サーシャより年上なのは間違いない。見たところ20代前半に見える。
「あのう......」
「なんでしょう?サーシャ様」
ムスッとしていたサーシャから突然話しかけられたアズレイトは、ものすごく嬉しそうに身を乗り出してきた。
「あなた、年いくつなの?」
「はて。あなたとは、どなたのことでしょう」
「......」
いちいち、めんどうくさいなぁ。もう。
正直そこまで知りたいことではないので、もう良いやとサーシャは思ってしまった。
だが、今まさにボールを投げようとするご主人を見つめる犬のような顔でアズレイトに見つめられてしまえば、やっぱナシは言いにくい。
「アズさんの」
「アズとお呼びください」
「ちっ......アズはおいくつなんですか?」
恐ろしいほど遠回りをして、対して知りたくもない質問をようやっとすれば、アズレイトは嬉しそうに目を細めて答えた。
「今年で25にございます」
「......そう」
ほぼほぼ予想通りだったので、サーシャはこれといったリアクションを返すことができなかった。
ただ自分より7つ上ということは、当たり前だが自分より7年長く生きていることになる。
その日暮らしをしていたサーシャにとって7年後の自分は全く想像もつかなかった。
「......アズは」
「なんでしょう」
「いっぱい経験しているのね」
「いえ、それほどでは」
短い返事の中、アズレイトの森の木の葉っぱを思わせる緑を含んだグレーの瞳が次第に陰り始めた。
あ、なんかマズイこと言ってしまったのかも。
これまで王族ということをすっかり忘れて、この人に相当失礼な事を言ってきた自覚はある。
流石に我慢の限界が来たのかも……。普段温厚な人ほどキレると怖いことは知っている。
何を隠そう自分の母親がそうだった。
そして母の逆鱗に触れてしまった過去を思い出した途端、サーシャはの背中にぞわりと冷たいものが走る。
「......あの、えっと......」
とりあえず謝ろう。
どれが悪かったかは、いまいちわかってはいないが、それでも謝って損することはない。
そう思ってサーシャが謝罪の言葉を紡ごうとしたけれど、それよりもアズレイトが先に口を開いた。まるでサーシャの言葉を遮るように。
「サーシャ様、わたくしは確かに経験はしております。そして種馬ではありますが、あなた様が先程申されたような、タンポポの綿毛のように見境なく種を撒き散らすようなことはしておりません」
「......へぇー」
そう返事をしたサーシャの目は死んでいた。
そして3拍遅れて、この男に申し訳ないと思った自分の気持ちを返してほしいと思った。
ただ、一つわかったことがある。
どうやらこの男は、躾の行き届いたタンポポらしい。




