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「……利点……でございますか」
「そう、ただ働きはしない主義なの」
へにょりと眉を下げて問うたアズレイトに向かって、サーシャはきっぱりと言い切った。
ついでに飲みかけのお茶を飲もうとしたけれど、残念ながら空だった。
アズレイトは顎に手を当て、何か真剣に考えている。
ただ働きはしないという発言は「利害が一致したら王都に行っても良い」というふうにも取れる。
でも、神聖の権化である女性がそんな下品なことを言うのは遠回しに「絶対行かないからねっ」という強い拒絶の言葉にも取れる。
さて、このイケメンはどちらに受け止めたのだろうか。まぁ良いや。とりあえず、お茶のお代わりを淹れようか。
結局、目先のことを優先したサーシャがカップを持って立ち上がろうとした。
その時、アズレイトが引き留めるかのように口を開く。
「浄化の儀の代価を聖女さまが望むのでしたら、その全てを叶えたいと思っております。金でも、領地でも、どんな称号でも。───あと……オイ。聖女さまにお茶のお代わりを」
サーシャに誠実な視線を向けたアズレイトは、ちらっと窓辺にいるお髭がトレードマークの騎士に声を掛けた。
すぐに騎士は「はっ」と短く礼を執って、サーシャからカップを奪うといそいそと台所でお茶を淹れ始める。手慣れているのが妙に気になる。
あと、このお髭の騎士、口元には豊富な毛があるが頭の方には毛と呼べるものが何も無い。
あまりに見事なつるり感に剃ったのか毛根が絶滅したのかこれも気になる。いや、こっちの方が気になって仕方が無い。
だが今は、騎士にあんまり意識を向けられない。
なにせアズレイトが、身を乗り出しながらサーシャに返答を求めているから。いや、頼むから是と頷いてくれと悲痛な表情で訴えている。
でも、サーシャはその訴えを鼻で一蹴した。
「はっ、薄っぺらいわねぇ」
「……え゛」
「お金?領地?称号?何それ、いらない。ぜんぜん誠意が感じられないわ」
「さ、さようでございますか」
そう返したアズレイトの表情は、落胆というよりは困惑の色の方が強かった。
きっとこれまで、この三種の神器を口にすれば大抵うまく事を進めることができていたのがありありとわかる。
だが、あいにくサーシャは腐っても聖なる力を持つ姫巫女の末裔なのだ。
そういう俗世のモノに興味はない。そしてこのやり取りで一番欲しいものは、手に入らないことを知ってしまった。
だからこれ以上、彼らを自宅に置いておく理由もなくなった。
サーシャはぴしっと人差し指を玄関に向けて口を開く。
「残念、交渉決裂ですね。では、お帰り下さい」
これ以上の会話は不要とばかりにサーシャは席を立つ。
といってもこのあばら家、台所兼食堂を除けば、あとは寝室しかない。でもサーシャは、さすがに寝室に行くのは躊躇った。
だって、そこに入った途端、王子様御一行に追ってこられたら困る。とても困る。寝室は乙女の秘密がぎっしり詰まっているのだから。
……いや、ちょっと待て。
っていうか、なぜ自分が逃げるようにこの場を離れなければならない?
席を立つのは自分ではなくて、こいつらだ。
そう思った途端、なぜか負けず嫌い根性が芽生えて、サーシャはもう一度座り直すと、アズレイトに向けて出て行けと睨みつけた。
だが、この後すぐ事態が急展開する。
さあさあ出て行け。即刻、帰れ。と、睨みつけるサーシャに対して、アズレイトは静かな眼差しを向ける。
それは最後の悪足掻きとしてサーシャの気が変わるのを待っているようにも見えるし、浅はかな発言をしたことに対して自責の念を覚えているようにも見える。
でもそれを知ったところでどうなる。妥結に至らなかったのだ。
遠路はるばるこんな森の中まで来てくれた王子様達には悪いが、お帰り頂くしかない。
ただ……ただ、こんな破壊的なイケメンの顔だけは、拝むことができて良かった。
サーシャは、ちょっとだけ威圧的な視線を別のものに変えて、目の前の王子を見る。
わかりきったことだが、睨みつけようとも、目を細めようとも、まぁやっぱりカッコ良かった。
そんなふうにサーシャの表情が一瞬だけ緩んだ瞬間、アズレイトが小さく息を吐いた。
「……わかりました。わたくし共は、これで辞することに致します」
そう言って彼が音もなく席を立った瞬間、ガッシャンと台所から何かが割れる音が響いた。
サーシャがぎょっとしてそこに視線を向けた途端、青いガラス玉のような瞳は絶望の色にそまった。
あろうことか、サーシャがずっとずっと大切に使っていた愛用のカップが、ただの陶器の破片となって、床に粉々に散らばっていたのだ。
しかもそれだけじゃない。床には茶色のシミまでできている。
推理するまでもない。これは、お髭の騎士の犯行だ。
「ちょっとっ、なんてことしてくれ」
「殿下!諦めてはなりませんっ」
「……るの」
サーシャが騎士に向かって目を剥いて叫んだ途端、野太い男の声がそれを遮った。
ちなみにその声の持ち主は、サーシャのカップを割った騎士だった。
……いやハゲ、殿下じゃねえよ。まず、謝れよ。
あまりの大声量に不覚にも怯んでしまったサーシャは、今日一番の強さでハゲ……ではなくお髭の騎士を睨みつけた。
けれど、騎士はサーシャの視線にまったく気付いていない。
そしてびしゃびしゃになってしまった床に膝をついたと思ったら、次いで肩を震わせながら目頭まで押さえ始めた。
え、何?反省してんの?いや泣く暇あったら、床拭けよ。
とサーシャは、苛立ちを募らせる。けれど、ふと気付けば玄関や裏口にいる騎士も目頭を押さえて俯いている。
もっというと、洗い立てのジャガイモを持った騎士達や、採れたての卵を手にした騎士達も同じようにしている。
「……あのぉー、どしたんですか?」
突如始まった小芝居に、サーシャは目を白黒させながら、唯一会話ができそうなアズレイトに視線を向けた。
彼は、全てを達観したような凪いだ表情を浮かべていた。




