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浄化の儀を行うために用意されたのは、王宮に到着した初日に着たザ・聖女っぽい衣装ではなく、一人で着ることができる簡素なものだった。
といっても、サーシャが普段身に付けているものより格段に豪奢なものではあるけれど、それでも王宮で過ごしていた時よりは遥かにシンプルなもの。
これは”浄化の儀”には動きやすい服装で挑みたいと事前に伝えておいたもので、エカテリーナはその要求をあっさりと呑んでくれた。こちらが拍子抜けするほどに。
こんなことなら、初日にそう言って主張しておけば、あんな屈辱的な経験はしないで良かったのだと悔やまれる。
でも、今更そんなことを思っても詮無いことなので、サーシャはベッドから降りると気持ちを切り替え普段通りの手順で身支度を整え始めることにする。
部屋に隣接されている水場で顔を洗い、歯を磨く。それから寝間着を脱ぎ捨て、今日の為に用意された衣装を手に取った。
動きやすさに重点を置いたドレスは、メイド達の手を借りる必要は無い。だからサーシャは、ちゃっちゃと一人で着る。そして適当に髪をブラシで撫でつけ、身支度を終える。
この後すぐに、この国を救うための浄化の儀が始まるけれど、サーシャの心はとても落ち着いていた。
ただ腹ごしらえは必要なので、部屋に常備されている季節の果実が盛り付けられた銀のトレイからブドウを数粒摘まんで朝食代わりにする。
そして竪琴と自前の旅行鞄を抱えて、そぉーっと扉を開ければ───
「おはようございます、サーシャさま」
今日も今日とてぱりっと王子スタイルのアズレイトが廊下で待ち構えていた。
「……おはようございます」
不本意ながら挨拶を返したサーシャの眉間には、イイ感じの皺が刻まれていた。
説明が遅くなったが、今はまだ早朝と呼ばれる時間だった。
王宮はまだひっそりとしていて、官僚やメイド達が慌ただしく動き出すにはいささか早い時間帯。
だからサーシャは朝食を果物で済ませ、足音を忍ばせて部屋を出たというのに。
一体、この男いつからここに居たのだろうか。
王子スタイルは昨日と変わらないけれど、タイが微妙に違う。だから、一度は自室に戻ったのだろう。それから何時間もここで張り込んでいたというのだろうか。何故に?
そんなことを心の中でつらつらと考えていたら、やっぱり胸の内は言葉として表に出ていたようだった。
「夜明け前からですから、2時間くらい前からここに居りました」
顎に手を当てながら、淡々と答えたアズレイトに、サーシャは引きつりながらも口を開く。
「……なぜに?」
「サーシャさまとは昨日今日出会った仲ではありません。あなた様の行動くらいもう予測が付きますよ」
そう答えたアズレイトは、朝日より眩しい塩バニラ風の笑みだった。
その顔は好きだ。アズレイトの持っている表情の中で一番好きだ。でも、この行動は嬉しくないし、好きじゃない。
サーシャは不貞腐れた表情を作り、ぷいっとアズレイトから顔を背けた。
すぐ近くで「何度も顔を褒められるのは、種馬冥利に尽きます」と、思わず脱力したくなるような声が聞こえてきた。
さてさて、サーシャが人知れず浄化の儀を終えたかったのは、別に見られたくない何かがあったわけではない。
失敗することを恐れて、こっそり行いたかったわけでもない。
なんかちょっと恥ずかしい的な、思春期のような感情があったわけでもない。
ならどうして?と思うかもしれないが、サーシャなりの理由があるのだ。
でも、それをアズレイトに言うわけにはいかないし、どんなに脅されても言うつもり無い。
ただサーシャとてアズレイトと昨日今日出会った仲ではない。見つかってしまった以上、彼を撒くことはどうやっても不可能なことは知っている。
だからサーシャは、ぶすくれた表情を浮かべつつも、素直にアズレイトと共に、儀式を行う場所へと移動することにした。ただ、旅行鞄も竪琴も自分で持つという主張だけは譲らずに。
カツカツと二つの足音がしんとした廊下に響く。
王宮は王族の住居と政務を行う場所。なので、とても広く、たくさんの人がここにいる。
でも、今、サーシャが歩いている廊下には人気はない。それは向かう先が魔王が封じられている結界───いわゆる禁域と呼ばれる場所だから。
大切なことなのでもう一度お伝えするが、限られた人間しか入ることを許されていないそこは、王宮にある。しかも、玉座の真下にあったりもする。
なかなか面白い場所にあるものだ。
サーシャは聖なる姫巫女一族の末裔だけれど、実は結界がどこにあるのか知らなかった。
そして王宮に到着してから、その場所を知って大変たまげた。
いや、いくらなんでも玉座の真下じゃなくても......と、正直思った。予想通りこれもうっかり声に出してしまった。しかもエカテリーナの前で。
失言してしまったサーシャではあったが、幸い首を刎ねられることはなく『最悪の場合、わらわが一番に戦えるからな』という返答を頂戴した。
不敵に笑うこの国の女王は、おっかなかったけれど、それ以上にカッコ良かった。
「......あのう、アズ。こんなときにお願いがあるんですが......」
サーシャは結界に続く廊下を歩きながら小声でアズレイトに声をかけた。
すぐさまアズレイトは「何なりとお申し付けください」と言って足を止めようとする。サーシャはそれを制してから再び口を開いた。
「この服もらっても良いですか?」
「は?......え、えっとこれが気に入りましたか?」
「......まぁ、そんなところ。駄目かな?あっ、じゃあ無事に浄化の儀を終えたらそのご褒美ってことで───」
「いえいえ、とんでもございませんっ。このようなもの褒美の内に入りません。どうぞお受け取りください。ただ、わたくしとしましては一昨日着ておられました、薄紫色のドレスのほうがお似合いかと。サーシャさまの髪が良く映えてとてもお似合いで───」
「じゃあ、貰えるってことで良いんですね。ありがとう。どうも」
サーシャの言葉を遮ったアズレイトの言葉を再びサーシャは遮り、この会話を強制的に終了した。
アズレイトはほんの少し不服そうな顔をしている。でも、サーシャは気づかないフリをし、表情を厳しいものに変えて歩調を早めた。
禁域が近づいてきて、怖くなったわけではない。ほんのちょっとでも気を抜けば頬が緩んでしまいそうだったから。




