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「万物の穢れを浄化する力を持つ聖女よ。どうか我が国をお救いください」
突然そんなことを言われて、サーシャはものの見事に固まった。
ここはライボスア国の西の外れにある森の奥深く。
現在早朝のここは清々しい空気の中、樹皮や木の芽、そして春の花の香りが強く立ち込めている。
そんな人気の無いところにもポツンと民家があり、それがサーシャの自宅だったりもする。
そしてサーシャがあと5歩で自宅の玄関扉に手が届くといったところで、突然、見知らぬ男が現れたのだ。
来客など、いつぶりだろうか。いや、記憶にない。
っていうか、こやつの足音など一切しなかった。何なの?マジで怖い。
そんなことを考えるサーシャの透き通る青いガラス玉のような瞳は限界まで開かれている。
麻縄で二つに結んだブドウ色の髪も、その心情を表すかのように毛先があらぬ方向にピンと跳ねている。......まぁそんな髪型になってしまったのは単純に寝癖のせいなのだが。
ちなみにサーシャにそう言った相手は、大変なイケメンであった。
雲間から差し込む陽の光のようなプラチナブロンドの髪に、緑を含んだグレーの瞳。凛々しい眉にすっと通った鼻筋、完璧なカーブを描く唇。
着ている服も旅服とはいえ、ここいらでは目にすることができない分厚い生地に刺繍入りのマントときたものだ。しかも着られている感は皆無で、ナチュラルに着こなしている。立ち姿だって無駄に美しい。
それらを総称すると、思わず二度見......いや、三度見をして拝みたくなるほどの、イケメンであった。
ただその髪は長く、肩付近で結って片側の胸に流している。
まるで女性のような髪型なのに、それに違和感を覚えないのは、逞しい体つきをしているからなのだろう。あとイケメンはどんな髪型でも様になるという宇宙の法則にしたがってのそれなのかもしれない。
とはいえ、そんなイケメンかつ屈強な体つきの青年に背後からいきなり何の躊躇もなく腕を掴まれ、まるでダンスを踊るかのようにくるりと身体を回され、そんでもって目が合った途端、先程の台詞を耳にしてしまえば、混乱を極めるのは人として当然の流れである。
そのお陰であまりに驚きすぎてしまい、限度いっぱいに片腕に抱えていたじゃがいも数個が、コロンコロンと地面に転がり視界から消えていくのが見える。でも、しゃがんでそれを拾うことができない。
なぜなら、このイケメンに腕を掴まれてしまっているからで。
しかもサーシャを取り囲むように、皺一つ無い騎士服に身を包み腰にはしっかり帯剣している厳つい男達がいる。
......え?言ってることと、やっていることが違くね?
サーシャは心の中で突っ込みを入れた。
はっきり言ってこれは恐喝だ。
正直、無理矢理拘束して、へりくだった言葉を紡がれるより、跪いて「四の五の言わずにさっさと浄化しろよ、このクズめが」的な感じで罵倒されたほうがまだ良かった。
だってそれなら、じゃがいもを拾うことができるし。
そんなことをぼんやりと考えていたら、目の前にいるイケメンは困ったように眉を下げた。
「あの......そのほうがよろしかったでしょうか?」
「は?」
そのほうとは、どのほうだ?
サーシャは意味がわからず瞬きを繰り返す。
このイケメンに腕を掴まれてから自分は一言も喋ってはいないはずなのに。
......と、思っていたけれど。
「恐れながら、あなた様は今、『跪いて「四の五の言わずにさっさと浄化しろよ、このクズが」的な感じで罵倒されたほうが良い』と仰っておりましたのでそうすべきか、わたくしは大変悩んでおります。ただ、たとえ命令であっても、女性に向かってそのようなことは言いたくありません。いっそ死んだ方がマシでございます。あと、じゃがいもは今すぐ拾わせます。あなた様のお手を煩わせるなど論外でございます」
「......はぁ」
イケメンの目線一つで機敏な動作でじゃがいもを拾いだす騎士たちを横目に、サーシャはそんな気の無い返事をしてみた。
けれど「あ、やべえ」と内心冷や汗をかいていた。これまでつらつらと考えていたことは、しっかり声に出してしまっていたようだ。
たった一人の家族である母が鬼籍に入り、独り暮らし生活を始めて気付けばもう5年の年月が経つ。
寂しいという感情はとうに褪せてしまった。けれど、それに反して独り言が口に出てしまうのは致し方ないこと。......多分。
ただこんな丁寧な口調で、これまた丁寧に指摘されると大変居心地が悪い。
そしてすっかり無くしてしまった羞恥心が生まれてしまう。
久方ぶりに味わう恥じらいという感情は、まかり間違っても心地よいものではなかった。もうこのまま顔を覆って自分の殻に閉じ籠りたい。
だができない。未だにこのイケメンに腕を掴まれているから。
一応加減はしてくれているので痛くはない。だからといって、身体の自由を奪われるのは気分が良いものではない。
だからサーシャは第一希望の殻に閉じ籠ることは見送ることにして、第二希望を伝えることにする。
「あの......とりあえず、立ち話もなんですから家に入りませんか?」
イケメンといえど、この男は不審者である。
なのに家に招き入れるなど、警戒心は無いのか?!と突っ込みを入れたいところだろう。
もちろんサーシャとてこんなこと言いたくなかった。ただ言わざるを得なかった。
なぜならこのイケメン、サーシャの腕を掴んだまま先程からずっと、口汚い言葉をブツブツと呟いているからだ。それはサーシャの要望を叶える為であるのは一目瞭然だった。
ただサーシャは、どうせなら的なノリで言ったまでで、好き好んでそんなもの聞きたくはない。
「それといい加減、この手を離してください」
少し語尾を強めて、ついでにそんなことも言ってみる。
幸いにもこれはすぐにイケメンの耳に届いたようで、彼はパッと手を離すと「失礼しました」と言って深々と腰を折った。そして───
「では、参りましょう」
そう言ってイケメンは今度はサーシャの手を自身の腕に引っ掛け歩き出す。向かう先はもちろんサーシャの自宅。
......おい待て。ここはお前の家じゃねえぞ。
そんな悪態を心の中で吐きながら、サーシャは顰めっ面を隠すことなく足を動かした。