題名『魔術学園の守り人』
シャルム王国が誇る王立魔術学園には毎日多くの人が訪れる。
学生·教師はもちろんのことながら、学生らの保護者が来ることもあるし、高名な教師陣に意見を仰ごうという者もいる。
時には珍しい物好きの学園関係者に怪しい品を売りに商人がやって来ることもあれば、逆にそんな品々の用途なんかを教師達に調べて欲しいという来訪者も少なくはない。
故に学園内には関係者のみならず、様々な人々が歩き回ることになるのだが部外者である彼らが学園敷地内に自由勝手に出入りできるかといえば、もちろんそんなことはない。
学生、教師といった学園関係者が専用の承認証を使って正門から入ることができるのに対して、上記のような来客が学園内に入るためには正門横に設置された外来受付窓口を通る必要がある。
それは魔術学園の名物の1つ『朝蛇の列』。
伸びに伸びる長い列がアーチ状の外来窓口に毎朝形成され、一度並べば1、2時間待たされるのはいつもの事である。もしこの街に来たらお土産話作りのために並んでみるのもいいかもしれない。まぁ、おすすめはしないが。
さてそんな朝蛇の列だが、午後になると正に屋根裏の蛇の如く見る影もなくなる。なぜなら、部外者は夕方以降に学園内に留まることを禁止されていることに他ならない。午後から並んだとて中に入れるかも怪しい上に、大概の場合、会いたい人物の予定は午前中の枠で埋まってしまうからだ。
故に、来客もぽつりぽつりと来るのみなので、窓口の受付係の男性が欠伸混じりに仕事をするのも仕方がないと言えるかもしれない。
「朝の忙しさもどうかと思うが、こんなに暇なのもどうかと思うよなぁ」
思い返せば、最後に来客の対応をしたのはいつだったか。
30分前か1時間前か。いや、そもそもこれは昨日の記憶だったか?
襲う睡魔と死闘を繰り広げながら、のんびりと過ぎる時間を雲のように漂う意識でどうして正確な時間感覚なぞ保てるだろう。
この閉ざされた箱のような造りの受付室も良くない。
まるでひと間の部屋のようで、椅子から動かずとも欲しい物に手が届くのだから、ダラけるなと言う方が無理と言うものだ。
しかもこれが毎日ともなれば尚更。
何となく視線をさ迷わせるが、朝の喧騒の影もない受付の広場にはやはり人影はなく、このまま退屈な時間を過ごすことになるだろうと覚悟を決める。
「少しくらい、いいだろう」
そう、少し。ほんの少しだ。
目を瞑る。
訪れる暗闇。
待ってましたと言わんばかりに我先に襲い来る睡魔達。
彼らは淀む意識にどんどんのしかかり、押し寄せて……
「すいません。ローデン=シーヴィング氏はこちらにいらっしゃいますか?」
「っと!?あ"ぁん危なっ!?」
慌てて椅子から転げ落ちそうになる身体を何とか持ち直す。
「はっ、はっ、ふぅ。」
激しく拍動する心臓と短く途切れる息を整えつつ、声のした方向を見る。
「はぁはぁ…誰もいない?なんだ夢、か?」
意識が朦朧としていたせいか、どうやら空耳が聞こえたらしい。
真面目に仕事をしなかった自分へ些細な罰が下ったというところか。
「ふぅ。やれやれ。」
「夢ではないですよ。こんにちは。こっちです。」
「……あ?は?こっち?」
「はい、ここです」
見れば受付台の下からほっそりした白い腕がにゅるりと上がる。聞こえた声は夢じゃなかったらしい。
「あーっと。あぁ……そこか。お嬢ちゃん、ずいぶんと小さいな。」
立ち上がり受付台の下を覗くように視線を下げると金髪の少女が恨めしそうにこちらを見上げていた。
「小…………実はシーヴィング氏に頼み事がありましてこちらの魔術学園をお伺いさせて頂きました。お会いできますか?紹介状もあります。」
そう言うと、不服そうな顔を浮かべながらも小さな少女は地面に置いた体格に不釣り合いな大きなリュック鞄の中をごそごそと紹介状とやらを求めて漁り始めた。
恥ずかしいところを見られた。
と、額の冷や汗を拭いつつその小さな来客を上から下まで観察する。
小さな外見から察するに学生だろうか?
どう見ても保護者には見えない。
だが、そうだとするならば学園指定の制服を着用していないのがおかしい。いや、そもそも学生なら正面玄関に向かうべきであって受付窓口に寄ること自体がおかしい。
目の前の少女の格好は白を基調とした学園指定着とは似ても似つかない黒ずくめ。黒い奇っ怪なとんがり帽子と黒のワンピースに不思議な形をした羽織。黒でないのは腰の辺りに巻き付いた革ベルトと、そこにぶら下げられたいくつもの小瓶の中で揺れる色とりどりの液体か。
「怪しい」
ぼそりと出た呟きは今も必死に荷物を漁る少女には聞こえないようだ。まぁ、聞こえたからといって何か不味いわけでもないが。
このくらい怪しい奴なんかそれこそ毎日わんさかと見るこっちの経験値は豊富だ。つまり、そんな格好の奴らは自分自身が怪しい出で立ちなのを承知しているってことは俺は知っているということだ。
何が言いたいかといえば彼らが「変な格好だ」と言われ慣れているのも、知っているということだ。今更受付の俺が『怪しい』などと指摘した事を気にすることもないという訳だ。
それに、だ。
そもそも来訪者が怪しかろうがそうじゃなかろうが俺には関係ない。怪しい来訪者に会うかどうかを決めるのは俺の仕事じゃないのだから。彼らに会うか決めるのは、直接会う学園関係者だ。
別に後で客共から「受付員の対応が悪い」とクレームが来たところで、どうこうなる立場でもないしな。
まぁ、なんでもいいか。
いつも通りに対応させてもらう。
「頼み事、ねぇ。シーヴィング学長に?」
このくらいの年齢の若者がここを訪れる可能性として一番高いのは入学希望者というケース。だが、そうであるなら最初に「入学希望で来た」と言うはずだが、この少女は学長に会いたいと言った。
だから、入学希望でない。
となれば、有名な魔術師として名を馳せている彼の噂を聞き付けて、何か問題を持ってきたというところだろう。
「名前は?」
「ナナル、と申します。えーっと、どこに行ったのかな。」
【ナナル】ね。
"念のため"机上の来客リストを捲る。
「ナナル…ナナル……予約がないな。」
「え?」
少女に視線を戻せば、その表情からは困惑が伺えた。
その反応にこちらも困惑を浮かべるかといえば、ノーだ。
むしろ予想通りと言える。
この外来受付窓口に面会希望でやってくる人間は2つに分けられる。
1つは面会の予約を済ませてあり、学園関係者に入場を許可された人物。こいつらの対応はシンプルだ。この受付窓口に「いつ」「こんな名前の」「どんな奴が」来るという連絡&来客リストへの記載が載る仕組みになっているから、後は学園の印が押された許可証を確認して、「はい、どうぞ」だ。
んで、もう1つはこれから予約をする人物って訳だ。こいつらの対応はちと面倒だ。場合によってはすぐに面会許可が降りる場合もあるが、それはよっぽどの事だし今回は考えなくていいだろう。
この小さな来訪者は予約してあると言わなかった。
その段階で後者である可能性が極めて高かったが案の定、来訪予定者リストには記載がない。加えて、予約の件を言えば後者の連中は決まって目の前の少女と同じような表情をするのでだいたい分かるというものだ。
こういう輩はな何故、自分の都合しか考えていないのか?
「むむ?ま、まさか予約が必要なのですか!?」
「そりゃあそうさ。学長は特にお忙しい。予約もなく会いたいって奴に会ってたらキリがないだろ?」
更に言えば、そんな顔をする連中はいつもこの決まった質問をしてくる。
その度に思うんだがそこに考え至らないもんかね?うんざりだ。
「も、もっともです。では、予約をしていきます。できるだけ早く会いたいのです。」
「じゃあ身分証を出して。この紙に名前。あれば所属団体。あとは要件。『メッセ』で予約の可否を伝えてやるから魔力の登録をここ。それから手数料が500ゼニスだ。」
そして、毎回同じ説明をせにゃならん。
俺が話した内容をそのまますぐ隣の壁に貼り出しているんだが?お前らの目は飾りか?節穴か?本当にキリがない。
「は?え?身分証?団体?めっせ?そして、またゼニス!?」
………ん???
「えーっと………はぁ?」
「……えーっと……てへっ」
さっきとは違った色の困惑を乗せた顔をこてんと傾ける少女。
「こいつは初めてのパターンだな……お嬢ちゃんなかなかにヤバいな」
「たった今、私もそんな気がしていたところです。恥を忍んでお伺いしたいのですが、それぞれどのような意味でしょうか?」
「身分証は?」
「自画像なら……」
「所属団体は?」
「一人旅でして……」
「メッセは?」
「め、めっせ?め、めぇ?羊?」
「さすがにゼニスは?」
「あ、それは知ってます。お金です!私はいちゼニスたりとも持っていませんけど。」
「………ここは魔術学園の受付口で、一般教養を教える場所じゃないんだがな。」
「そこをなんとかぁあ。会わせてくださぁい~」
今にも泣き出しそうな少女の顔を前につい額に手を当てる。
頭が痛い気がしてくる。
このガキはなんだ?
身分証がないってことは孤児かなんかか?だが、孤児にしては受け答えがしっかりしているからある程度の教育は受けているだろう。所属団体がないのはまぁいい。旅人だというなら珍しくはない。
だが、旅人のくせに【通信魔術】を知らない?
今時、メッセを使わずに連絡取ってる街なんかあるのか?
旅人のくせに他の街で見かけたこともないのか?冗談だろ?
しかも、ゼニスもないときたもんだ。
どうやって生活してるんだよ。
ははっ。眠気もどこへやらだな。
お陰で思い出した。
確かに暇だったが、俺の仕事はお前さんに付き合ってやれるほど暇ではないのだ。
一から説明してやる義理もない。
お引き取り願おう。
「はぁ、後ろの通りをまっすぐ行きな。」
「殺生なっ!?」
だが、まぁ、少しくらいは暇だけどな。
「まだ、終わってねぇよ。まっすぐ行ったら噴水が目立つ公園に出る。後は看板に従って、【冒険者協会】を目指しな。」
「ぼうけんしゃきょーかい?」
「そうだ。お嬢ちゃんみたいな世間知らずの面倒を見てくれる親切な場所さ。」
「おぉ!」
「分かったら行きな。予約はそれからにしろ。」
「ありがとうございます!受付のおじさま!」
少女は回れ右をするとリュック鞄を背負い直して颯爽と通りを駆けていった。
「やれやれ、っといつの間に?すまん、待たせたなってあんたも学長に予約?あぁ、すまんこっちの話だ。身分証出して、必要事項を記入して。魔力の登録はここな。メッセで予約の可否は伝えるが...ペラッ...そうだな。学長に会えるのは早くて1年後だ。じゃあ手数料500ゼニス」