【第5節】大魔法使いだ!
太陽が顔を出して数刻も経ったろうか。
まだ晴れない靄の中、断崖絶壁に囲まれた谷底の道を歩く。森に囲まれたミルタ村から出て、ミュリアちゃんと出会った場所とは真逆の方向へ道なりに進んでいたらこうなっていた。落石なんかが怖いなぁ、なんて思いながらとりあえず歩く。
しばらくするとようやく崖上との高低差がなくなって行き、別れ道が見えてきた。
「まずはシントってとこに向かいたいんだけど……どっちだろう」
村長さんの話に出てきた唯一の地名、シント。恐らくは神都なのかと思うが、漢字が使われているとも限らないので単にシントという地名と言う可能性もある。どうあれあの話からするに大きな都なのは間違いなさそうだ。
便が良くないと言っていたのでそれなりに歩く覚悟だったが、方角すら検討が付かないのでは話にならない。
せめて少しでも大きな通りに出ればとここまで進んできたが、困ったことに馬や人の通った痕跡すらない。……足跡がそれなりに残るくらいには柔らかな地質なので、シントに向かう荷馬車の1つでも通ったなら残っていそうなものだけどなぁ。
仕方がないので当てずっぽうに、少しでも大きな道を……と右の道を選んで進む。引き返して村長さんに聞こうかとも一瞬思ったが、来た道を戻るのも億劫だしシントに行けなかったら行けなかったで構わない。計画性がないと言えばそれまでだが、これからどうするかという算段すら立てられずに寝床がなくなってしまったので、とりあえず寝れる場所と食料が欲しかった。
見事に何もない、山に囲まれた平原の中の一本道を進む。遠くに見える丘を越えたら建物の一つも見えるだろうか。
不意に道の前方に小さな銀色の四角があることに気付く。
なんだろうと目を凝らしてみると、随分とのろい荷馬車のようだった。
荷馬車となれば当然人がいる。オレと同じ方向に進んでいるのでのろいとは言え追い付くには少し骨が折れそうだったが、とりあえずシントの方向だけでも聞ければと走り出す。
近付いてみるとのろいのにも納得がいった。荷馬車ほどの大きさではあったが、それを引いていたのは馬ではなく歳のいったご老人だったのだ。それも金属製の──荷人力車とでも言うのが正解なのだろうか。いや、単に荷車で良いか──を引いているのだ、のろくもなる。
声を掛けようと空気を吸い込み……。
ふと。
一瞬、本当に一瞬だったが、これは本当に人間だろうか、と思ってしまった。
いやどこからどう見てもただの爺さんだが、何を考えているのか自分でもわからないけれど、得体の知れない何かに見えた。
具体的に言えば幽霊か何か、あるいは幻か。そのくらい、現実味がない。……上手く言えないが何かが伴ってないように思えた。例えるならそう、チープなアニメーションでも見ているかのような不自然さ……。
瞬きをするとそんな違和感も、上手く表現できないのもあいまって消えていた。何を躊躇ったのだろう、……流石にこれで人じゃないなんて有り得ない。
意を決して、追い付きがてら声を掛ける。
「おーい、爺さん!」
爺さんはこちらを向くが返答がない。ウンともスンとも言わずに歩き続けるばかり。……ボケるにはちと早いんじゃないかと思うんだが。歩くスピードを爺さんに合わせながらめげずに、
「……爺さん? なぁ、爺さんってば!」
そう声を掛け続ける。
おもむろに爺さんが立ち止まると、荷車から手を離す。
「……若いの、……引きながら話せっちゅうんは……無理が、あんべよ……」
随分と鈍った口調で、息も絶え絶えにそう言う。
これが元気そうならじゃあ最初に声掛けたときに止まれよとも言えたが、こうして止まって話をしてくれるだけ感謝すべきなのだろう。
「辛そうだな、そんなに重いのか……手伝おうか?」
「でもおまえさん、その見てくれは……」
──ああ、爺さんもそういうタチの人か。なんだろう、オレのイメージする奴隷に対する反応と、ミュリアちゃんや村の人たち、そしてこの爺さんの反応を比べると、随分と優しいように思う。
奴隷ならば、いやなればこそ、気遣う必要なんてなかろうに。
……いや、確かにズタズタの麻の服なんて着ていたら手伝いを申し出られても、とは思うが、荷台を引くくらいはなんて事ない。
「気にしない気にしない、寧ろそう思うんなら使い潰すくらいの気持ちでいいって」
そう言いながら取っ手の中へ潜り込み、半ば無理矢理代わる。随分と辛そうだったのでかなりの重量を覚悟したが、全然大したことはなかった。寧ろ軽い。何が積んであるのかはわからないが全然入ってないんじゃないだろうか。
「……なんじゃ、奴隷のようなのは見た目だけか。……いや、見事な魔法を使いおる……助かる」
……この世界流の世辞文句だろうか。当然魔法なんて使ってないが、なるほど。凄い事とかを見たらオレも使おう。
それはそれとして随分と動悸が激しそうだった。こんな軽くても御老体には堪えたらしい。……もしくは、どこか具合でも悪いんだろうか。
「そんな疲れてんなら荷台に乗っとけよ。爺さん一人分重くなったところで大差ないからさ、ほら」
そうするとキョトンとした顔で、いやそれは流石に無理だろうと言うような顔をするが、抱きかかえて無理矢理後ろに乗せる。ここまでするようなお人好しだったのかと自分の行動を振り返ってみて思うが、まぁ今はなんというか、人肌恋しいというか。人助けの一つもしたい気分だった。
「あんまり若者を侮っちゃいかんよ爺さん」
これくらい軽いもんだ、と、それなりにスピードを出して走ってみせる。
「……はっはっはっはっ! こりゃ一杯食わされたな。見た目で人を判断するなとはよう言うたもんじゃ。それとも儂は三大魔法使い様にでも会うとるんじゃろうか。若いの、おまえさん魔力値はどれくらいなんじゃ? 儂と荷台とをいっぺんに引けるとは、興味が湧いてきたわい」
三大魔法使いなるものがどれだけ凄いのかは知らないが相当な褒め言葉だと受け取っておこう。ただまぁ、マリョクチとか言われてもてんでわからない──一応、村長さんやアンガスがそんなことを言っていた気はする。血? それとも値?──ので、はぐらかす。
「あー……えっと、まぁうん。このくらい御安いご用さ。ところで爺さん、シントってとこに行くにはこの道で良いのか?」
「ああ、道は合っとるが……そんな事も知らず神都に向かうとはどんな用じゃ? ああ、階位でも取りに行くのか。まぁそれだけの大魔法が使えるなら三大魔団入りは確実じゃろうて」
まだ続けるのね、そのお世話。
「まー、そんなとこかな」
適当に相槌を打つ。ともあれこの道で合ってるのなら良かった。
「あの丘越えたらあとどのくらい?」
「儂がコイツを引いて村から六、七日、じゃからなぁ。荷物なしであの丘からなら、一日二日も走りゃ着くじゃろ」
思ったより近そうだったので安堵。
そうこうしていると飯にするからおまえさんも食え、と言う爺さん。もちろんありがたく頂戴した。
持ち歩く食べ物と言えばおにぎりかパンあたりが相場と決まっているもんだと思っていたが、干し肉だった。……昨日から小麦も米も食べてないので段々とそういう主食、穀物類が恋しくなってくるが、そこはそれ、干し肉もおいしかった。
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太陽が昇りきり、真上から少し傾き始めた頃。爺さんの体力も回復し、いつまでも休んどるわけにもいかんから、と無理矢理に代わられて20分ほども経ったろうか。急ぐ旅でもないので爺さんのペースに合わせてゆっくり進む。
そんな時、唐突に後方から馬が現れオレたちの前で止まった。
「トゥル村の……どうした、そんなに慌てて」
どうやら爺さんと顔見知りのようだった。
「クマロ爺さん……! てぇへんなんだ、トロールだ! ウチはどうにか撃退したが、ありゃ随分と大きな群れが山から降りてきてやがる。ミルタが危ねぇってんで、早馬で神都から腕利きの階位兵を連れてくるとこだ。ついでに周りに呼び掛けてんのよ」
馬上からそう告げる男性。トロール? ……ミルタ村が……危ない?
ミュリアちゃんの顔が脳裏に浮かぶ。体からブワッと冷や汗が出るのがわかった。
「ああ……確かミルタは先月レイガスのせがれが番兵を継いだばかりだったな。……キュールがいる限り滅多なこたぁねぇと思うが、確かに心配さな」
キュール。確か村長さんの名前だ。
「あの数じゃキュールでもどれだけ持つか……トロールの足は遅いからまだ無事だと思うけんど、せめてあと半日持ってくれりゃ間に合うんだがなぁ。爺さんも、神都に行くのはいいがいざって時には荷物なんて棄てて、逃げてな。ほんじゃ!」
そう言って馬で駆けていく。オレは……。
「……ごめん、爺さん。オレ……ちょっと行かなきゃいけない用事が出来た」
「そうかい。ん、まさかこんだけ一日で進めるとは思っとらんかったけ、礼を言わせてくれ。……ミルタに行くんか?」
オレの様子を見て色々と察したらしく、そう聞いてくる爺さん。
「……お世話になった人たちがいるから、助けたいんだ」
正直、オレが行ったところでどうにかなるとも思えなかったが……お世話になった人がいる以上にミュリアちゃんが危ないと聞くと、何故か居てもたってもいられなかった。
「……助けに行くやつが丸腰ってのもしまらねぇべ。おまえさん、何か……鎧はないにしても、武器の一つも持っとるんか?」
「えっと、一応ナイフが……」
懐を探ると、指先に痛みが走った。服の下の小さな果物ナイフだった物は、ズタズタの鉄塊になっていた。
「なんじゃ、オシャカになっとるモン持っとっても危ないだけじゃぞ」
そう言う爺さんをよそに、改めて自分の腹部を調べる。……少し痣のような物が出来てはいるが、無傷に近い。
ナイフはとても腹全体を守れるようなサイズでないにも関わらず、だ。
……不意に、頭の中で何かのピースがハマる音がした。
──まさか。いや、もしかして。
来た道を振り返る。そこにはオレの足跡しかなかった。
馬の蹄の跡も、爺さんの足跡も、車輪の跡も、何もなかった。
カチン、カチンとハマっていくピース。
……ああ、そう言えば馬の駆けてくる音も聞こえなかったっけ。なるほど、そう言われれば腑に落ちることだらけだ。
オレだけ何故かはわからないが、そう言うことなのだろう。
「仕方ねぇ。商品だったがこれ持ってけ! 走るのに邪魔になることもおまえさんに限ればないじゃろ。……後はあるだけましだろうけ、布切れでも持ってくか?」
荷車の中から爺さんが顔を出すと、そこに入っていたらしい薙刀と、帯状の布を数枚渡される。
「……なぁ爺さん、オレの魔法ってスゴかったか?」
「ん? あぁ、おまえさんが助けに行くんなら間違いねぇべ。そんだけの魔法が使えるんなら少なくとも階位兵が来るまでは持つだろうよ」
そう言われ、推測が確信に変わる。なら今のオレは。
──きっと、大魔法使いなのだろう。
「ありがとう! お礼はいつか必ず!」
薙刀を背負い、付いていた紐で身体に固定すると、ミルタ村に向かって疾駆した。