【第2節】流行りのクスリはお嫌いですか?
「いせか……?」
「あー、いや。ごめん、忘れていいよ。変なこと口走っただけだと思って」
「……は、はぁ」
頭にクエスチョンマークが浮かんでいそうな顔をするミュリアちゃんを横に、うーんと考え込む。
──突拍子もない話になるが、どうやらオレは違う世界に来たらしい。俗に言う異世界転移、あるいは異世界転生というヤツだ、多分。……なぜ多分になるかと言うと、自分についての記憶がないからだ。
名前も、何をしていたかも、何一つ思い出せない。覚えている事と言えば、なんというか……常識くらいだ。目につくものに目新しさはないし、言葉も話せる。今年が西暦何年だとか、最近の世界情勢だとか、為替と株の値動きだとか……そういうのだって覚えている。思い出せないのは自分の事についてだけだ。
気付いた時には全裸で森のなかにいた。一人困惑していたところへ女の子を拐っている途中の男三人組と出くわし、成り行きで助けて今に至る。
服と縄を拝借して連中を縛り上げ、根掘り葉掘り聞いてみるとどうにもおかしいというか、聞き覚えのない単語だとかがわんさか出て来て──拷問に近い尋問をしてたら三人とも気絶してしまったので、ミュリアちゃんにも色々聞いていたわけだ。
ふざけたり騙しているわけでも無さそうだし、何よりもまず着ている服装の文明レベルが低すぎて、ここが異世界っぽいのも雰囲気的に納得できてしまっていた。
「さっきも言ったけど、オレちょっと行く宛がないんだ。助けられたのも何かの縁と思ってさ、君の住んでるとこに連れていって貰えないかな? その桶をみるに、近くに君の集落とか村とかあるだろ?」
男達が抱えて運んでいたのはミュリアちゃんだけではない。彼女の荷物と思しき、担ぎ棒と水桶も一緒だった。昔話に出てきそうな、村と川とを何往復もするはめになりそうなアレだ。
「えっと、はい……こっちです。……あ、あの!」
歩き始めたと思いきや、立ち止まり声を掛けてくるのでこちらも止まる。
「……? 何?」
「この人達は……このまま見殺しにしていくんですか……?」
ものすごく不安そうな顔で尋ねてくるミュリアちゃん。
「? うーん、見殺しって言ってもただ縛って放置してくだけだよ?」
「結果としては……お、同じです……!」
オレに申し立てるのが余程怖いのか、彼女は懸命に声を絞り出す。
「って言ったってなぁ……オレもソイツらに襲われてるし、……君を襲った連中でもあるはずなんだけどな。縄をほどいていって、またコイツらが悪さをしたら君はその責任とれるの?」
正直なところ襲ってきた相手を助けようとする心情がわからなかった。そもそも放置していっても自力でどうにか出来てしまいそうだし、わざわざほどいていく理由がない。
「……」
「黙りは止してくれよ、わかったのなら行くよ、ほら」
歩き出そうとするが彼女は動こうとしない。目的地がどの方向にあるのかもわからないのでオレには待つことしか出来なかった。
……まるでオレが意地悪でもしてるかのように、小動物が飼い主に抗議する時のような目でこちらを見つめてくる──否、睨んでくるが、無視する。
オレに男達を助ける気はないのだと諦めると、今度は自分だけで解こうと縄と格闘しはじめた。
「……はぁ。わぁったよ、ほどいていきゃ良いんだろ! ほどいてけば!」
埒が開かなかったので仕方なく懐からナイフ──これも連中から拝借した物だが、武器というより果物ナイフとかそういうのに近い──を取り出す。
手際よく縄を切って立ち上がる。
「っは~~~~っ……」
そしてこれ見よがしに溜め息をついてみる。
「あ、ありがとうございます……!」
む、ちょっとした意地悪のつもりだったのにこんなに素直にお礼を言われてしまうと……こちらの立つ瀬がなくなる。
「……お礼を言うくらいならそのお人好しぶり直した方がいいよ」
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「──じゃあミュリアちゃんはその村の水汲み当番ってわけだ」
村へと歩きながらざっくりとした身の上話を聞いていた。
二十人ほどが住むかなり小さな村で、山や森といった自然に囲まれた生活をしているらしい。
「えっと、その……ちゃん付けは止めて貰えますか……」
「え? んー、やだ。こっちの方がなんかしっくり来るんだよね」
「うぅっ……」
よくよく自分を見返してみると目線の高さと声の低さ的に、ミュリアちゃんと同じ歳かそれより下くらいに思える。
彼女としては年下にも見える相手、それも初対面の男からちゃん付けは納得いかないのだろうが──そこはそれ、助けてやったという立場を利用して納得してもらおう。自分でも何故かわからないがちゃん付けしたくなるのだ、無性に。
「で、なんで君みたいな女の子が水汲みを?」
「あ、それは単純に私の魔力が高い方だからです。……と言っても村の中では、ですけど」
「なるほど……そういう理由か」
魔法とかある世界なのね、ここ。
見た目はひ弱そうな女の子だし、男に襲われてもロクに抵抗できない──と書くと男三人vs女の子という字面的に「女の子に無茶を言うな」とか思われるかもしれないが、異様に弱かったのである、あの三人組は。でなければオレが一人で難なく倒せるわけもない。ともかく──そんな女の子だが、一応は水汲みに村を何度も往復するという重めの労働を任せられるくらいに、魔法なりに長けているらしい。
「──ねぇ、掘り返すようだけどどうしてアイツらを助けたの?」
「え? えっと……」
うつむいてしまい、暫く無言が続く。考えをまとめているような、そんな感じだった。
十数秒の後、ようやく顔をあげると彼女は答えた。
「……この辺、生活出来るところが限られてるんです。──川は一本しかないし、水量も多くないので。私のいる村と、川向かいのトゥル村の二つしか、ここら辺にはありません」
「村の少ない地域では奴隷出の方は村に属せません。魔力値が低い人ばかりですから、野営の狩生活では安定しませんし……せっかく貴族や特級階位の方々から解放されても、数人ぐるみで盗賊紛いのことをするしかない──というのは生きる上で仕方ないことだって……お父さんが話してました」
……だから助けようとしたのか。憐れみというか、同情というか、相手の都合も考えてせめて見殺しはしたくない……と。
「──ふーん。ま、だからと言って人の物を盗っていい事にはならないと思うんだけどな。まして身代金目当ての人拐いなんて」
「えと、それ、あの人達から服を盗ってる貴方が言えます……?」
「撃って良いのはなんとやら、だよ。目には目を、歯には歯を……って、これはちょっと違うか」
「むむ……だからと言って人の物を盗っていい事にはならないと思います」
なんて、ちょっと得意気な様子で言い返すミュリアちゃん。
「なんだ、それだけ言えるなら少しは元気出てきたみたいだね」
怯えたり言葉に詰まったりしてばかりだったので、少し距離が縮まった気がして嬉しかった。
「はい! 怖い人じゃないってことも、あの人達を助けてくれたから判りましたし……あ、あの、えっと……」
「……? 何?」
「いや……その、お名前を伺ってなかったので、なんて呼べばいいのか判らなくて……」
ああ、そういう。
……でも名前か。オレが聞きたいくらいだ。かといって記憶がないとか別の世界から来たっぽいとか言ってもどうしようもないし、まず上手く説明できる自信がない。
「うーん、好きに呼んでくれて良いよ」
偽名とかもパッと思い付かなかったので、そう答えるしかなかった。
「え、そ……そう言われても……」
「いや、割りと真面目にどんな風に呼んでくれても構わないから」
「……っ! は、はいっ!」
一瞬立ち止まって、唐突に畏まった様子で返事をする。
「どうしたの、そんな慌てて」
「い、いえ! 何でもないです!」
「?」
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暫く歩いたが、ミュリアちゃんの村に着くより先に日が暮れてしまった。オレに関しては状況が状況なので時間感覚とかはある方がおかしいが、ミュリアちゃんを助けた時点で既に夕刻が近かったらしい。
服装もそうだがそれ以外についても文明レベルは随分低い。村へ向かうにしても人や動物の往来で形成されたと思しき道しかないので、暗い森を歩くのも危険だという話になり仕方なく野営で一夜を明かす事にした。
とりあえず周辺の枝を集めて火を起こし──着火に関してはミュリアちゃんが魔法を披露してくれた。手からボウッと炎が出るのを見てここが本当に異世界なのだと実感した──暖を取る。あとは火が消えたりしないよう交代で見張りながら寝るだけだ。が──
──寝っ転がった体勢のままふとミュリアちゃんを見ると、枝を拾う際に一緒に集めてきたのか、数種類の妖しげな葉っぱを重ね、大石の上に乗せて小石で磨り潰している。
薬でも作っているように見えた。
「──何してんの?」
「え、えっと……その、薬草の調合を……素人知識ですけど」
「いや、それくらいは見ればわかるけど……なんでそんな事を? どっか怪我でもしてんの?」
ちょっと心配になった。怪我をしているなら現代人の知識が役立てば、と──
「いえ……薬って言っても、これは治療に使う薬じゃない方のクスリですから……」
──思ったのだが。状況が俺の考えていたものと違うらしい。
「……待って、それってまさかその……」
「使うと気分の良くなるアレ……です」
……。
「何故そんなもの作ってるし!」
予想外の、いやある意味予想通りの答えに一瞬フリーズしてしまった。一拍分たっぷり固まったあと、弾かれたように声をあらげ跳ね起きる。薬物ダメ、絶対。
「そ、それはたまたま浴鳴草を見つけたからで……最近だと都の方で流行ってるクスリらしいですよ! だ、大丈夫です! 効能は控えめに作りましたから!」
両手をグーにして必死に笑顔を向けてくる。
「全然大丈夫じゃないよ!? 一度でも使えば乱用だって学校でも習ったでしょ!? 早まってそんなのに手を染めちゃダメだよ!」
「……え? えっと、これはアナタのために作ったんですが──」
「……はいぃ?」
「お、お名前がないってことは剥名級の最下層奴隷の方では……? 丸裸でしたし貴族の方にヤり棄てられていたのかと……」
「待て待て待て待て、なんか盛大に誤解してるみたいだけど女の子がそんなこと言うんじゃありませんっ!」
「き、綺麗なお尻でしたから大丈夫ですよ! 貞操観念はこの際捨てましょう、ね?」
「止めてっ! 勝手にオレを非処女にしないでっ!」
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「……つまり話をまとめると、裸で森にいたし名前も名乗らないから奴隷出身者だと思ったと」
「はい……」
「名前も与えられない最下層奴隷は主人から逃げられないようクスリ漬けにされてる奴が多いと聞いたから、オレに禁断症状が出る前に症状を緩和するためのクスリを作ってたと」
「……はい……」
「オレは中毒患者でもなければ奴隷出身者でもねぇよ……」
「……えっと、ではヤり棄てられていたわけでも──」
「ねぇよ……」
「は、恥ずかしくて死んでしまいたいっ……!」
顔を真っ赤にしながら両手で覆うミュリアちゃん。控えめに言って可愛い。
「まぁ、なんだ。善意からやってくれたんだし、仮にオレが奴隷出身者なら、奴隷出身ですか?なんて聞かれたくないだろうから、……確認せず色々と暴走したことについてとやかく言うつもりはないけど──流石に突っ走りすぎじゃない?」
「うぅっ……返す言葉もありません……」
手で顔を覆ったまま、モゴモゴとそう言う。
「──えっと、ではどうしてお名前が……?」
「うーん、単に覚えてないんだよ。記憶喪失ってわけでも無いんだけど、……いや、一応そうなるのか? 自分のことも、なんで裸で森にいたのかも全然。なんじゃこりゃーってなってるとこをアイツらに襲われて、捕まってた君を助けつつ状況を把握するために色々と聞いて、──で今に至る」
「よ、よくそんな状況であんな動きが出来ましたね……」
話を聞いて一応は納得してくれた様子だが、若干引き気味なのは気のせい……だと思いたい。
「あんな動き?」
「ほら、男三人を相手に凄まじい勢いで倒しちゃったじゃないですか。素手と言うか、裸なのにバッタバッタと……」
「誇張が過ぎるよ。アイツらがそんなに強くなかっただけだって」
事実めっちゃ弱かったし。
「とてもそうは思えませんけど……えーと、では結局なんて呼べば良いんでしょう?」
「あ、そこに戻るのね。……じゃあこの際さ、ミュリアちゃんが名前付けてよ」
自分で考えるのは面倒くさかった。
「わ、私が……ですか?」
「仮の名前ってことでさ、暫くの間は使わせて貰うよ。オレが自分の事を思い出すまで」
「え、……えっと、じゃあ……森の加護が在ることを祈って、この森の神様から拝借しまして──クノさん……でどうでしょう」
「うん、じゃあオレは今からクノだ」
異世界転移?してから一日目。
オレの名前が決まった。