海上ポスト
翼を広げ、青空を泳ぐカモメは、どこへ向かっているのだろう。
太陽の光を一身に受けつつ、俺はそんなことを考えた。
水面に反射する光が、キラキラと眩しい。
俺は海の上に立っていた。
遥か水平線の彼方まで続くこの遠浅の海は、まるで空を映す大きな鏡のようだ。
そんな果てしない大地……いや、海原を俺は裸足でひたすら歩いていく。
汗が頬を伝う。嗚呼、もう夏なのだ。
ギラギラと俺を干からびさせようとする太陽には容赦という概念は存在しないのだろうか……。おそらく存在しないのだろう。
忌々しく太陽を睨み付けようとするが、太陽の逆襲をくらって目がやられるだけに違いない。
諦めて、この海をただ進むことにする。
普段はバイクでこの道を進むのだが、現在バイクは故障中。なんという不運。
しかし、俺が目指す場所は確かに近づいていた。
暑さで揺らめく水面の彼方、そこに、そこだけに、ぽつりと建造物が建っていた。そこが俺の目的地だ。
その建造物までは、だいたい一kmほど。たいした距離ではないが、こうも暑いと流石に堪える。
足下から伝わる、海水の冷たさが、唯一の救いだ。
時々、汗を拭い、パシャパシャと前に進み続ける。
なぜこんな所を歩いているかって?
理由はたった一つ。
この手紙を、届けるために。
君は今どこにいるのだろう。
名前は、何というのだろう。
また、俺の手紙を読んでくれるのだろうか。
時に怒り。
時に悩み。
時に楽しそうな君を、俺は文面上でしか知らない。
それでも俺は、君とまた話をしたいから、手紙を届ける。
宛先が書かれていないこの手紙を、今日も届けよう。
「ふう……」
到着。
水面の彼方に見えていた建造物、それは廃駅だ。
どうして、海の上に駅が……?
そんなことはわからない。ただ『ここ』に『それ』があるだけ。
駅と言っても、昔も無人駅として使われていたのだろう。とても小さく、改札口らしきものも見当たらない。ホームには天井すらないのだ。
まるでこの駅だけが、違う世界のように感じる。
線路は海水によって浅く浸っており、空の青色と太陽光をキラキラと反射し、透明な海水の中で、線路が揺らめくという幻想的な光景を作り出している。
海の上だというのに、蔦らしき緑色の植物が所々駅を侵食し、青空と、海と、緑。大海原のど真ん中に、この駅は異彩をまとい、孤立していた。
俺は足を線路の方に投げ出す形で、ホームに腰かける。
少し、休憩を取ろう。
滴る汗を拭うことなく、ただぼうっ……と、空を仰ぐ。
カモメが悠々と大空を舞う。
この殺人的な暑ささえなければ、長閑な所なんだけど。
カモメがこの場を離れるまで休憩を取ると、俺は線路へと降りた。
実は、目的地は駅ではない。
用があるのは、今いる廃駅から、数メートル離れたところにある、海の上に置かれた赤く四角い物体。
……そう。ポストだ。
「よし……っ」
俺は自分の手から、手紙の存在感を確かに感じ取っていた。
君は今なにをしているのだろう。
同じ空を、見ているのだろうか。
また、返事を書いてくれるのだろうか。
時に励まされ。
時に頼りになり。
時に勇気をくれる君を、俺は文面上でしか知らない。
それでも俺は、君と繋がりを持っていたいから、手紙を届ける。
宛先が書かれていない手紙を、今日も届けよう。
だだっ広い、大空を映すカンバスのようなこの場所で。そのポストは、堂々と設置されていた。
海の上にポスト……。
何ともおかしな光景である。駅があるのも十分おかしいが。
俺は昔、冗談半分で、宛先も名前も書かず、このポストへと手紙を投函した。
こんな所にあるポストだ。回収されることもないだろうし、万が一郵便局の人間が取りに来たとしても、俺のもとに返って来るだけだろう。
そう思っていた。
しかし、返事は来た。
そこには、名前も住所も書かれてはいない。
字体から推測するに、返事の手紙を寄こしたのは女性だった。
俺は、不思議に思いながらもさらに返事を書き、同じようにここのポストに投函した。
そこから、奇妙な文通が始まった。
お互いに名前を教えあわないうちに、名前を訊かないのが暗黙のルールとなり、何気ない会話だけが手紙には綴られた。
それが、妙に心地よかった。
相手がどんな人物なのかもわからない。相手も、俺のことをほとんど知らない。そんな不思議な関係での手紙のやり取りを、俺は楽しんでいた。
そう。楽しみなんだ。今、こうして手紙を送ることが。
時に愚痴を言い合い、時に励ましの言葉を伝え、時に文面上で笑いあう。
もしかすると、俺は君に会いたいのだろうか。
ポストの前で立ち止まる。
ごうっ……と、一薙ぎの風が通り過ぎた。
どこまでも続く、遠浅の大海原が、風を追いかけるようにざわめいた。
いや、今は会えなくてもいい。この関係が続けさえすれば。
だから届けよう。宛先の書かれていない手紙を。
この海上ポストへ。
――――君のもとへ。