オッサンとオッサンの深夜
『ごめん、ちょっと仕事上のトラブルで遅くなる。早く帰れるように出来る限りのことはするつもりだ。ごめんな。俺は飯、適当に済ませるけど、ハルカはちゃんと飯食って寝ろよ』
オレはお前のガキかってツッコミたくなるようなメールがハルカに送られて来たのは3時のオヤツを食べていた頃。
昨日、エイジが買って来たお高いプリンだ。
エイジが買って来た物をハルカが食べても奴は怒らない。寧ろ喜ぶ。
美味かったと言えば、飽きたと言うまで買って来るのが困りものだが。
オヤツを食べ終えて、洗濯物を取り込んで畳んで仕舞って、夕方のニュースやバラエティーを見て、風呂に入って。
飯を食って寝ろと書いてあったが、一人分を作るのが億劫で、とりあえずソファに座ってアイスを食べる。
壁一面を占領するデカいテレビに、Lサイズのピザが幾らでも置けそうなガラステーブル、大家族用のお洒落なソファ。いつもはこの時間帯、なんとか開いてる隙間に布団を敷いて、布団の中でジャレつくエイジに文句を言いながら2人で眠る。
寝室は妻が亡くなって、仏壇を置くようになってからそこで寝たことは無かった。そもそも妻と使っていたベッドも処分してしまっていた。
だからあまり広くないリビングは更に狭くて。
なのに、今日はやたらと広く、暑い夜なのに布団に潜っても寒く感じる。
眠れない。
そういえば、エイジを拾ってからあいつがこの時間に居ないなんて初めてだな、とハルカは気付いた。
エイジが居ないから寝付けない。いや、そんなバカな。
「よし、久しぶりに飲みに出るか。近くにバーがあったよな。あそこにしよう」
現実逃避には酔って寝るのが一番だ。
大きな酒場では無いが、深夜の店内はいつもそれなりに客が入っている。
リーンっ、と小気味の良い鈴の音が響き、少しだけ息を切らせて、絶対高いだろうスーツ着た長身で人を惹きつける雰囲気を持った色男が店内へと足を踏み入れ、カウンターで酔い潰れてうつ伏せで眠り込んだ男を発見すると駆け寄った。
「いた…ハルカ。おい、ハルカ」
「ん…うーん」
「こりゃあ完全に潰れてんなぁ。おーい、起きろー」
「ぁん?…エイジ?」
起き上がって店内に入って来た色男の名を呟く。
「遅くなって悪かったな。書き置き見て迎えに来た。ってかハルカ、何飲んだんだ?ミルク系か?牛乳ヒゲ着いてるぞ」
ハルカと呼ばれた男は袖で口元を拭うが乾いて取れない。
様子を伺っていたバーテンダーがお絞りを出そうとしたが、エイジという男は屈み込んで白いヒゲを舌で舐めとった。
「ほら、良い男に戻ったぜ。お前、昨日この歳で牛乳ヒゲなんて、恥ずかしいって言ってたろ」
今、恥ずかしい所の騒ぎでは無い行動を客や店員に見せつけたのだが、
「おう、サンキュ」
素直に礼を述べるあたり、相当酔いが回っているのだろう。
運悪く目撃した者達としてはそう信じたい。
帰るぞ、と腕を支えられて立ち上がり、会計をしようとズボンのポケットから財布を取り出そうとしたが、
「良いよ、俺が払っとく。遅くなったお詫び」
何事か言い返す前に出した財布を奪われ尻ポケットに戻されてしまった。
酔っ払いを抱えるようにして支えながら会計を済ませ、外に出て行く。
ドアのガラス部分から見えたのは、スーツが皺になるのも気にせず、酔っ払いを優しい表情を浮かべて大切に背負う姿。
「ハルカが一人で飲みに出るなんて珍しいな。夜に独りで、寂しくなった…か」
角を曲がって少し歩けば二人の住処。
店を出て、幾つかの街灯をエイジはハルカを背負って過ぎて来たが、今日はどの電灯よりも月の方が明るく感じる。
「オレは……彼女がこの世の何処にも居なくなってから、いつだって寂しい」
「そうか…」
エイジは慰めるように一度揺すり上げて背負い直す。
「けどな、お前が居着くようになってから時々、寂しいってのを忘れるようになった」
書き置きを見て休みもせず、暑い中、走って店まで迎えに来てくれたのだろう。エイジの首筋を汗が幾度と伝って流れる。ハルカはソレを、妻に、男の人にしては細くて綺麗ねと言われた指で拭う。
ハンカチなんて持ち歩いちゃいない。
エイジが立ち止まって俯いて、背負う腕に力を込めて耳朶を赤く染めたのは、くすぐったかったからだろうと思ったハルカは、
「悪ぃな、汗拭くもの何も持って無くて」
謝れば、エイジは犬が出すようなか細い声で、
「…ぅん」
と鳴いた。
酔っ払いのオッサンと飲んで無いのに酷く酩酊した気分のオッサンの深夜。