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時を彷徨い  作者: 宮沢弘
4/9

2,000年まえ

 とても長い時間を一人で過した。寂しさをまぎらわすために、この島へとやって来た。いや、もう寂しさという感覚は麻痺していたのかもしれない。

 この島にも神がいた。だが、その姿は見えない。それなのに人々は祈り、供物を捧げる。姿が見えないものに何を祈っているのだろう。何を望んでいるのだろう。


 ある時、誰かが断崖から身を投げるのを見た。神がいるなら、なぜこんなことが起こるのだろう。私は断崖の下へと急いだ。せめて埋葬してあげないと。それだけを考えて急いだ。

 断崖の下に着いた時には我が目を疑った。身を投げたであろう者――若者だった――が、岩に腰掛けていた。

 私はバランスを崩し、つい声を上げてしまった。その声に気付いたのだろう。若者がこちらに顔を向けた。

「君は、今…」

 若者は弱々しい笑顔を浮かべて答えた。

「えぇ。死ねませんでした」

「君は死ねないのか?」

 私は足元と若者を交互に見ながら若者に近付いた。

「はい。どういうわけか。今朝、妻を看取って。五人めの妻を看取って。ここに来たのですが」

「私はヤコブだ。君の名前は?」

「ビオスです」

 私とビオスは崖の上に登った。そして私の部屋で、私とアブラハムの話をした。


 私とビオスは様々な議論に参加した。楽しい時期だった。友人がいる。議論がある。円や三角、四角を描いたり、それらを組み合わせての議論もあった。

 また、ただの舞台から、それが劇場へと大きくなっていくのも見た。仮面を着けての演劇もいくつも見た。面白くはあったものの、少し理解できないこともあった。なぜ死を厭うのだろう。おそらく違うからなのだろう。私たちにとっては、望むものなのに。


 この島から始まった文明は、大陸にも版図を広げていた。懐しい場所の噂も耳に入った。だが、ただその場所が懐しいだけであり、噂で聞くことは、もう私が知っている場所ではなかったが。

 それからしばらくして、大陸に若い文明が芽生えたと聞いた。その文明は若さゆえか荒々しく、この島の文明の版図は次第にその若い文明に奪われていった。

 この島の文明と、若い文明はいくらかの衝突もあった。

 私とビオスは、この島に残るか、若い文明の地へ赴くか、それともどこか辺境に行くかを話しあった。だが、おそらく辺境というのはなくなるか、かなり遠ざかるだろうと考え、むしろ若い文明へと居を移すことにした。

 島から出てしばらく経った時だった。騒乱の時期でもあったが、ここはそれほどでもない。その頃、ビオスはある者に傾倒していた。ある日、その者が磔刑に科せられた。それから数年、後継者という者が歩き回っていた。

 そしてビオスは床に伏した。誰かが磔刑に科せられるのは、それほど珍しいことではない。だが、その者はビオスにとって特別だったようだ。いや、磔刑は、ビオスにとって始まりではあっても、理由そのものではなかったのかもしれない。

「あなたより若いのに。すみません」

 私はベッドの横に座り、ビオスの手を握っていた。

「でも、わかったんです。これが未来なのですね」

「あぁ、もちろんこれが未来だ」

 ビオスは最初に会った時と同じように弱々しく微笑んだ。

「いいえ、あなたにはわかっていない。私たちがどうなれば死ねるのか。これは救いです」

「教えてくれ。アブラハムは教えてくれなかった」

「これから、秩序が求められる。権力かもしれないし羊飼いかもしれない。それらが草を食む者たちはただそのために生きるように強いる。それが未来なんです。あなたにはわからなくていい」

 ハームが咳こんだ時のことを思いだす。

「アブラハムもそう言っていた。どういうことなんだ? 教えてくれ」

 ビオスは弱々しくゆっくりと首を振った。

「たぶん、これはその人がわかる時にならなければわからないのでしょう。あなたが今、わからないのだとしたら、今はあなたにとってその時ではないということです」

 ビオスはそう言ったきりだった。


 数年、ビオスを看病したが、彼はそれ以上のことは言わなかった。

 そして、私は二人めの友人を亡くした。


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