始まりの前
そんな琿春の転機はすぐに、だが突如訪れた。
その日は蒸し暑い夏の日だった。
「琿春様!!大変です!」
清潾に仕えて、今は琿春に仕える李賢德が部屋で着替えていた琿春の元に駆け込んできた。
「何だ賢德、そんなおっかない顔をして・・・」
「反乱です!」
「何だって?!」
「曹拮祥とその息子の曹嶔と腹心の馮益(ふうえき)が今兵を率いて宮廷に向かっています!!」
「・・・石享の処刑が原因か・・・」
「おそらく・・・」
言葉を濁す賢德を見て、急いで服を着ながら琿春は彼にこう言った。
「・・・馬を用意してくれ」
思いがけない言葉に賢德は目を見開く。
「琿春様?」
「反乱など今すぐ止めなくては・・・」
「しかし危険です!反乱を起こしたという事は・・・考えられることはただ一つ・・・曹拮祥等は皇帝の座を奪うつもりかもしれません・・・初代様の直系であらせられる琿春様が行けば・・・」
賢德は慌てて琿春の腕を掴む。
「だからと言って!だからと言って・・・このまま何もしないでいろと、いうのか・・・?」
琿春は悔しげに賢德を睨むが、賢德も怯まず自分の意見を述べる。
「そうです。私が反乱を知らせたのは貴方様に止めていただく為ではありません!逃がす為です!私はお義父上から貴方様の事を託されたのです。ここで貴方様を死なせる訳にはいかないのです!」
「賢德・・・だが・・・私は・・・」
「琿春様!死んだらそれで終わりです!死んだらもう何も出来ないのですよ!!」
賢德は必死に琿春を説得するが琿春も頑なに頷こうとしない。
そんな時・・・
「琿春様!賢德様!大変です!!」
侍女が駆けこんでくる。
「そ、外に・・・」
侍女の言葉に2人は顔を見合せ、一旦言い争うのを止める。
「こうなっては、もう逃げられないし、止めるのも無理、か・・・」
琿春が無念そうにそう言うが、侍女が困ったように、
「それが・・・少し変なんです・・・」
と言った。
「変・・・?」
首を傾げる賢德。
「変とは?」
侍女に訊ねる琿春。
「そ、それが・・・」
侍女がそう言いかけた時だった。
「琿春皇子様!ここにいるのは解っています!お出になってください!」
誰かが琿春を大声で呼んだ。
「この声・・・曹嶔です。間違いありません」
賢德が不快気に言う。
「・・・」
琿春は無言のまま歩き出す。
「琿春様?!」
慌てて制止しようとするも琿春はそれを振り切って、入り口を明けた。
「曹嶔、言われた通り出て来たぞ・・・」
曹嶔は琿春の姿を目にすると厭らしい笑みを浮かべる。
「この騒ぎはなんだ?反乱を起こしたと聞いたが・・・私も、殺すのか・・・?」
この言葉に以外にも曹嶔は首を横に振った。
「畏れ多くも皇子様にそのような事が出来るはずがございません」
(・・・反乱を起こしておいて、よくもまぁそんな事が言えるな・・・)
「なら、一体私に何の用だ?」
ため息交じりにそう訊ねると、
「私は父の命で皇子様をお迎えに参ったのです」
「・・・迎え・・・だと?」
嫌な汗が琿春の頬を流れる。
「はい、宮廷までご同行願えますか?」
「・・・わかっ」
「琿春様!!」
後ろから走って来た賢德が琿春の言葉を遮るように言う。
「危険です!お一人なんてとんでもない!!」
「ならば・・・」
曹嶔がこんな提案を出してきた。
「賢德殿もご同行頂くというのは如何でしょう?」
「・・・」
賢德はキッと曹嶔を睨む。
それに反して琿春の答えは変わらなかった。
「・・・解った」
「琿春様?!」
「私と賢德を本当に殺すつもりなら、態々迎えにきただの回りくどい嘘を吐かずとも今ここで殺すと思うが?」
意義を唱える賢德にそう言って、再び曹嶔に向き直り、
「お前の言葉を信じよう」
と、そいう言った。
でも内心では・・・
(・・・本当は解っている。こんなふうに私を連れ出して殺す可能性があるのも・・・それでも私は・・・)
曹嶔はにやにや笑いながら
「なんともったいないお言葉、ありがたき幸せ」
そうひざまついて言った。
(・・・もし、殺されたら・・・その時は、私の運が尽きたという事だ)
琿春は覚悟を胸に、馬に乗る。