ローゼの答え
ナノマシンで植え付けられていた恋愛感情をOFFにした今、祐樹の事を本当に愛していると言えるのか。
ピネガーの囁きに心を揺さぶられ続けていたローゼは、大きく深呼吸をした。
そして、
「ええ。私は彼を愛しているわ」
不安定な気持ちを押し切り、断言する。
『意味わかんない。それが嘘だって何度言ったらわかるわけ?
いったいあいつの何がローゼちゃんを誑かすの?』
「そうね」
ローゼは眉を八の字にしながら、苦笑した。
「自分が死ぬって思ったときに、私の心配をする、そんな所でしょうか」
魔物に連れて行かれる直前に、彼は〝愛している〟と言ってくれた。
きっとローゼが一人でも立ち上がり、ここを脱出できるよう、奮い立たせてくれたのだろう。イスキー邸でもこんな事があった。演技とはいえ、ローゼに本気の平手をお見舞いされたはずの祐樹だが、逆にこちらを心配して必死に宥めてくれた。
彼はそういう男だ。
ローゼは、彼のそういうところを愛しているのだ。
『あのね、あれはローゼのスイッチがOFFになったから、あいつは慌てて気を引こうとしたのよ。じゃないと自分が助からないかもしれないし。だってこのE:IDフォン、祐樹くんのピンチに仲間へ救難信号を出そうとしてたんだよ。
そこまで狡猾な奴が人の心配するわけないじゃない』
「いいえ。彼はどんな時でも、自分より他人を優先するわ」
イスキー邸の地下に率先して潜った祐樹。
操られていたとはいえ、罵倒したローゼを許してくれた祐樹。
礼拝堂で打ち砕かれたローゼを宥め、そして諭してくれた祐樹。
『だーかーら! それも全部、ナノマシンで造った大嘘なんだって!』
それもこれも幻想だとピネガーが打ち砕いていく。
だがローゼはもう怯まなかった。
「あの人がこういったことがあるの。〝姫はそれでいいのか〟って。
今逃げたら、逃げた先でずっと後悔し続けるって」
きっと彼の言うとおりだ。たとえ恐怖が目の前にあっても、ローゼが今、そこから逃げてしまえば、この先ずっと後悔し続けるだろう。
『へぇー。まあ言うことは立派ね。
ねぇ。彼の記憶が辛いなら、消してあげることもできるよ。
もともと嘘っぱちだし』
「誰かが嘘と言うなら、この気持ちが嘘でも構わない。でも、あの人を失った今、こんなにも胸が締め付けられているのは揺るがない事実だわ」
ローゼは胸に手を当てる。
「こんなに悲しかったのは人生で初めてなの。
失って悲しいと思うほど、私はあの人を愛しているの。
スイッチがOFFになっても、それだけは変わらなかった」
イスキー邸での情事に付き合ってくれた祐樹。
城下町で初めてデートした時の祐樹。
自分の事を狂人と知りながら、なおのこと愛してくれた祐樹。
様々な祐樹が脳裏に駆け巡り、ローゼの胸は熱くなった。
ああなんだ、事はとても単純だったのだ。
もう頭痛も悩みもない。
ローゼは縺れた思考を解きほぐすことが出来たようだ。
「私がこれすらも嘘だと断じてしまったら、私の世界に真実なんてどこにもないわ」
ピネガーはむすっとローゼの話を聞いていたが、
『はいはい、了解了解。真実の愛ね、結構じゃない。
あーステキ、ピネガーちゃんもジーンと来ちゃった!
……でさ、なんか忘れてない?』
ふわりと浮き上がってローゼの目の前にやってきた。
『現実問題、ローゼちゃんじゃ祐樹クンを助けられないよ?
ピネガーちゃんはそんな事に手を貸すつもりはさらさらないわけでして。
この先の魔物を倒して奥に進むなんて無理じゃん。
どうすんの? 犬死しちゃうの?』
「それもそうね」
リアルの壁を突き付けられたローゼだったが、しかしどこか胸の高鳴りを感じてあははと笑った。
「その時は彼と同じ場所で死ぬだけね。悪くないわ」
『はい?』
ピネガーが困惑している。理解が追い付かないらしい。
「私ね、〝美しき女王ここに眠る〟より、彼の為に頑張って倒れたほうがよっぽど嬉しいの。あ、できれば彼に手を伸ばして指先だけ触れて絶命したいわ。そのほうがドラマチックで素敵でしょ?」
『い、意味がわからないんですけど』
「ほんとそう。自分でもオカシイって思う。
そうね、でも、道半ばで彼を想いながら事切れるのも悪くないかしら。
私が死ねば、間に合わなくてあの人が死ぬ。だったらもうこれは同じ場所で没したも同然ね。私が今祐樹様の命運を握っているのよ! これって凄くない?
やだ、どうしよ。今とってもドキドキしてる!」
さっきまで自分を支配していた怯えは熱い想いにかき消されていた。
絡まった思考を解きほぐし、彼への愛が真実だと悟った瞬間、待っていたかのように〝それ〟はローゼを満たし始めた。血流の隅々までその愛の迸りを感じている。
もう何も怖くない。
あー、よかった、と、ローゼは晴れた笑顔を見せた。
失ったと思ったそれは、ローゼの中で確かに息づいていたのだ。
「私はちゃんと狂ってる!
これはもう誰にも奪えない、私だけの狂気だわ!」
『……。
…………。
……なによ……それ』
それを見ていたピネガーが、ローゼとは反比例するように表情を落とした。
一瞬のぞかせた瞳は、暗い、暗い、この洞穴にも勝る闇で沈んでいた。
彼女は何かを裏切られたように俯く。だが、そうしてしばらくした後、
『はぁ』
と、呆れたようにため息をつき、苦笑を浮かべた。
『しょーがない。ローゼちゃん、こうしましょう』
彼女はこんな提案をした。
『私も協力するから、二人で彼を探しに行こう。多分あいつはもう死んでいるけど、それを確認したら私はローゼちゃんから彼の記憶を消す』
ピネガーが初めて協力を申し出てくれた。最悪の事態が確認出来たら、その記憶を消すことが条件だが、これで祐樹を救える可能性がぐっと上がるという事だ。
「私に普通の姫に戻れって言いたいのね」
『そうね。ローゼちゃんのラブが強いのは判った。
彼が生きてるか死んでるかわからないうちに引き戻しても、ずっとこうだろうし。
でも死んだ人間に寄り添うような真似はしてほしくないかな』
彼女は千年前にローゼを救おうとして失敗した。
このままでは今回もしくじることになるのが嫌なのだろう。
『彼が死んだのがわかったら、もう諦めもつくでしょう。
その時は辛い記憶とその狂気を私に消させて。
あの赤いドレスを捨てて白いドレスに着替えてほしいの。
彼の傍で一緒に死ねないなら、そんなものもう必要ないでしょ?』
ローゼは悩んだが、条件を呑めば彼の生存率が上がるのは確かだ。
いつか、彼と一緒に死ぬのを心待ちにしている、が、それは二人とも精いっぱい生きた上での事。祐樹が生還するに越したことは無い。
「わかったわ。行きましょう。二人で彼の元へ」
『不本意だけど……しょうがない』
こうしてローゼとピネガーは暗闇の向こうに歩み始めた。




