ポム・プリゾニ地方
かっこよく決めたつもりが結局変態マンになってしまった残念な日の翌日。
俺は今度は物理的な危機に直面していた。
「のっぴきならないって、多分こういう時に使うんだろうな」
真っ白な岩場を背に、横ばいでしがみつきながら呟いた。
慎重に一歩前進する。
つま先に当たった小石がカランカランと音を立てて落下していく。
俺のスニーカーの先っぽから数センチ前はもう、谷底への大口になっている。
先に何があるのかは、深すぎて見えないし、正直見たくもない。
俺、ローゼ姫、そして亜利奈はギリギリの断崖絶壁で危険な行進をしていた。
谷から突風が吹き上がり、咄嗟に俺は踏ん張った。
「二人とも無事か!?」
男の俺でもバランスを崩しかねない突風だった。
不安が過り、俺と同じ姿勢の二人に安否を確認する。
……大丈夫そうだ。ホッと胸を撫で下ろす。
特に姫なんかはスカートの丈を短くしただけの、あまり運動向きじゃないドレス姿なのでこの状況は本当にヤバい。
「姫、とにかく俺の服の裾を絶対離さないでよ」
「は、はい……!」
不安そうに姫は俺にしがみつく。
「恐ろしく深い谷です……落ちたらどうなるのでしょう?」
「あんまりそういうの考えないで」
正直、俺だって谷の方を見たら怖くて動けなくなりそうなんだから、煽るのは止めてほしい。俺が二人を先導しないと。ビビってる場合じゃないんだ。
「こ、このまま二人で、もつれ合って谷底に落ちてしまうと……」
姫はまだそんなことを言っている。やめてってば、
「二人共一瞬で逝ける、そんな気がしませんか?」
「……ん?」
なんか、ちょっと能動的に落ちる方に話が寄ってない?
「そんな事になってしまったら、まるで叩きつけられた二つのトマトのように、もうどちらがどちらかわからないくらいに、ふ、二人の亡骸の肉片と体液が絡み合って、身体は二度と離れ離れにならないし、そ、それから!
誰にも、誰にも邪魔をされない静かな場所で添い遂げてしまいますねっ!」
なんか、隣の人がすげぇ危険な事口走ってるんですけど。
添い遂げるって単語の用法これで合ってるの?
姫の何かを期待するようなキラキラした視線が俺の横顔に刺さる。
「そんな二人なら、きっと来世でも結ばれますわ。
私、もう何も怖くありません!」
俺は怖さマシマシなんだが。
断崖絶壁のピンチシーンでこんなにキラキラされるのは想定外だが、すまん姫、その期待に応える事はできん。
一拍置いて、ローゼ姫はハッとなって片手で口を塞ぐと、
「ご、ごめんなさい、私ったらなんてはしたない……」
と顔を真っ赤にして俯いてしまった。
うん違うそうじゃない。
つか、姫の胸キュンポイントがまるで理解できん。
姫は何やらもじもじしながら、
「えへへ、そんなのダメですよねっ。
私はお姫様なんですから」
「いや、この場合ジョブは関係ないと思うぞ?
あとそのもじもじ、割と危ないからやめて」
そのラブ振動でラブ滑落しかねん。
そして恐ろしい事にこの人にとってそれは本望っぽい。
俺はゾッとした。谷より姫の方がこえぇ。
「ユウ君、ローゼ姫からちょっと離れた方が良いと思う」
本人を挟んで亜利奈のアドバイスが届く。
俺は深く頷いた。
「とりあえず、裾、離してくれない?」
「そんな! 先ほどは絶対離すなと申してくださいましたのに!
私が一人で落ちたらどうするんですか!」
「落ちる事前提なのが怖いのッ!!
さっきからなんなの、落ちたいの!?」
すると姫はぷくっとふくれっ面をして、
「別に落ちたいなんて言ってません。
祐樹様となら落ちても構わないと言ってるんです。
そういう乙女心の機微を、ちょっとぐらい理解してくれてもいいじゃないですか」
と、なんか怒られてしまった。
乙女心の機微ってまたずいぶん便利な言葉使ってきたな。
つり橋効果で頭ヤバくなってるのか?
俺はため息を吐いて、
「わかった、とにかく裾は離さないで」
と指示し、慎重に前進を再開する。
まあ、アホな会話のおかげで、少しだけ断崖の恐怖が薄まったのは確かかも。谷より姫の方が怖いっていう、注射する時に足を抓ると痛くないアレに近い気もするがそれは置いておこう。
ミストは来なくて正解だったな。
同行しないと言い出した時には、昨日の件でまだ怒っているのかと悩んだが、結果的に助かった。あの子までここに居るとこの状況でも修羅場が発生したかもしれん。
あーあ。双子の剣士の遺跡へは楽に行けるって話だったのに、なんでこんな事になっちまったのやら。
†
双子の剣士の遺跡への道は平坦で、距離はあるもののこれといった障害は無い。
用意された馬車に揺られている道中、ドゥミ嬢の姿のローゼ姫とそんな事を確認し合っていた。正直、俺達はそれほど身構えておらず、ほとんどピクニック気分だった。
だとしても、お姫様の一泊二日の長距離外出に、今回は護衛騎士の同行は無しと知った時には流石にどうかと思って異議を唱えたが、
「祐樹様が傍にいらっしゃるのに、護衛騎士が必要ですか?」
と不思議そうな顔で質問返しを喰らった。
買いかぶりすぎだろ。まあ、王国関係者に話を通すと絶対に引き留められるため、どっちみち連れて行くわけにはいかなかったみたいだが。
ちなみに、公的には俺達はローゼ姫の代理人として遺跡調査をするという立場で、天下御免のお役目を貰った一行という事になっている。
姫の方はガルバトス領の視察という、案外嘘は言ってないアリバイ付きだ。なんでかよくわからんが、ガルバトス領内での姫の行動は王国関係者には把握させづらいようになっているんだと。しかし、御者もよもや姫殿下ご本人が後ろに乗っているとは想像すらしていないだろう。
俺達はイスキー領経由でシドール共和国のガルバトス領に入っていった。
王城からイスキー領までは結構な距離があるから、かれこれ4時間ぐらい経つ。
この世界では長距離になると馬を交換するため、ポム・プリゾニ地方にある駅家に入って小休止になった。高速道路でトイレ休憩みたいな感じだ。
俺は外の空気を吸うため一度下車し、伸びをしながら景色を眺めた。
舗装されてない路面の両端に、木製の小屋が数件立ち並び、その先に馬小屋があるだけの簡単な施設だった。建物の裏には畑が少しあるが、簡単な柵で区切られ、その先は樹林が生い茂る森になっているようだ。森は深そうで先が見えない。
ここで食事ぐらいは出来るみたいだが、俺の世界の茶店みたいな軒先で軽食を食べる程度のシンプルな場所だ。まあ田舎って部分もあるのかもしれないが、基本的には休憩所で、長居する場所ではないってとこか。
……気のせいか周りの視線が気になる。
少し物珍しそうにジロジロ見られているというか。
「そういや、シドール国って、イワン王国とは喧嘩中じゃなかったっけ?」
そう、姫に問いかけると、
「シドールは領主が独立した政治を行いますので。
個々の領主ときちんと話し合えば、こうした和平交渉も上手くいくものですよ」
「へぇ」
姫の説明に生返事をしたものの、トップがそう決めても国民感情までは簡単に変えられないだろう。ガルバトス領を越えればそこは敵国ってことだし。
馬を宥めていた御者の「遠くには行くなよ」という注意に「はいよ」と頷いて、俺はあたりの散策を始めた。
「あんた、イワン王国の人間かい?」
少し歩いたあたりで、ヒゲ面のおっさんに声をかけられた。
「ええ、そうですけど」
「シドールへようこそ。
このシドールには王も姫も居ないし、俺達は王国民になったわけじゃない。
それだけ伝えたかったんだ。
〝じゃあ、旅を楽しんでくれ〟。これは言わなきゃならん習わしだからな」
そんな事を言っておっさんは去っていった。
……どういう意味だっつーの。
意図はわからんが、歓迎されてないのは伝わるし、なによりムカつくな。
「うぅ。ちょっと、居心地悪いね」
後ろについてきていた亜利奈が言った。
「亜利奈はいじめられっ子だから慣れてるけど、ユウ君にはストレスだよね」
「こんな事に慣れてるの自慢されてもな」
「ローゼ姫に告げ口したら、懲らしめてくれるかな?」
「いやいや、余計心象悪くなるような事思いつくんじゃないっての」
そんなやり取りをしていると、あれ?
さっきのおっさんが血相を変えてどっかに走っていく。
知り合いらしき別のおっさんに食らい付くようにして、
「俺の馬が全部逃げた! 追う馬を出してくれ!!」
と必死に訴え、駅家はにわかに騒がしくなってきた。
「きっと、ユウ君に酷い事言ったバチが当たったんだね」
悪い笑顔で言った亜利奈に「不謹慎でしょ」とチョップして、俺達は足早に馬車へと戻った。さっきの嫌味の矛先が亜利奈に向いたら敵わんし、こんなとこで〝ローゼ姫と顔がよく似ている〟ドゥミ嬢と離れるのも良くない。
「さっさと出よう」
そう御者に言って、馬車は出発を始めた。
……思えばここで話した御者はフードを被って顔がよく見えなかったし、俺も少し急いていたから変化に気が付かなかった。それに、この時俺は一泊のスケジュールを変更できないか悩んでいたので注意を払っていなかったのも一因だろう。
王国への敵意が燻っている場所で、姫を連れての寝泊まりなんて不安だし。
馬車の中で姫にシドール国民からのヘイトについて話し、危ないから日帰りにプラン変更しようと提案すると、
「その程度なら旅順を変える必要は無いと思いますが。
ねぇ?」
姫は亜利奈に同意を求めるように問いかけ、亜利奈も、
「ユウ君が居るから大丈夫だよ」
「「ねー♪」」
「ハモるな」
なんでそうなるんだよこいつら。つか、もうちょっと警戒心を持ってくれ。
俺に対する信頼感が宗教染みててなんかちょっと怖いんだよ。
「あ、でも、ユウ君が不安で寝れなくなっちゃうかな」
「まあ、それは大変。なら今夜中にイスキー領に戻りましょうか。
寝床はお屋敷を間借りすればよろしいですし」
「……あそこはあそこで寝れんわ」
あれやこれやプラン変更について盛り上がっている最中、ふと、姫が窓の外を見て不思議そうな顔をしているのに気付いた。
「どうしたの?」
問いかけると、姫は地図を取り出し、もう一度外を見る。
「おかしいです。このような峡谷の傍は通らないはず」
俺が地図を受け取る。確かに、印が書いてあるポイントまではひたすらに平原が広がっているはずが、窓から見える景色は、少し先の地面が切り取られたように無くなって、そこから距離を置いた先に、対の切り立った崖が見える。
「う、駅家の近くの森も無い! ……気がする」
亜利奈が自信なさそうにそう言うが、そのとおりだ。ガルバドス領に入ってからの地図表記はかなり断片的で、実態とは食い違っている。
これじゃあ今どこの道を進んでいるのかすらわからない。
俺は御者と会話するための小窓を開け、
「ちょっと止まってくれ!」
と叫ぶ。すると御者は振り返り、
「ダメだね」
――こいつ、イワン王国の御者じゃないぞ!
偽の御者は鞭を振い、馬の尻に数発乱暴に叩きつけた。
嘶きというより悲鳴が上がる中、奴はひらりと飛び降りてしまった。
「マジかよっ!」
馬車は加速、でも暴走する先は明らかに道がない!
馬もそれに気づいて前肢を高く上げ、急ブレーキをかけるが、
ドンッ!
車が慣性のまま馬に体当たりし、俺達はひっくり返った。
馬車が落下しているんだ!
俺は悲鳴を上げそうになったが姫と亜利奈の絶叫がそれを遮った。そうだ、泣いてる場合じゃない!
「二人とも俺に掴まれ!」
E:IDフォンを取り出して起動、
『ready』
「『スキル』……〝核ミサイルパンチ〟ッ!!」
『〝核ミサイルパンチ〟
Emulator set up!』
最初に注意事項に記載があったように、こいつは相手をぶっ飛ばす以外にもう一つの特徴がある。
〝外すと自分が飛んで行ってしまう〟というデメリットだ。
要するに、ここで、腕を突き出しで空振りする――とッ!!
ドンッ!!
俺の身体は右手を突き出した格好で馬車の後部をぶち破り、高く飛んだ。
成功だ!
そんで俺は姫と亜利奈がしがみついているまま、真っ直ぐに、真っ直ぐに、
「ユウ君、これって向き変えれないよね?」
「……」
断崖絶壁に、ドーンッ!!
バカでかいクレーターを刻み込んで、自分の右手を突き刺す形で止まった。
そこからバブルでゆっくり降下し、なんとか横ばいで立てる足場を見つけて、そして絶望的な行進が始まった次第だ。
†
御者に扮していた仕事人は、暴走した馬車の軌跡を追って、それが道なき先へと伸びていることを確認して微笑んだ。
「聞いていた人数より多かったな。
……まあいい」
そう呟いて立ち去ろうとする、
と、
「ぐ――!?」
突然首が閉り、側頭部を地面にぶつける。
縄が首に纏わりついていることを察知したところで、仰向けになる彼を覗き込む姿があった。
「お仕事ごくろーさま☆」
おさげのあか抜けない少女、ローゼ姫の友人を名乗る一人だ。
確か、アリナとかいう名前で、今回の暗殺対象だ。
「お、お前、馬車に乗っていたはずじゃ」
「ユウ君がちょっと退屈してたから、丁度いいアトラクションだったわ。
うんうん、やっぱり冒険はこのくらいのスリルが無いといけないよねっ!」
疑問には応えず、亜利奈は指を振って上機嫌そうに話す。
「流石に亜利奈もちょぉーーーっとヒヤリとしたけど、さっすがユウ君!
ほんとにもう、カッコよくてカッコよくて、きゃーっ!
俺に掴まれ、だって、もぉーっ!
スキスキ、本当にスキが止まらないのっ!
亜利奈ね、あなたに感謝しちゃったくらいなんだから!」
……会話がかみ合っていない。一体何をはしゃいでいるんだ?
しかも、この少女、暗殺者である自分を前に恐れる様子がない。
得体がしれない。早めに始末したほうが良さそうだ。
暗殺者は投擲ナイフを……、ん?
ナイフが無い、いや、武器や魔源も全て無くなっている!?
「お仕事は終わったんだからこれはもういらないよね?」
暗殺者の探し物はすべて亜利奈の足元にあった。
まさかこの女にすられたのか!?
「くそっ!」
力でねじ伏せようと立ち上がる暗殺者だったが、亜利奈は一言、
「〝拘束の魔法〟」
そう唱えただけで、彼の身体は太い縄で簀巻きにされ、身動きが取れなくなった。
ゴロンと転がる暗殺者を足蹴にすると、亜利奈は、
「さあ、帰りの足は亜利奈が用意しといてあげたよ♪」
ブルゥゥ、と、馬の鳴く声が聞こえる。谷底に突き落としたはずの馬が、亜利奈に従うようにやってくる。
亜利奈は暗殺者の首に括りつけた縄を馬の胴に取り付けた。
――これじゃあ引き回し刑だッ!
「や、やめて……」
暗殺者の懇願を聞く様子もなく、亜利奈は、んーっと上目遣いで、
「こういう時なんていうんだっけ?」
そうしばし悩んだ素振りの後、
「……あ、そうそう!」
「〝じゃあ、旅を楽しんで〟」
馬が駆け抜ける間、それに連なった彼の身体は非常に良く弾んだ。




