ゴシップ・タイムズ
屋敷に戻り、トリスに預かってもらっていたお嬢様の荷物を受け取る。
三人で階段を上がり、エントランスホールに入る。
まるで高級ホテルにやってきたかのような豪華絢爛の内装で、広い吹き抜けにはシャンデリア、意匠に凝った絨毯、壁には壺やら裸婦の像やら重厚な額縁の風景画やらで彩られている。なによりもこの屋敷、外と中とのギャップが凄まじいな。
「それでは、アリナさんはこちらへ」
ぼけっと圧巻していると、トリスが亜利奈を呼びつけた。
「今日より滞在の間、我が屋敷のメイド達とご一緒願います。他のメイド達と同様に扱うので、そのつもりで」
「は……はいっ!
よ、よ、よろしくお願いしますっ!」
こいつの事だから、てっきり泣いて往生際の悪い事言い出すかと思ったが、意外にも亜利奈は前向きな返事をした。
「……大丈夫なのか?」
なんだか心配になってそう声をかけると、亜利奈は青い顔しながらも、
「ユウ君に頑張るって約束したから」
と気丈に言ってのけた。
「わかった。
でも無理するなよ。なんかあったら、すぐに俺かお嬢様の所に逃げるんだぞ」
「う、うん。そうするね」
「――そろそろよろしいかな?」
トリスが急かしてきたため、亜利奈はそちらに向かう。そしてトリスは、
「おい、お前、ちょっといいかね」
とメイドを一人呼び止めた。
「ユウキ殿をドゥミお嬢様の客間にお連れしてくれ。一番奥の客間だ、わかるな?」
「はい、トリス様」
「よし。
……ではユウキ殿、食事の時間にはまたお呼び致しますので」
俺は荷物を担いで頷いた。
案内してくれるメイドに着いて、階段を上っていく。
「ああ、そうだ。
――あまり、粗相はなさいませぬよう、くれぐれもお願いいたしますぞ」
去り際にトリスがそんな事言ってきた。
イチャイチャし過ぎんなってか。
演技なんだから本当にイチャイチャできるわけじゃないんだけどなぁ。
「こちらです」
メイドさんが客室に案内してくれる。
廊下も結構な広さがある。
俺の寮は1DKだが、たぶんこの廊下にすっぽり入っちまうぞ。
右手には窓際、対の壁には調度品。
まるで小規模な美術館みたいだ。
その美術館の突き当りの部屋で、メイドさんが立ち止まった。
「こちらがお嬢様のお部屋になります」
俺に簡単に紹介した後、くるりと翻り、扉に取り付けてある巨大なカラビナみたいな金具を掴む。確かドアノッカーってやつだ。
そしてそれをコンコンと打ち付けた。
『どなた?』
中からドゥミ嬢が返事をする。
「お付きのユウキ様がご到着されました」
『入れてあげて』
「失礼いたします」
ガチャリ、とメイドさんは扉を開いて、
「どうぞ」
と、一礼しながら通してくれた。
俺が入るとメイドさんがさらに、
「失礼します」
とうやうやしく一礼して扉を閉じた。
……なんか、身分不相応な対応をされてそわそわする。すげぇ落ち着かない。
「ちょっと緊張しすぎじゃない?」
天蓋付キングサイズのベットに腰かけたドゥミ嬢が、俺の居心地悪そうな様子を見て、けらけら笑った。
「はあ……。
こういうお屋敷、慣れないんで」
俺がそういうと、またお嬢様は笑った。
客間の広さは20畳ぐらいだろうか。
思ってたより狭い。
アンティーク調のドレッサーに、一輪の花が添えられていて、部屋の中央には丸いテーブルと、椅子が4つ。
ここにきて〝アンティーク調〟って表現もなんか変な気もするけど。
とにかくわりとモノが置かれている感じがして、既に「生活感」があった。
「荷物、どうしましょう?」
一応肩書は付き人なので、職務に従事して言うと、
「荷物なんてその辺でいいから、こっちに来なさい」
と、もう一つの〝職務〟を要求された。
……うーん、そこまで役に入り込む必要があるのかと。
とりあえず合わせておこう。
俺はベットに向い、お嬢様からちょっと間をあけて腰かける。
だが、ドゥミ嬢がすぐにその間を詰めてしまった。そしてなんと俺の胸に頭を乗せ、体重を掛けてきたのだ。
マジか。
お姫様これ勘違い上等過ぎですよ。
俺が狼狽して声も出せずにいると、
「……どうしたの?」
と、お嬢様が上目づかいで言う。
その瞳の向こうで、
〝いつも通り、優しくしてっ☆〟
って言ってるように見受けられるのはDTの妄想でございましょうか?
「と、トリスのおっさんにあんまりハメを外すなって言われたんですけど」
「馬鹿ね。
あんな堅物ほっといていいのよ」
すっかりエロお嬢様が出来上がってる。
いかん、これもうどこまで踏み込んでいいのか判別付かないっ!
(ちょっとっ!
ここまでやんなきゃいけないのっ!?)
小声で抗議する。
いい加減DTには難易度が高すぎる演技を要求されているよっ。
すると、姫は人差し指を立て、「しーっ」とジェスチャーした。
(扉の向こうでメイドが傍耳立ててます。
ちょっとだけ、ゴシップを提供しておきましょう)
あ。
はあ……。
なるほど、そういうわけか。
なんか納得したような、スッキリしすぎて逆に腑に落ちないというか、要するにちょっぴり残念というか。
「ねぇ、いつものように髪を撫でてよ」
一瞬だけローゼ姫になった彼女はすぐにドゥミ嬢に戻って要求してくる。
「……それとも路上に戻りたいの?」
どうもドゥミ嬢はサドっ気あるよなぁ。
どうせ演技なんだし、このままやられっぱなしも癪だ。
ちょっと反撃してやろう。
えー、こほん。
「俺は路上に戻っても構わないぜ。
でも……」
そう言ってドゥミ嬢の肩を抱いてもっと手繰り寄せる。
彼女の小さな悲鳴を無視して、視線を合わせると、
「困るのは、お嬢様の方じゃないのか?」
「……………………」
ドゥミ嬢は呆気にとられた顔で目を合わせている。
ふははは、驚いてる驚いてる。
まさか俺が攻めに回るとは思うまいて。
ちょっとしてお嬢様はハッとなり、
「な……なによ、生意気ね。
私がいないと生きていけない癖に」
「お嬢様こそ、俺がいないと生きていけないだろう?」
あー、今のはちょっとキザすぎたかな?
まあわざとらしいくらいが丁度いいってローゼ姫本人が言ってたし。
「~~~~~…………っ!」
お嬢様が顔を真っ赤にして目を背ける。
女は化けるって言うけど、演技でこんな可愛い仕草ができるんだから凄いよな。
「ダメ、やっぱりあっちいって」
「いいのかい?」
「え、ええ、そうよっ。
あんたみたいな無礼者で無教養な田舎者なんて、クビよっ!」
あー、これはあれか。
俺達の世界でいう〝ツンデレ〟って認識でいいのかな?
「そっか。残念だな」
お嬢様の体を押しのけ、立ち上がる。
「あ……」
するとドゥミお嬢様が名残惜しそうな声をあげた。
あと一押しかな。
「寂しくなるけど、俺は君の〝付き人〟だから、しょうがないよな。
命令には従おう。
君の様な高貴な女性と何度も朝を迎えたことは俺の誇りだよ。
――今日からそれは思い出になってしまうみたいだけど」
おおー。今のセリフよく出てきたな。
自分でも感心するわ。
相手が自分にぞっこんっていう〝設定〟じゃないとこれは言えないぞ。
「あ、ま、……待ちなさいっ!」
ドゥミ嬢が焦りを見せ、引き留める。
「うん、わかった。待とう」
「そ、そうじゃないでしょっ!?」
「そうじゃない……っていう命令はよくわからないなぁ。
なにせ、俺は無教養だから」
「う……あ、あのっ、ええっと」
ドゥミ嬢は自分の威厳を保ち、なおかつ俺を求めるための言葉を探し、
そして――、
「わ、わかってるんでしょっ!
行かないで、行っちゃ嫌よっ!
わ、わ、私の側に居てよっ!」
ついに折れた。
威厳を捨て、心のままに相手を求める一人の少女になったのだ。
――高飛車お嬢様が恋愛は使用人に手玉にとられてる……、
うん。
ゴシップネタとしてはこんなもんでいいんじゃないかな?
「仕方ないなぁ。大公のお嬢様が言うんじゃ、下層民の俺は従わないとな。
――でもまあ、ここから先は、」
そう言って出て行くフリをしながら近づいていた出入り口の扉を開く。
「ひゃあっ!」
案内してくれたメイドさんがばたりと床に転げ落ちた。
ローゼ姫の言う通り、ドアにべったり張り付いて俺達の昼ドラ演技に聞き入っていたのだ。
「――傍聴人無しで続けたいけどね」
俺は意地の悪い声でメイドさんに言う。
メイドさんは立ち上がると蒼白な顔で、
「わ、私、何も聞いてませんっ!
何も見てませんっ!」
と必死に釈明した。
「らしいよ。どうするお嬢様?」
「……二度とこんな真似は許さないわ。
いいわね?」
「は、はいいいいっ!
ししし、失礼しましたああああっ!!」
絶叫しながらメイドさんは逃げていく。
「よし、これでもう誰も近づくまい」
俺は達成感に満ちながら扉を閉めた。
「どうっ? どうっ!? ちゃんとジゴロっぽい感じで演技出来てたっ!?」
サムズアップして姫に評価を問う。
すると姫はバタンと枕に顔を埋めて、
「祐樹さん……」
「ん?」
「…………やりすぎ」
そのままうーうー唸って出てこなくなってしまった。
えーっと。
……これ俺はどうすればいいの?
†
「さて。
なにから取り掛かろうかな」
リネン室の中、渡されたメイド服に着替えながら亜利奈は呟いた。
イスキーの豚共を血祭りにあげることは造作もない。
だがしかし、それではダメだ。
ローゼ姫にはこの問題をある程度国に納得させられる形で解決してもらわないと、後々都合が悪い。
と、なれば、やはり謀反の証拠集めが一番の正攻法か。
仕方ない。
もう少し大人しくしておくか……。
着替え終わると、リネン室から厨房に移動する。厨房では〝先輩〟達が亜利奈を出迎えてくれた。
「きょ、今日から勉強させていただきます、亜利奈と申しますっ!
よ、よ……よろしくお願いしますっ!」
皆が拍手で迎えてくれる。
……妙だな、と、亜利奈は首を傾げた。
ここのメイド達は年端のいかない若い娘ばかりしかいない。
秋葉原のメイド喫茶じゃあるまいし、壮年のメイド長が仕切っているのが普通だ。
「さあ、じゃあまずは最初の仕事からお願いしようかしら?」
先輩の一人が言う。
仕切り始めたって事は、こいつがメイド長か?
「はいっ、……なんでも頑張りますっ!」
亜利奈が意気込みを見せておく。
彼女は笑顔で頷き、亜利奈を厨房の外へ導いた。
「あの……お外ですか?」
「ええ。新人さんにはまずやってもらわないといけない作業があるの」
――何かあるな。これは。
そう直感したが、亜利奈はとり合えず惚けて付いていく。
外は厨房裏方となっていて、根野菜や穀物など保存の利くものが置かれていた。
彼女は置かれていた、コンテナの様な四角く、蓋付きのカゴを開く。
取り出したのは足を縛った鶏だ。
ケッコケッコと鳴く活きの良いそれを、先輩メイドは、
「〆て」
と笑顔で突き付けた。
なるほどな。
汚れ仕事ってわけだ。
なにもメイドがやらなくても、職人がいるだろうに。
「あ、あのっ……、こういうの、普通業者さんでやってくれるんじゃ……」
「何言ってるの。
それじゃ鮮度が落ちるでしょ?
お館様やお客様に味の落ちたモノを食べさせるつもりなの?」
「そ、それはそう……ですけど」
「ご実家ではやらなかったの?」
「は、はい……。
いつも父が処理してくれたので」
「そう。でもここでは別よ」
厨房からクスクスと声が聞こえる。
こいつらは新人が戸惑う様を見て楽しんでいるようだ。
クズどもは集まるとすぐこれだ。
ああ。
群れる事しかできないクソ共め。
こいつら全員にユウ君の靴を舐めさせてやりたい。
他に目的がなければ今すぐにでもやってやるのに……まあ、仕方ない。
「うぅ……。わかりました」
亜利奈はおずおずと鳥を受け取った。
「あの。
……や、やったことないんです。
これをどうしたらいいかわかんなくて」
「甘えないで。
そこにナイフがあるでしょ?
それで血管を……、」
「こうですか?」
亜利奈は鳥の頭を掴むと、力任せに一気に引き抜いた。
ぐしゃり。生の脊髄がしなり、先輩の服に血飛沫が描かれる。
ひぃっ、と彼女はすくみ上るが、これだけではまだ終わらない。
血抜きをしていない胴体から、ブッと間欠泉のように血が吹き上がったのだ。
トサツ文化があろうとなかろうと、鮮血を浴びて平気な女子などそう多くは無い。
「きゃああああああっ!!」
彼女も例にもれず、怯え、絶叫した。
すぐに他のメイドも駆けつけるだろう。
だがそれじゃあ面白くないな。
亜利奈は魔法を使い、厨房裏方の扉を閉じるとつっかえ棒で封をしてやる。
「あ、あ、あ、あなたっ!
おかしいわ、普通じゃないっ!」
「んーと、違いました?
私、やったことないんです」
亜利奈は惚けて、新しい鳥を掴むと、
「今度は上手にやりますねっ」
「いい、あなた、もういいからっ!」
「え、あの……でも。
私も早く皆さんみたいに一人前になりたいですからっ!」
「いや、やめて、その鳥を放して……」
制止しようにも腰が抜けて動けないのだろう。そんな先輩の懇願を聞かなかったフリして、亜利奈はもう一度、ぶちりと頭を引っこ抜く。
鮮血がまた彼女に降り注ぐ。
「ひぃ――…………っ」
ショックが限度を超え、彼女はパタリと気絶してしまった。
ちょろいもんだ。
裏戸を解放してやると、他のメイド達が雪崩れ込んできた。
当然、口々に惨状について問われた。
「ごめんなさい。
私のナイフの入れ方が下手過ぎて、先輩を驚させちゃったんです」
そんな適当な釈明をしてから亜利奈は、
「……とりあえず、新しいメイド服頂いてもいいですか?」
と、赤に染まったエプロンを外した。