そのわらび餅は誰が渡すのか。
(※半月前)
ローゼ姫が単身で敵国に乗り込み、ガルバトス領と植民地契約を交わして帰ってきたことは、当然、国に大きな衝撃を与えた。
国民たちは歓声を上げた。
ただでさえ戦火に怯えていた彼らは、王の病床、姫の婚約者グレンの反逆、そして邪教の手による大聖堂の火災と痛ましいニュースが続き、イワン王国は天上に見捨てられたのではないかとまで噂するほどだったのだ。
そんな折に舞い込んできたローゼ姫の活躍は、新たな希望となった。
白から赤に変わった彼女は、これまでの清らかさとは打って変わり、力強い決意を感じさせ、国中に蔓延した不運を取り去ってくれる、そんな期待を多くの国民にもたらした。
――その力強さの正体は、ただ一人への情愛が歪んだ狂気なのだが、喝采を送る者たちはそれを察知する事などできなかった。
最も、それは情愛を向けられている〝彼〟自身も例外ではないのだが。
そして何より、当のローゼ姫はそんな庶民の反応などあまり興味を示さなかった。
彼女にとって、今最も重要なのは――、
「嫌」
亜利奈が言った。
祐樹がこちらの世界で住処にしている部屋、そのテーブルに対になるように着席しているのは亜利奈と、ドゥミ嬢に扮したローゼだった。
テーブル中央には彼女たちが領土と共に持ち帰った戦利品のわらび餅がある。
親指ほどの可愛らしい大きさで、水晶のように透き通った涼しげな球体だ。
それが皿の上で数十個ほど、陽の光を反射していた。
「それは譲らない」
亜利奈はドゥミにもう一度いうと、無表情で、
「殺すよ?」
その一言は常人を竦み上がらせるほど凍てついたものだったが、差し向けられた相手のドゥミといえば眉一つも動かさず、
「先日は私の戦果は彼にちゃんと伝えると言ったではないですか」
と反論した。
むしろ苛立ちを露わにしたのは亜利奈の方で、
「完成したわらび餅をユウ君に渡す権利まで約束してない」
「あら、そうでしたか? まあよく覚えていません」
突然、亜利奈の手が翻り、投擲ナイフを放った。
刃は風切り音を纏い、微動だにしないドゥミの髪を数本裂いて柱に突き刺さった。
亜利奈とドゥミは先日入手したわらび餅をどちらが祐樹に渡すかで言い争いを始め、それは瞬く間に血の匂いを帯び始めていた。
ここに居る少女は二人ともまともではないのだ。
既にきな粉の調達だけで死人を出している。
〝祐樹に対する優先権〟、そんなものの奪い合いとなれば、そのためにどんな犠牲を伴うのかは誰にもわからなかった。
「そもそも議論する余地なく、このわらぶ……、わらに?
わら……わらべぇ……ん? えー、まあ。
〝それを〟祐樹様に献上するのは私の務めです」
ドゥミは平然と主張した。
「名前もうろ覚えで偉そうに。
わらび餅を作ったの亜利奈だし、この世界で再現する方法を考えたのも亜利奈だし、ガルバトス領の見張り塔を破壊したのも亜利奈だし。
亜利奈がユウ君にあげるのが筋だよね道理だよね摂理だよね?
殺すよ? ねぇ、殺すよ?」
「あらそれはご苦労様です。褒美に荘園でも差し上げましょうか?」
「あ。なめてるんだ。亜利奈の事、なめてるんだ。どうせユウ君のためにローゼちゃんの事傷つけたりしないとかタカ括ってるんでしょ?」
亜利奈の背後にいくつかの邪悪な腕がしゅるりしゅるりと伸びる。
もう彼女は臨戦態勢に取り掛かっていた。
「亜利奈はバラバラにしてから繋ぎ直すぐらいは造作ないからね?」
「うぅ」
ここでドゥミが初めて圧された表情を見せる。
流石に実力行使には弱い、というかドゥミはもともと亜利奈に〝洗脳〟されている身、祐樹という後ろ盾を亜利奈が崩しにかかれば、言い争いで勝ち目は無かった。
「そこまで言い出すなんて考えていませんでした」
ドゥミはうーんと悩む素振りを見せると、一間、深いため息をついて
「……やむを得ません。
確かに、亜利奈さんの方が数多く働いていらっしゃいますし」
と、負けを認めた。
「ふん」
亜利奈は勝利を得て異形の腕を引っ込めたものの、怒りの鉾まで収めた様子は無い
「やはり、亜利奈さんには敵いません。あーあ。嫌になりますね」
ドゥミは皿を自分の傍に寄せ、
「わらび餅、でしたっけ?
水滴を魔術で包んだような不思議なお菓子ですね」
しげしげと観察して、元に戻した。
「ではどうでしょう、今度作り方を教えていただくことはできませんか?
そうすれば、次回は私が祐樹様に差し上げることができます」
「あのさ、虫が良すぎない?
人をここまで怒らせといて都合よく教えてくれるとか思う?」
「え、……ダメですか?
これでも一応譲歩しているつもりなんですが」
「それのどこが譲歩なのか亜利奈にはわからないんだけど
とりあえずダメだよ」
そう亜利奈に提案を突っぱねられると、ドゥミは
「そうですか……じゃあ仕方ありません」
と、何故だかにっこりと笑って、
「なら、このわらび餅は私が貰っていきますね♪」
一方、亜利奈は、怒りを通り越し、表情筋を痙攣させた歪な笑みを見せた。
「ローゼちゃんの、頭は……そんなに悪いのかなぁ?」
ズルズルと再び伸び始める異形の腕に殺意を上乗せする亜利奈に、
ドゥミは待ったとばかりに平手を見せ、
そして、
「毒を盛っちゃいました☆」
キラ☆っと輝くスマイルでとんでもない事を明かした。
「は?」
予想外の宣言に、亜利奈が戸惑う。
ドゥミはもう一度にっこり笑い、
「この数十個のうち、一粒に毒を仕込みました。
どれが毒入りか、知っているのは私だけです。
私に権利を譲らないのであれば、毒餅は取り除けず、祐樹様はそうとも知らずにこの毒を体に入れてしまうことになります」
「な……、」
亜利奈は息を呑み、
「な……ん……だってェッッ!?」
悲鳴を上げた。
「全て廃棄してもう一度作り直しますか?
それはそれは。もうすぐ護衛騎士達との昼食を終え、帰って来る祐樹様ががっかりするでしょう。祐樹様の好物なのでしょう? さぞやさぞや残念がるでしょうね。
あなたはそんな彼の姿を見ることができますか?」
ドゥミは、亜利奈にはそれができない事を十分理解しているのだ。
亜利奈にとって、祐樹の存在は絶対であり、彼の為に用意した嗜好品が彼に届けられないのは耐え難い屈辱だった。
それはドゥミとて同じことだが、故に逆手にとって見せたのだ
「私達の〝つまらない〟優先権争いの結果、あの方を悲しませるなんてこと……。
私には耐えられません」
歌うように、それはそれは愉しそうにドゥミは語る。
「あ、私はちゃんとここにわらび餅があったことは証言させていただきますから。
当然、先日試食させていただいた際の感想も。
ああ、それはそれは甘美な味でした。冷たく、喉を潤す柔らかなクリスタル。
祐樹様がそれを食べられないとはなんて残念なんでしょう――」
「〝鑑定魔法〟ッ!!」
亜利奈が手のひらを翳すと、ぼぉっと淡い光が燈り、そして――、
その結果は陽性だった。
「ほ……本当だ……ッ!
こ、こ、こいつ、ユウ君のおやつに毒を……ッ!」
さしもの亜利奈も動揺を隠せずにいた。
「あら、嫌ですね。大丈夫ですよ
そんなに驚くような事ではありません」
ドゥミは落ち着くよう促すと、
「ちゃんと安楽死用の安らかに逝ける毒です」
「ち……致死毒なのッ!?」
「当然でしょう? 万一にも祐樹様が毒を喰らったら……。
並みの毒では彼を苦しませてしまいますもの。
私には……そんな真似とてもとても。
毒に苦悶するあの方なんて、あ、やだ、想像するだけで涙が――、」
本当にほろりと頬を伝う涙をハンカチで拭き、そして、
「でも大丈夫。この毒であれば、祐樹様はそんな苦しみを受けずに済みます」
何かと何かの結びつきが明らかに掛け違った返事をした。
「――……ま、万一って…………」
亜利奈はわなわなと震える唇で、
「じゃあ、万一ユウ君を死なせてしまって。あんたはどう責任を取るのよ?」
するとドゥミは何故か、どこかうっとりとした瞳で、頬は乙女の紅潮を見せ、それを両手で軽く覆いながら、
「やだ……決まってます」
うふふっと笑みを零すと、
「すぐ後を追うに決まってるじゃないですかァ♪」
と恥じらうように左右に首を振った。
そしてローゼは自らの胸に手を当て、
「二人で同じ毒を分け合うなんて、素敵なロマンスを逃す手はないでしょう!」
と、恋愛話に弾む思春期の少女……にしては異常なボルテージで語り始めた。
「だって想像してごらんなさい!
私の肉体があの方に覆いかぶさって事切れるよの!?
そんなの、卒倒するほど素晴らしいわ!
そのためなら死ぬのなんて怖くない、いいえ、むしろ迷う理由すらない!
そして私の魂はあの方に毒を盛った罪を何度も何度も謝罪し、それは人智では及ばぬほどの時間、そう、10年、100年――神話の単位で途切れることなく続くの!
その間ずっと一緒に居られる! あの方の事だけ考えていられる!!
ずっとずっとずっと……赦されるまでずぅぅぅっとッ!!
きっと優しいあの人は、いつか私の忠誠心に免じてくださるのッ!!
そう、二人の魂は肉体では不可能な距離で交わりながら飛び立つのよ!!
ふふ、うふふふっ! うふふふふふふふふッ!!
ああ、ああっ!! 最っっ高に素晴らしい逃避行になるわ!」
そしてすっと、思い出したように視線を亜利奈に向けると。
「あ。そこにあんたの席、無いから」
と、姫君とは思えない下品な口調で言い放った。
「…………」
亜利奈はしばらく俯き、ドゥミの夢想を聞いていたが、
「ふ、ふふふ……」
ゆっくり、
低く、
唸るように、
笑い声を零すと、
「誰もお前の妄想なんて聞いてないのよこのゴミ姫がアアアアアアァァァァァ!!」
二本のおさげを翻しながら、一気に詰め寄り、左腕で喉元を掴むと椅子から引きずりおろし、床に叩きつけると、鼻と鼻がぶつかるような距離で、
「あのね相変わらず大きな勘違いをしてるみたいだけどローゼちゃんは亜利奈の代用品に過ぎないしそれももっとたくさんのコレクションの中の一つに過ぎないって事未だに分かってくれないのはなんでなのかなどうしてローゼちゃんはすぐにユウ君と死んじゃおうとか考えるのかすごくすごく不思議だけどユウ君が死んじゃう前提なのは絶対にあってはならない事くらいわかるよね常識だよね考え無くてもわかるよねぇぇぇっ!?」
光る眼光で捲し立てる亜利奈に、ローゼも反撃とばかりに、
「当然、今すぐに祐樹様を鬼籍に向かわせるなど愚の骨頂です。
しかしあの人への愛は死をも超越できるほど豊潤に実っているのは確かですわ!
このはち切れんばかりの想いの表現方法は多くあるけれど、お互いの美しい死だってあの方にベットで抱かれるくらい尊くて繊細で煌びやかで……!
あの人への愛の表現方法の全てを受け入れる覚悟こそ真の信仰よ!」
「みんなでユウ君のために幸せになろうって事は頭の片隅にこれっぽちも無いよねそういうのイケないと思うんだけどローゼちゃんは小さい頃習って来なかったのかなお姫様だから習わなかったかなダメだよねユウ君の素晴らしさはみんなで共有するものなんだよユウ君の事が好きな亜利奈の代わりはもっともっと増やさなきゃいけないのローゼちゃんの再教育にあんまり時間はかけられないって――……、」
「ああ、もっと簡潔な方法を思いつきましたわ!
あの人に選んでもらうのよ、今すぐッ!!
そうよそうよそうしましょう!
さあ清純な姫君と地味な女学生のどちらが――……」
狂気の勇者と狂気の魔王。
二人の狂気が一瞬即発に膨れ上がったところで
「ただいまー」
どひゅーん!
キャットファイト状態からティータイムモードへの移行は人間の動体視力で捉えるのが困難なレベルだった。愛する祐樹が登場した途端、彼女たちは憎悪や殺意をそりゃあもう、軽快な音でもしそうな勢いで内側に覆い隠し、大人しく着席していた。
毒盛ったり首掴んだり妄想罵り合戦とか一切合切、この部屋には存在しない。
「「おかえりなさーい☆」」
帰宅した祐樹の目に映ったのは、机を挟んで仲良く微笑む幼馴染みと変装したお姫様だけだ。
「あれ。ドゥミ嬢、来てたんだ」
「はい、お邪魔しています。
――これ、祐樹様の好物だと聞いてご用意しました」
そう言ってドゥミが真っ先に皿を差し出した。
「お、これ……もしかして和菓子?」
「はい! わらび餅です!
〝亜利奈さんから作り方をお伺いして〟、再現してみました!」
「…………」
亜利奈の笑顔がピクリと引き攣ったが、祐樹は気づかないで、
「へぇ、わらび餅かぁ! 久しぶりに食べたかったんだよ!」
「お茶を淹れましょう。
そのお菓子に合うお茶を選んでまいりました」
ドゥミはそう言って立ち上がり水瓶に向かう。
亜利奈はその背中に立つと、
(今すぐ毒を取り除かないなら、マイクロマシンを使ってお前に食べさせる)
祐樹に悟られないよう、耳元でそう唸る。
すると、ドゥミはふふんと鼻歌を奏でるように嘲笑し、
(あの毒は魔源に自滅を促す毒です。
魔源を持たない祐樹様には無害ですわ)
毒は毒に違いない。亜利奈の浅い鑑定には確実に引っかかり、判断を惑わせるが、しかしそれは祐樹の身体を傷つける事は無い。
チロリと舌を出す悪辣な姫君に、してやられた亜利奈は拳を震わせた。
「……あら亜利奈さん、手伝ってくださいますの?
ではカップを並べて頂けますか?」
しれっとドゥミがそういうと、亜利奈はもう頷くしかない。
「は、はーい」
そう言って彼女は食器棚に向かうと、言われた通り準備を始めた。
「……なんというか」
祐樹は、そんな二人を見つめながら、
「仲良いよな、あの二人」
何となくそう呟いた。
ずっと亜利奈の面倒を見てきた祐樹にとって、自分以外でこれまであれほどの距離で亜利奈に接する友人は、ローゼ姫以外に居なかった。亜利奈はそれほど人と接することに臆病で、自分の居ない場所で友達と話している状況は今まであり得なかった。祐樹は、彼女達にしか理解できない結びつきをうっすらと感じて、少しだけ嬉しくなった。
……それ故に新たな杞憂もあったのだが。
「ミストとももっと仲良くなれればいいんだけどな」
それはちょっとエゴだろうか。
同居を始めてからも、ミストの亜利奈への態度は一向に丸くならず、亜利奈も彼女への接触は避け気味だった。
最近外出の多い同居人を想い、祐樹は少しため息をついた。
7/30オチのあたりを大幅修正しました。




