〝裏切れないもの〟
『嘘つき』
E:IDフォンのスピーカーから、ミストの咎める、しかし感情の籠らない乾いた声が聞こえる。霧化してどこかで見ていたのか……っ!?
『ユウ君の、嘘つき』
視線を感じ、辺りを見渡す。
テレビ画面だ。
さっきまで日本語の練習をしていたはずのミストが、画面越しにこちらをじっと見ている。時刻は深夜3時過ぎのまま、暗い部屋で、E:IDフォンに向かって、
『もうあいつと連絡取ってないって言ってたのに』
そう非難する。俺と通話しているのは画面のミストだ。
これは録画じゃないのか!?
――いや、この家でそんな常識は通用しない。
とっくにわかってたはずだ。
ここでは彼女が〝ルール〟だ。
『私、せっかく雑音を消したのに。
ユウ君はまた雑音に耳をかしたね。
どうして? なんで?』
「ミ、ミスト、違う……っ」
『何が違うの?
ユウ君は私の恋人なんでしょ?』
「あ、亜利奈達が心配なんだ!」
『――ア、リ、ナ……』
「あいつとローゼ姫が、どうなったのか――」
『……ローゼ……』
「……、あ……」
し、ま……った……。
一番やってはならない事を、最悪のタイミングでやってしまった。
『そっ、いっ、つ……らの――』
過ちに気付いてももう遅い。
ミストは震えている。
怒りとか、憎しみとか、そんな感情が身体からにじみ出るその様子が可視化しているような錯覚を覚えた。その負の力はミストの中で瞬間的に蓄積され、
そして、
『そいつらの名前を喋るなアアアアアアァァァァァァアアアアァァァッ!!』
――爆発した。
悲鳴のような金切り声が部屋を揺らし、物が揺れ、戸棚にあった皿が割れた。
マズイ。禁句を口にしてしまった。
『なんでッ!? どうしてッ!?
欲しいものはなんでもあげたのに!』
ミストは狂乱気味に頭振って喚いていた。
『私達は愛し合っているのに、どうして!?』
「そうだ、ミスト、お前の事は大好きだ!
でもだからって誰かに危害を加えていいわけじゃない!」
俺は必死に説得を試みるが、
『嫌だ……嫌だ嫌だ嫌だッ!!
ユウ君が他の奴らの所に行っちゃう――そんなの嫌ァ!!』
――ダメだ、とてもじゃないけど宥められそうにない!
『他の娘を見ないで! 私を見て!
他の娘と喋らないで! 私と話して!
他の娘と同じ空気を吸わないでッ!
私の吐く息だけを吸ってッ!!』
ミストが理不尽な要求を捲し立てる。
「そんな無茶な……」
『無茶じゃないッ!!』
『ここに居ればいいのっ! ここで一緒に居ればいいのっ!!
ここには私達だけの幸せがあるのにッ!!
なのになんでユウ君は何度も何度も何度も何度も何度も逃げようとするのッ!?』
『私の事嫌いなの!? 違うよね、愛してくれてるよねッ!?
嫌いなはずないよッ!! ユウ君と私は愛し合ってるんだからっ!!
なのに他の娘と連絡するなんておかしいよね!?
おかしい違う間違ってるッ!!』
言っていることが支離滅裂だ。
もうまともな思考すら失くしてしまっているのかもしれない。
胸がくすむ。
今のミストはなにをしでかすかわからない。
だがここはミストの世界。
――何が起きても不思議じゃないし、何をされても逃げ出すことは出来ない。
俺はこの世界の神を怒らせた。
『……あはは』
ミストが笑った。
『結局、私じゃユウ君の〝裏切れない人〟にはなれなかったって事だよね』
「………………裏切れない……人?」
『そうだよ。
イスキー邸でユウ君を立ち上がらせたのは私じゃないわ。
ユウ君の中に巣食っているあいつなんでしょ?』
イスキー邸……?
あ。ローゼ姫がグレンに奪われた時の事か!
――立って! 戦って!
――ローゼ姫を救って! 亜利奈ちゃんを護って!
――だって、ユウ君にはっ!
――裏切れない人がいるんでしょ!?
あの時牢獄の中で立ち上がれなくなった俺を励ましてくれたのはミストだ。彼女が居なければ、俺はとっくに縛り首にあっていたかもしれない。
……でも。
『悔しかった……っ!』
ミストは歯ぎしりをした。
『私じゃない人がユウ君を立ち上がらせたのよ。
ユウ君の傍に居たのは私なのにッ!!』
そうだ。
あの時、俺は亜利奈への償いが終わっていないからこそ立ち上がれた。
『その人は私じゃ永遠になれないものになっている』
『必死にユウ君を励ましたのは私なのに、立ち上がらせたのはそいつなんだ。
それが亜利奈だって気付いた時には夜も寝れなかった――ッ!!』
言葉を失う。
ミストは、俺の懐中にある亜利奈への償いの気持ちに嫉妬し続けていたのか……。
「違う、ミスト! それはお前の考えているような事じゃない!」
『もう、いいの……。もうわかったよ……。
あはは……もうわかっちゃったよ』
「ミスト……」
感嘆の声を漏らしながら、ミストはふらりふらりと画面の中の俺の傍に向かう。
その頭を撫でながら、
『私じゃそれにはなれないってことだね』
そんな顔をしないでくれ。
俺も本当にお前の事が――、
『でも、あいつのところには行かせないッッ!!』
「――ッ!?」
ミストが画面の向こうの俺に馬乗りになる。
そして、首を圧迫し始めた。
その握力はここに居る俺に伝わり、首が不可視の力でしまっていく――ッ!
『今度こそッ! あいつ居ない場所にッ!!』
「ぐ――ッ!!」
ダメだ……抵抗すら……できない――……。
目の前で首を絞められているのに、俺はもがくことすら許されないのか……。
『あいつ要らないよね? そうだよね?
あいつが居るから私達は不幸になるんだ。
あいつ、いつまでもいつまでもユウ君の心の中に居座ってユウ君を苦しめてッ!!
だから、私が連れてってあげるよ!
私がユウ君を解放してあげるッ!
そうだ――最初からこうすればよかったんだ』
意識が……朦朧とする……。
ミストの声が――遠く……なる。
『ふふっ♪
行こう、ユウ君、あいつの居ない場所にっ!』
『私はユウ君の幸せのためならなんでもするよっ!』




