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愛しき泥沼


 乳白色の強化繊維プラスチックで覆われた小さな部屋に湯気が籠る。

 鏡、シャワー付き蛇口、浴槽、そして電子制御の湯沸かし器を装備した、日本でよくみられるユニットバスだ。その湯船に満たされているお湯の中に身体を浸し、ふーっ、と一息、身体を癒している少年がいた。


 祐樹だ。


 彼は未だ異世界に移動したままにも関わらず、わけあって彼の身体に馴染んだこの入浴設備でくつろぐ機会を得ていた。

「いいお湯なんだけどさ。

 この水って、どっから引いてくるんだよ」

 そう祐樹は呟いた後、

「ツッコミ所はそこじゃないよね。うん」

 と、迷走気味な独り言を呟いて顔の半分を水面に浸し、ブクブクと気泡を吐いた。


『お湯加減はどうー?』

 蛇腹式の扉の向こうで、少女の声がする。

 ミストの声だ。

 凡庸とした影が、すりガラスを模した半透明プラスチックの先で揺れていた。

「うん、いい湯加減。

 俺の世界のお風呂そのものだよ」

 そう返事して、祐樹はハッと顔を上げる。

「おい、待って。

 これなんかすげぇデジャヴ……」


 ポンッ!!


 扉を開くまでもなく、湯気に紛れた霧が全裸の少女に変身する。

「うわああ、やっぱりかッ!?」

 一糸纏わぬ異性の登場に慄く祐樹だが、ミストはというと僅かに乳房を片手で隠したくらいで、祐樹の入っている浴槽をマジマジと覗き込み、


「うーん。二人で一緒に入るのには、ちょっと狭いかも」


 と、感想を述べた。

「前提条件がおかしいって! 一緒に入る気かよッ!!」

「あらあら慌てちゃって。ユウ君かーわいー♪

 お風呂くらい、前にも一緒に入ったからいいでしょ?」

「あの時はお前、寄生虫に操られてただろ!」

「じゃあ今度は自分の意志だからいいよね♪

 合意合意~」

「だめ、ダメダメダメッ!! 絶対ダメ!!」

 祐樹はガバッと浴槽を飛び出すと、タオルを拾い局部を覆う。

 その勢いで出口へと向かった。

「あ、ユウ君っ! 待って!」

「待たないっ! 俺は出るからミストはゆっくりして!」


「――どうしていっつも逃げるの?

 ユウ君、本当は嫌じゃないんでしょ?」


 祐樹はぴくりと動揺し、少し動きを止めた。

「私はユウ君のモノだよ。

 我慢せずに、触ったり、いろいろしていいんだよ。

 私、大好きなユウ君が喜ぶことしてあげたいのに。

 それなのにユウ君はいっつも逃げちゃう。

 どうしてなの?」

 祐樹はちらりとミストを見る。

 ミストはそれに応えるように、両手を広げ、迎えるように微笑みかける。


 ――だが祐樹はごめん、と侘びると、


「俺、そういう腹くくるの……苦手だから」

 と俯いて答えた。

 ミストは寂しそうな顔をして、ふぅっとため息をつくと、

「ユウ君の意気地なし」

 と苦笑いをした。


「あとちょっと踏み出すだけで、ユウ君の事が好きで好きで、大好きで、どんなことでもしてくれる女の子が待ってるのに。ほんと、意気地なし」

「俺もそう思う。ごめん」

「でもそういう所も好きだから、しょうがないよね」

 ミストはもう一度ため息をつくと、

「いいよ。私、ずっと待ってるから。

 ずっとずっと、ユウ君が私の事欲しくなるまでずーっと。

 ……大丈夫。焦らなくていいよ」

 ミストはにこりと笑んだ。




「ここは私とユウ君だけの世界なんだから」




 祐樹はもう一度動揺する。ミストはFRP製の壁を――自らが祐樹のために創造した、この世界ではありえない構築物を愛おしそうに撫で、

「ずーっとずーっと、私とユウ君だけの世界。

 ユウ君がしてほしい事をなんでもしてあげられる世界。

 ふふふっ、焦る事なんて無いよね? だって……」



「私とユウ君は永遠に結ばれる運命なんだから」



 祐樹を襲った怖気は、湯冷めだけだろうか。

 固唾をのんだ彼は身体を拭くと、妖しく微笑むミストを残して脱衣所を後にした。







 ミストと二人で暮らし始めて、まる一週間が経つ。

 いや、俺が〝リセット〟を免れて一週間ほどと言うべきかもしれないけど。



 俺はミストとの生活を続けながら、彼女の動向を注意深く見守っていた。

 日常ではミストはいたって普通だった。

 目が合うと笑ったり、一緒に遊んだり、「何か欲しいものある?」と世話を焼いたり……基本的には明るく素直ないつものミストだ。

 過度な露出で俺を困らせることも多々あるが――どっちかっていうと、俺が求めて来るのを辛抱強く待ってる感じだし、やっぱりそれもミストらしい一面には違いない。

 ただし、やっぱり他の女子の話は厳禁だ。亜利奈やローゼ姫だけじゃなくて、例えば彼女の親友のハイボやトワイスの話でもマズイ。

 試しに彼女たちの話題を振ったことがあるが、

「それを聞いてどうするの?」

 と、苛立ちの混じった返事をされ、ひっこめた。


 それからここに至るまで何があったのかも決して教えてはくれなかった。

 なんでそんな能力を手に入れたのか、どうしてここにやって来たのか、一体何があったのか、そのあたりの事は全部だ。

 俺に隠し事をしているというより、その一連の流れは亜利奈たちに繋がるらしく話題に出したがらないのだ。やっぱり記憶を消されたのは痛い。


 そして彼女の不思議な能力は凄まじい。

 俺が注文した物は、ほぼすべて手に入れてくれる。

 どんなものかは俺の頭にある記憶を媒介にするらしく、それが無くても〝レイゾウコ〟のように大抵のものは生み出せるらしい。チートだ、マジで。

 今ではリビングに大型テレビとゲーム機が置いてある始末だ。……ただし、全てクリア済みか、俺が途中でやりそびれたところまでで止まってしまうが。何せ自分の記憶の中から具現化したものだから、それ以上の新しい刺激は得られない。自分の忘れている領域まで再現してくれるから、多少は「あー、こんなのだったな」という楽しみ方があるといえばあるけど。

 人間は基本的に記憶を失わず、忘れてしまったつもりでも脳の領域のどこかに格納されているそうだ。そんな、どっかの本かテレビ番組で聞きかじった知識を体感させてくれた。……でも正直、ゲーム自体はあんまり面白くはない。




「あー、面白かった」

 俺にはつまらなくてもミストは大満足らしい。

 俺の指導を受けながら、夢中になって古い横スクロールアクションをクリアした。

 コントローラーを置いて、俺に微笑みかけると、

「ねぇねぇっ。次はどんなゲームをする?」

 キラキラした目でせがむ様に言ってくる。

「もうそんなに覚えてないかな」

「うそ。絶対もっと知ってる」

「うーん、ぱっと思いつかないなぁ」

「えー。やだ。もっとやりたーい」

 ミストは俺の肩を掴むと、

「ほらほらー、思い出してよー!」

 と、ぐいぐい揺らした。

「ちょ、こらっ! 揺らしても出ないって!」

「出る。ユウ君なら出せる!

 ほらほらっ!」

「いや出ないって! ていうか余計思考が鈍る!」

「だーめっ。思い出してくれるまでやめないからっ!」

 そうやってミストはいつも俺に甘えた調子で笑う。




 ――楽しかった。




 ミストとの時間は、本当に楽しい。

 俺はミストに〝リセット〟されないように、努めて彼女の恋人をやっているつもりだった。根底にはそんな脅迫めいた関係がここにはある。

 でも、本当に楽しかった。

 ミストは可愛くて、優しくて、甘えたがりで時々、わざと困らせてきて。

 料理が上手で、努力家で、それから……ちょっとえっちで。

 そして俺への気持ちを体いっぱいに伝えてくれて。

 他の女の子の話さえしなければ、凄く良い子なんだ。

 俺には勿体ないくらいの、最高の女の子だった。

 ――ずっとこのままでもいいかもしれない。

 ふと、そんな事を考えてしまう自分が居た。




 ……でもダメだ。ダメなんだ。

 亜利奈や、ローゼ姫はどうなるんだ。

 ミストは悪寒の走る笑みで『静かにした』と言っていた。


 ――本当にもし、最悪の事があれば……。


 これは俺のせいだ。

 三人の気持ちを知っていながら、何も決められずほったらかしにしてしまった俺のせいなんだ。ミストだって、本当はそんな事をする子じゃなかったのに、狂わせてしまったのはこの俺だ。本当の彼女に戻してあげるべきなんだ。

 だから、俺は知らなくちゃいけない。

 なんとかここを脱出して、何が起きているのかを知る必要がある。

 そして、出来る限りの償いをしなくちゃいけない。

 ここにある微睡み(まどろみ)のような心地よさに居ついてしまったら、それは叶わなくなる。


 この幸せと戦わなくちゃならない。

 まるで、甘い泥沼に浸っている気分だよ。


「あれ、ユウ君。どうしたの?」

 俺を揺らしていたミストが問いかけてきて、俺は彼女に向き直る。

「いや、別に……」

「そんな難しい顔しちゃやだよ。

 ほら、笑って笑って!」

 ミストの笑顔。

 それを見てると意志が溶けそうで、かえって顔が強張った。


「ユウ君の幸せのためなら、私、なんでもするよ♪」

〝なんでも〟……か。

 俺はミストの笑顔をどうやって受け止めたらいいのかわからなくなっていた。


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