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赤いドレスのプリンセス

 翌日のイワン王城の執務室。


 彼女はポットからお茶を注ぎ、優雅に味わっていた。

 目に焼き付くほど鮮やかな紅色のドレスが翻り、陽気に照らされている。

 いつもなら無垢で純白のドレスを着ているはずのローゼの姿に、召喚命令を受けた執政官は、呆気に取られ立ち尽くしていた。

「どうしたのですか?

 遠慮なさらず、どうぞお座りください」

 昨日とは打って変わって余裕のある微笑みを称え、姫はティーカップに口をつける。

「いや、はあ……」

 執政官は席に着くと、

「驚きました。姫殿下が〝赤〟をお召しになるなんて。

 一体どうなさったのですか?」

「ほら、イスキー邸といい昨日の大聖堂の火事といい、このところいろいろありましたから。少し運気を変える必要があるかなと思いまして」

 ローゼ姫は両手を大仰に開き、ドレスを見せびらかすようにして、

「どうです? 似合いますか?」

「まあ……個人的にというのは差し控えさせていただきますが。

 国民の皆様はどう思われるかには御一考の余地があるかと」


 この国で未婚の姫が白を着るのは、慣例や習慣を上回る強い意味がある。

 姫が清廉潔白であることで、国民に対し一種のカリスマを示す。

 そういった政治的な理由があるのだ。


「元老院の方々も良い顔はされないでしょう」

「そうですか? 私は気に入っているのですが」

 そう言って姫はカップにもう一度口をつけると、

「すぐに皆さんにも気に入って頂けますよ」

 と意味深に微笑んだ。

「はぁ」

 姫の気紛れと受け取ったのか、執政官は呆れた顔で生返事し、

「それで。ご用件は?」

 と話を急かした。

「ええ。何度も足を運んで頂いて申し訳ありませんが、昨日の偽の印について、どのような対策を取られていらっしゃるのか進捗を知りたくて」

 執政官は露骨に嫌悪感を示した。

 まだ言っているのか、こいつは。

 そんな表情だ。

「印については偽造した首謀者を現在捜査中です」

「解決までにどのくらいお時間がかかりそうですの?」

「なにぶん雲を掴むような話でして。

 半年とも一年とも……」

「まあ。それは困りますわ。

 一年もこのローゼの名が穢され続けるなんて、我慢できません」

「と、申されましても」

「ここはやはり、印の再発行が必要かもしれませんわ」

「…………」

 執政官の小さなため息が零れる。

「あら、ご心配には及びませんわ。

 資金調達の目途はたってますから」

「ほう。国にその様な余剰資金はございませんが……」

「ありますよ」


 姫はにっこり笑って言った。


「あなたのお家です」




「……。

 …………。

 ………………、は?」


「執政官さんのご自宅と荘園を競売にかければ、それくらいのお金になりますね?」

 ローゼ姫はわきをしめ、拳を胸にやり、

「私、頑張って計算しましたよ♪」

 と演技じみた可愛らしいポーズで言った。

 執政官は不可思議な物を見る目で、

「あの、えーっと。

 ……これはなんのお話でしょう?」

「え? お金のお話ですよね?

 大丈夫です。路頭に迷えとは言いません。

 お家なら官舎があるじゃないですか。

 今のモノよりはだいぶ狭くなると思いますケド。

 防犯だけはしっかりしてますよ」

「は……はぁ」

 姫は世間知らずな調子で勝手に話を広げていく。

 執政官は現実味が無さすぎる与太話に、唖然としながら、

「……念のため申し上げておきますが、如何に姫殿下といえど我々の資産を理由なく搾取することなどできはしませんよ」


 実は人治国家であるイワン王国において、王族が強引な方法を使えば実現できない話ではない。とはいうものの、正当な理由なくそんな手法を取れば他の官人、貴族から強く反発を受け、最悪は革命という形で国家の転覆すらありうる。


 執政官はそれを言っているのだ。

「わかってますよ。だから執政官さんに〝お願い〟してるんです。

 ローゼ=ヴォーヌロマネ・グラン・クリュ・イワンのために、お家をくださいな♪」

 姫はあっけらかんとしてそんな事を言ってのけた。

 執政官は眩暈を起こす素振りを見せて、

「僭越ながら。姫殿下はもう少し社会の勉強をなさった方がよろしいかと」

「え。……ダメですか?」

「はっきりとお断りさせていただいた方がよろしいですか?」

「そんなぁ。いい方法だと思ったんですけど」

 苛立ちの混じったため息を吐き、執政官は、

「御用が御済みでしたら、私はこれで」

 と、立ち上がろうとした。

「あーあ。残念です。

 頑張って考えたのになぁ。

 ――ところで執政官さん」



「〝蟲〟ってご存知でしょうか?」




 ローゼが不意にそんな事を言い出した。

「反逆者グレンが使ったという呪いの類ですな。

 それがどうかしましたか?」

「私、あれを間近で見てから、ずっと怖いんです。

 だって……」

 ローゼは紅茶に香料を加えるスポイトを取り出し、

「こんな小さな容器にも隠せる極小の怪物なんですよ」

 その中身を一滴、ポットに垂らし、

「こうやって飲み物に混ぜて、相手に飲ませるんです」

 それをカップに注いで、

「飲んでしまった相手は、もう術主の言いなりなんですよ」

 そして香りが立つお茶を口につける。

「〝死ね〟って言われると本当に死ぬんです。

 犬になれと言えば犬になるし、殺せと言えば殺します。

 何でも言う通りに支配する事ができるんです」


 官人は少し眉をひそめた。


 たとえ話だとしても、呪術を落としながらそれを自分ですするローゼの姿に、どこか不快な気分にさせられたからだ。それに、何故今その話をするのか。

「こんなものを使うなんて、グレンは酷い男ですよね。

 もう本当に、怖くて怖くて」

「イスキー邸で全て撲滅されたのでは?」

「そうだと信じたいんですけれど、出所が掴めて無いですし。

 誰がいつあんなものを使うか分からないですから。

 ……えーっと、執政官さんには娘さんがいらっしゃいましたよね?」

「ええ。今はクテール領の女学校に入学させています」

「まあまあ」




「ご令嬢が、〝蟲〟の餌食とならぬよう、祈っていますわ」




「――……」

 なんだ、今の含みのある表現は。

 執政官はいよいよ不安になってきた。

 目の前でニコニコとお茶を飲む姫君から、何か油断ならない空気を感じた。

 何故彼女は、突然〝蟲〟の話を始めたのだ?

 何故彼女は、突然娘の話を始めたのだ?


 そして何故――彼女は笑っている?


 コンコン。

 ドアがノックされる。

「あら……お客様だわ。通して差し上げて」


『失礼します』


 ……聞き覚えのある声。

 ドアが開け放たれ、一人の少女が入って来る。

「本日は、お茶会にお招きいただき感激です、ローゼ姫」

 彼女はクテール領女学校で叩き込まれた礼儀正しい一礼を披露した。

 そして、こちらと目が合う。


「あら……お父様!」


 アペロ、執政官の可愛い一人娘だ。

 彼女は〝偶然〟遭遇した父親に、驚いた表情を見せると、

「お父様、聞いてくださいませ!

 私、ローゼ姫のお茶会に招待されたのです!!」

 と歓喜に満ちた声で報告した。

「あ……ああ、そうか。光栄な事だな」

 何が何やらわけがわからず、執政官は震えた相槌を返した。

 何故、どうして遠くの寮にいる娘がここに居る?

 娘と姫が――……、私の娘に何をしようというのだ?


 ローゼ姫の笑みが、怪物のように思えて来る。

 着飾った赤のドレスが、鮮血か、煉獄の炎のように目に映った。

 い、いやいや。

 考え過ぎだ……よりにもよって、おっとりとして世間知らずの〝聖女〟ローゼ姫が、そんな姦計を巡らせるなんて……。


「ところでアペロさん。〝ワメ=カメ〟ってご存知ですか?」


 ヒッ、と、執政官は引き攣った声を上げた。


「わめ、かめ……ですか?」

 娘が首を傾げる。

「あらあら、ご存知ありませんか。

 下男が口にしていたのをたまたま耳にしたのですが、私もよくわからなくて。

 もしよろしければ教えて頂こうと思いましたのに……」

「ええ、お役に立てず申し訳ありません」

 知っていてたまるかっ!! それは高級娼館の俗称だっ!!


〝資金調達の目途はたってますから〟

〝何でも言う通りに支配する事ができるんです〟

〝ご令嬢が、〝蟲〟の餌食とならぬよう、祈っていますわ〟


 姫の一言一言が繋がっていくたび、何故だろう、脈が速くなっていく。


「ところで私、もしかしてご公務のお邪魔を……」

「いいえ。大丈夫。

 ――用事はもう済みましたから」

 姫はスポイドからもう一滴香料を垂らすと、




 ふっ、と、笑みを消し、仮面のような無表情になった。

 




「お父様は一ヶ月以内にこの案件を片づけて下さるでしょう」


 さもなくば家財を取り上げてやる。

 それまでこいつは人質だ。いいな?

 それが嫌なら娘に払わせてやろうか?


 言葉を発せずとも、脅迫が幻聴の如く耳に響く。


 さっきまでのおつむが足りてない笑顔とは真逆の表情だ。

 鈍く光る眼光が底知れぬ恐ろしさを感じさせる。

 目の前にいるこの女は、誰なんだ。

 本当に昨日まで政治に疎くきりきり舞いだった姫君か?

 それは知る由もないが、一つだけはっきりしている。

 やる。彼女なら、やる。

 執政官は確信し、床に吸い付けられるように立ち尽くした。

 しかもこの状況では、執政官は誰にも助けを求められない。


 恐るべき罠を張った姫が、朗らかな笑顔に戻る。


「お父様は優秀な執政官です。

 全ての国民の皆様のために、ご尽力くださるでしょう。

 ――さあ、お父様にご声援を」

「はい! お父様!

 姫殿下のご期待にそえるよう、がんばってください!!」

 何も知らない娘は満面の笑みでそう言った。


 そう。何も知らない娘、アペロは、あのティーポットから注がれた液体を、一抹の不信感も抱かずに飲み干すだろう。


「は……はは……」

 執政官は汗まみれの奇妙な笑みを浮かべたのち、

「そそそ、それでは……私は……、し、失礼しますッ!!」

 と、〝職務〟を全うすべく飛び出していった。




「お父様、どこか顔色が優れないようでしたが……」

 アペロは心配そうな顔で父親を見送った。

「ご公務は私達女の想像を遥かに越える労力だと聞いていますわ」

 ローゼ姫はそんな事をうそぶいて、召使いを呼び寄せてお茶会の支度を始める。

「まあ。普段はそんなそぶりは見せませんのよ。

 ……ところで、ローゼ姫、そのドレスは」

 やはりローゼの赤いドレスが気になるようだ。

 ローゼはふふっ、と笑むと、


「ステキな男性に出会えたのです♪」


 と、同性同世代にだけわかる恋の表情を覗かせた。

「あの……それって、ご婚約者が」

「婚約ではありません。でも、ローゼも一人の女子。

 ――恋ぐらい許されてもいいとは思いませんか?」


 年頃のアペロはこのロマンスに胸の弾む様子で食いつき、ローゼはたっぷり数時間にわたって祐樹の素晴らしさを彼女に説いてみせ、二人の話はずいぶん盛り上がった。







 ※昨晩。


 大聖堂が炎上する。

 その様はすぐに市街を騒がせ、市民はにわかにパニックになっていた。

 燃える大聖堂を遠目に、市街地民家の屋根に一人の少女が座っていた。


 亜利奈から逃げ延びたチェイサーだ。


「あーあ。うまくいかなかったね。

 うん。ちょっと失敗、かな」

 いつものように自分自身と会話をしながら、作戦の失敗を反省する。


「祐樹の偽物で亜利奈を騙そうと思ったのに。

 やっぱり急ぎ過ぎたね。でもローゼは惜しかったよ。

 亜利奈がローゼにかけた呪いを解読できると思ったのにな。

 それがあれば亜利奈を操れるかもしれないもんね。

 残念。うん、残念」


「まあ、でも」

 チェイサーは視線を市街に移す。そこには火災に驚く人混みの中、そんなものを意に介さずお互いを抱きしめ合う一組の男女がいた。


 祐樹とミストだ。

 チェイサーはニヤリと笑んだ。


「一番小さい魚は釣れたよ。これでもっと大きな魚を釣らないとね。

 ……私、今度は焦らず、ゆっくりね。

 わかってるよ、もうッ!」




 ドライ・カウンティ―の祐樹がミストに何かを囁く。

 ミストは頬を染め、何度も頷き、虚空を見上げた。

 やがて祐樹は霧散し消滅するが、ミストは気にせず空を見上げつづけた。


「ユウ君の、ホントの気持ち、わかったよ。

 まってて、ユウ君……二人だけのお家に連れてってあげる……」

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