ピネガー・アルス・マグナ!
俺はドゥミ嬢を城の側まで送ろうとしたが、いかんせんお忍びの外出だから最後までは付き添えず、彼女は名残惜しそうに会釈をして、貴族地区へと入っていった。
そして俺は商店街をふらついていた。あいも変わらずケトル探しだ。
だって買って帰らないと、ミストにめちゃくちゃ怒られそうだし……。
そうして道行く人に尋ねること数十分。なんとか店を見つけたものの、今度は品物に悩んだ。ランタン屋さんでのやりとりで俺では品定めができないことはわかってる。とはいえ、適当なモノ買ってもそれはそれで――いや、もうどう考えても怒られることは確定だわ。腹を括ろう。
とにかく、せめてちゃんとしたものを買うためにねばっていたところで、
PILLLL。
E:IDフォンが鳴った。
「あ、着信だ。――ちゃ、着信!?」
おいおい、ここは異世界だぞ!
誰から電話がかかってくるっていうんだよ!
『もしもしユウ君? 亜利奈だよ』
「おまえかーーーーいッ!」
思わず店先でツッコんじまったよ!
『だだだ、ダメだった?』
「は? え、なに、なんで?
なんでふつーにTELしちゃってんの!?」
『だ、だって亜利奈もE:IDフォンもってるし……』
「もってるんかーーーーいッ!」
そりゃ、亜利奈も俺と同じ青海学園という学園都市の学校に通う生徒なんだから、E:IDフォンは必ず持ってる。むしろElixir-Replica Systemの開発者が亜利奈の母親、恵美子さんなんだから、全く同じものを所持しててもなんらおかしくは無いだろう。
「いやいやまてまて。
基地局どこよとか番号どうなってんのとかもうその辺は魔法要素で流すけどさ!
そういうのははよ言え!!」
『きき、聞かれなかったし……』
うん。確かに聞いてない。
「いやでもさ!
だったらオッカ村でお前が行方不明になった騒動なんだったのよ!
電話で連絡すれば即解決だったじゃんあれ!!」
『あー、そっかー……』
あはははは。
ポンコツっぷりが一周回って楽しくなってきた。
店の人が、「さっきから何一人騒いでんだこいつ」って目でこちらを見てる。
電話のないこの世界じゃ、俺が独り言で喚いてると解釈されちまう。
たまらず俺は店を出た。
『あ、も、もしかして今電話ダメだった?
ご……ごめんなさいッ!!』
「いや電話それ自体はいいよ。
かかってきたことにびっくりしただけで」
『ううん、ドゥミお嬢様との雰囲気を壊したりしたらいけないもんね。
ご、ごめんね、亜利奈、配慮の足らない娘だから……』
「ちっげーよ、なんでそういう風に持ってくんだお前は、って、あれ?
なんでドゥミ嬢と一緒って知ってるの?」
『え、だってミストちゃんと一緒じゃないって事はドゥミ嬢と一緒なんでしょ?』
「変な因数分解するんじゃねぇよ。
大正解じゃねーか。こんちきしょうめ。
ドゥミ嬢はさっき帰った。……ミストはそっちに居るの?」
『え、あ……そそそ、そうだッ!!
ユウ君、大変だよッ! ミストちゃんがッ!!』
†
クレーターのように陥没してしまった道路の上で、パステルカラーのコスチュームを着た女の子が立っていた。自分の背の高さほどの大きな杖を握り、三重羽織ぐらいのスカートと、背中には大きなリボン。
杖の先端には巨大な水晶球、頭と耳と手首にチャームが散りばめられている。
上半身だけ金属製の鎧を着ていたけど、それにもピンクで大きなハートマークが施してあって重厚感より可愛らしさが際立つ。
何よりも目を引くのが二本のでかいショルダーカノンだ。
その姿はまるで……、
「ま、まほう……少女?」
「いっぇーいっ!
ピネガーちゃんの超☆変身にびっくりって感じ?」
そいつはおでこのあたりにピースサインを持ってくるポーズで言った。
「はじめまして、祐樹クン。
錬金術師のピネガーちゃんをよっろしっくねー♪」
なんつーか、遊んでる系っていうのか、キャピキャピ系というのか、そんな感じの軽いノリの女の子だ。変身前も結構大胆な格好してたし……。
しかも、こいつ、確かに今サラマンダー・カノンって言ったよな?
サラマンダー・カノンって言えば俺のE:IDフォンに入っている武器の一つだ。
魔法少女が装備しているショルダー・カノンがそれっぽいが、だとしたらなんで同じ武器をあいつがもってるんだ?
「なんだかわからんが、ミストにひでぇことしたの謝ってもらうからな!」
「あれれ、やる気?
そのレプリカじゃあ、私のエリクサーには勝てないんじゃない?」
ピネガーはウィンクをしながら、
「それとも……一発試してみる?」
『action!!』
先に動いたのはピネガーの砲撃だ。
ドンッ、ドンッっとマグマ弾の砲撃音。
「くそッ! ストライク・バブル!!」
『action!!』
泡のバリアが俺たちを守――、れないッ!!
砲撃はバブルをいとも簡単に貫き、俺の眼前に迫ってきた。
「防御魔法!!」
――パン、と、マグマが爆ぜる。
亜利奈だ。
どっかに隠れてろって言っておいたのだが、見かねて出てきたらしい。
「ゆ、ユウ君、ごめんなさい!」
亜利奈が駆け寄って来る。
「でてきちゃった……」
「いや、助かった」
亜利奈の登場が無ければ正直危なかった。
バブルバリアの頼り過ぎは良くないな……。
「あっれー、なにその地味っ子ちゃん。聞いてないよ?」
ピネガーの隣に執事っぽい奴が現れて、
「祐樹さんと共にイスキー邸でご活躍された亜利奈さんかと……」
「ふぅん。添え物って事?
ってかさ、祐樹クンって何人はべらしてるの?」
「はべらしてるゆーな!
……、あー、えーっと。
否定しきれない部分もあるけど」
「そこはちゃんと否定してッ!」
ミストにぎゅっと抓られた。
「あのさー、痴話喧嘩なら他でやってね。
これでピネガーちゃんの実力はわかったでしょ?」
ピネガーは杖をこちらに突き付け、
「――さあ、こっからはちょいマジでいくよ。
次のをぶち込まれたくなかったら質問に答えて」
ふざけた雰囲気を消してこう言った。
「下山祐樹、あなたは何者?
一体どこからやってきたの?
ローゼと、そこのミストちゃんに一体何をしたの?」
「……は、はあ?」
こいつ何を言ってやがるんだ?
「とぼけても無駄なんだからね。
私にはうっすらと見えるの。
イスキー邸から帰ってきたローゼに、〝蟲〟以外の何かが仕込んであるって」
「本当にユウ君は何も知らないのよっ!」
ミストが叫ぶ。
「いい、ミストちゃん。
そいつの事信用したらダメよ。
あなたは記憶を改ざんされてるの。
――何か、違和感のようなものを感じるでしょう?」
「え……?」
荒唐無稽な話に、ミストがたじろいだ。
……どうやら俺はなにやらあらぬ誤解を受けているらしい……。
「よし。わかった」
俺は構えていた剣をE:IDフォンに片づけた。
「お前が何を言ってるのかはよくわかんねぇけど。
まずは話し合おう」
「話し合う……?」
俺は頷く。
「俺の知ってることは全部しゃべる。
ミストにしたこともだ。俺には責任がある。
ローゼ姫の身体の事はよくわからないが、もしかしたらそれも俺の影響があるかもしれない。できる限り話す」
「え。なにこの展開。
ちょい予定外なんですけど。
ねえマイユ、どうしよ?」
マイユと呼ばれた執事はうーんと唸って、
「思うんですけどね。
いまどっちかっていうと僕ら悪役になってません?」
「え? うそ、マジ?
あちゃー。まあしゃーなしか」
『action!!』
「いぃっ!?」
話し合おうって言ってんのに、あいつ不意打ちしてきやがったッ!!
亜利奈が再び防御してくれる、が、
「話し合う? 責任がある?
それを信用しろっていうの?
ねえ祐樹クン、ローゼを自分の虜にしておいて、それは無理あり過ぎじゃない?」
ドン、ドンドンと、続けざまの砲撃が俺達を襲う。
「ちゃんと話さないならピネガーから話してあげる。
ARNを使ってこの時代に干渉してきたのはあなただけじゃないのよ」
「ARN?
あ、あのさ、さっきからマジで何言ってんのか分かんないんだよッ!!」
「あなたがグレンと同じ事を狙ってるのはわかってるわ。
――させないんだから……!」
『〝フェンリル・ランサー〟
Make it to equip!』
ピネガーの砲撃が止み、代りに杖が槍へと変わる。
途端に、周りの空気が肌寒くなった。
氷の怪物、フェンリルの名前を持つ槍なんだから氷を発生させたりするんだろう。
「ローゼを魔王になんてさせないんだからッ!!」
どうせ普通の槍じゃないそれを構え、ピネガーが駆けだす。
マズイ、今度こそやられるか――、と、そこへ、
「こらぁ、お前達!! そこでなにをやっている!!」
ピーッとホイッスルの様な笛の音。
憲兵、この世界のおまわりさんの登場だ。
「……っと。あちゃー。
まずったわ」
ピネガーの槍が杖に戻る。
あいつも、さすがに警察に御厄介になる気はないらしい。
「ガラにもなく熱くなっちゃった。
かっこわるっ」
「かっこわるいですねー、ふぐっ!?」
ピネガーは同意してくれた執事をグーで殴ると、
「祐樹クン。今日のところはこの辺で。
よいしょっと!」
杖を地面に突き付けると、俺たちの立っていたクレーターが、あっという間に元の石敷の道路に戻ってしまった。
「次に会ったときは覚悟して。
じゃー、また遊びましょ?」
ピネガーはピースサインをして消えてしまった。
「…………」
嵐のような勢いで現れ、そして消えた彼女に、俺たちはしばし唖然としていたが、
「ああ、亜利奈たちも逃げないと……!」
「お、おう!」
捕まったらなんと言い訳すればいいのかわからないしな。
ミストが霧を発生させ、憲兵の視界を奪い、その隙に逃走を図った。
†
「――もう一度説明してください」
王城の執務室で、ローゼは語気を強めていった。
絵画や彫刻が用意され、目の前には純白のクロスが敷かれたテーブルがある。
この国の慣例や風習に疎い人間には貴族が食事をする場所といった印象を持つであろう内装だった。ここは王族が官人や元老院の議員と個人面談をするための会議室だ。食事をする場所という感想はあながち間違ってはおらず、この国において王族勅命の政治は、食事やお茶の傍らに行われるという変わった意識があり、その名残で設えた部屋である。
白い椅子に座るのは、白いドレスを着衣したローゼ姫、そして対の席に座るのは執政官の一人だ。
「恐れながら。姫殿下の申し上げる、〝偽物の印を無効にせよ〟という勅命は現実的ではないと申し上げているのです」
初老のその男は、言葉は丁寧なものの、どこかしら事務的な口調で答えた。
ローゼは眉をしかめると、
「このローゼの名を語る紛い物を、放置するというのですか?」
「滅相もございません。
ですが、しかし、姫殿下の偽物は実に精巧に造られております。
監査をする我々ですら本物と見紛うほどです」
「確かに、私も驚きました。だからこそ早急に手を打たねばなりません」
「殿下、これを無効にはできません。
これはもはや本物の印。
これをもし無効にしてしまえば、本物の価値すら失墜させます」
確かに、ここまで精巧な偽物が出回っているとなれば、無効にするには本物すら巻き添えになるだろう。だからといって、マールの家族を見殺しにはできない。
「ならば新たな印を作りなさい。
全ての印を吟味し直し、私が認可した物にのみ印を押し直すのです」
「殿下、その作業にいくばかりの税金を投入なさるおつもりで?」
「惜しんではなりません。
この偽の証書で、明日を生きる事すら苦しんでいる民が居るのです」
「殿下、さすれば軍備が縮小いたします。
ただでさえイスキー侯爵が失墜した今、我が国とシドールとの情勢は不安定。
印の再発行がいかなるものか相手方もすぐに察知するでしょう。
下手をうてば、その国民一人のために国が傾きます」
またイスキーか……っ!
一人残された執務室で、ローゼは頭を抱えた。
〝偽物を使った下手人を捕える、そういう事でよろしいですな?〟
執政官はそう結論を残して去っていった。
それじゃ遅すぎる。
あの男ではいつまでたっても犯人は捕まらないだろうし、転じてマールはいつ路頭に迷ってもおかしくは無い。
マールに約束したのだ。裏切らないと。
それなのに、何もできない。
清廉潔白なローゼ姫は、かくも無力なのか……。
『ローゼ姫なら、今からでも取り戻せるよ』
祐樹に言われた言葉を反芻し、ローゼは顔を上げた。
「まだです……! まだ、なにか出来るはず……!」




