夜のステージに立つ少女
※数時間前。
「イスキー邸に勤めていらっしゃった、ミストさんですね?」
祐樹をローゼ姫にまんまと奪われてしまったミストは、燕尾服を着た青年に呼び止められた。どこかの召使い、いや身なりからして執事か。
「そう……ですけど」
ミストが答えると、男は頷いてこういった。
「ある方が、あなたに会いたがっておられます。
ご同行願えますか?」
「無理です」
ミストは即答した。
「そんなけんもほろろに!?」
「私、今、忙しいので」
こっちは犬みたいな格好をするのが趣味の泥棒ネコを追いかけないといけないのだ。奴が犬か猫かの議論はさておき、急がなくては彼の心を奪われてしまう。
相手が姫殿下だろうがなんだろうが容赦するものか!
「失礼します」
と、ミストは駆けだそうとしたが
「ああ、待って、行かないで!」
男がその進行方向を塞ぎ
「ここで行かれたら僕は何しに来たのかわからない!
主人に怒られてしまう!」
「そんなの私に関係ありません」
「なんてご無体な!!」
あーっ、と執事が嘆く。
もー、なんなのよ、とミストも嘆いた。
「そもそも、いきなり来てご同行願えますかって、それだけで女の子がついていくと思ってるんですか? 田舎娘でもそれくらい自衛しますよ。
憲兵呼ばれても文句言えないんですけど」
「そ、そう言われたらそうですね。
でもだってほら、僕イケメンですから。
声掛け事案も大抵許され」
「失礼します」
「まって、最後まで聞いて!
いや聞かなくていいからついてきて!
お願い、無視しないでッ!!
無視が一番つらいのっ!!」
面構えで乗り切ろうとする男のことなど知ったこっちゃない。
「ああ、そうだ、伝言があったんだ。
僕って顔はいいのに記憶力悪いな」
ミストはこれ以上構わず、風の流れから祐樹の気配を追って、
「〝シモヤマユウキの命が狙われている。
詳細知りたくば、至急来られたし〟」
……はたと足を止めた。
†
暗い店内に、魔法仕掛けのスポットライトが激しく点滅する。
激しいテンポの音楽が場を盛り上げていいく。
店の奥から中央へと延びるステージを男達が低い位置から取り囲み、好色の目で見上げてショーの始まりを待っていた。
踊り子が現れると、途端に歓声が沸き起こった。
尾を引くような半透明の布地を靡かせて彼女はステージの真ん中へとやってくる。
露出の多い衣装、強調された谷間、若い肢体は観客の興味を大いにそそった。
照明が踊り子をはっきり照らすと、店のボルテージはいよいよ昂った。
ミストだ。
彼女はどこで覚えたのか自分を撫でるような挑発的なダンスを披露し、時折観客の一人に個人的な情愛がある素振り――これを彼女は何人にも繰り返した――を見せて、男達を悩殺していく。
浴びるような視線が自分に刺さり、それに白い肌が紅潮していく。
直接触れられているような嫌悪感と、それに反する不可思議な高揚に胸が躍った。
だがそんな彼女の本当の気持ちはただ一人に向いていた。
店の隅、ステージから離れた遠い位置に〝彼〟は居た。
怒りを沸騰させて、拳を握っている祐樹だ。
〝ミストの肌が、他の男たちに晒されている〟
〝あいつ悦んでるのか……?〟
〝ふざけるなよ〟
〝ミストは……ミストは俺のモノだぞ!!〟
ミストを取り囲み欲情する雑多な男共とは彼は違う。
彼は、彼だけは独占欲と嫉妬に満ちた怒りの視線をミストに突き刺していた。
ユウ君が、私を見ている。
私の事だけを見ている……。
その事実に、ミストの心はさらに踊った。
――ユウ君、安心して。
――ミストはユウ君だけのものだよ。
――でも……もうちょっとだけ……。
ミストの悪戯心はもう彼女自身にも止められなかった。さらに彼の怒りを買うべく、より挑発的な行為を男たちに、そしてその向こうにいる祐樹に見せつける。
ダンッ! と、壁を叩く音が聞こえる。
場面が変わる。
店の裏口に呼び出されたミストは、祐樹に激しく叱責されていた。
「お前、何考えてんだよッ!
この※※※め! 恥を知れッ!!」
侮蔑的な罵りを受けながら、衣装姿のミストは竦み上がった。
彼の世界の言葉なのか意味は分からなかったが、なんとなく女としての尊厳を貶められたことだけは伝わった。
怯えるミストの腕を、祐樹が乱暴に掴む。
「もう二度と人前で肌を晒せない様にしてやる――!」
「ユウ君、やめて、もうしないから!」
「いいやお前はまたこういうことするんだ。
なんせ※※※の***だからな……!
だったら!
誰に見られてもお前が俺のモノだってわかるように痕を刻んでやるッ!!」
「い、痛いよッ! やめて、酷いことしないで!」
懇願しながら、真逆の心地よさがミストを包む。
荒々しく感情をぶつける祐樹の行為にミストは蕩けるくらいうっとりした。
ユウ君、このまま全部奪ってくれてもいいんだよ。
私の全てにユウ君を刻み付けて――、
「ちょっと、話、聞いてる?」
「はぅっ!?」
ベットに放り投げられたシーンの辺りで、ミストは現実へと帰還を果たした。
ここは城下町の西側にある夜の酒場。もちろん主な客層は好色な男達だ。
真昼間の今は閑散としていて、中央の大きなステージもどこか寂しい。
さっきまでミストが躍っていたステージだ。
――妄想の中で、だが。
ミスト自身はこういうお店は経験が無いが、夜の熱気についてはトワイスがよくしゃべっていたためおぼろげながら想像がつく。
そこに自分が立つとどうなるんだろうとぼーっと考えた瞬間が運の尽きだった。
祐樹の事を真剣に愛する様になってから、妙に、自分の肌を晒し注目を集める行為に憧れるようになってしまった。
その延長線上に祐樹がいるという微妙なさじ加減を有する願望だ。
私いつからこんな風になっちゃったのかな……。
それを考えると、何故か頭がぼやけてはっきりしなくなるのだが。
「ねーだいじょうぶ?」
目の前の女性が不安そうな声で気にかけている。
踊り子の衣装を着た少女だ。
ミストはゆっくり頷くと、
「大丈夫です。ちょっと、考え事です」
と誤魔化した。
「もしかしてそれってさー」
「〝蟲〟の影響だったりするわけ?」
きゃははっ、と軽い声で彼女は笑った。
「……」
なにやら、いろいろ調べたみたいだな。
話し方がどこかあけすけで、なにも考えて無さそうに見える彼女だが、どうして中々底がしれない。ミストはもう少し気を引き締めて相手を警戒した。
妙な執事にこの店へ案内され、待っていた女性はこう言った。
『どもー。初めましてっ!
イスキー邸で〝妹〟がお世話になったねー』
艶のある髪はリボンで纏められ、ウェーブがかかり動くとよく弾む。
身に纏っている衣装の布地はかなり限定的で、露出した肩、お腹、背中、脚部。隠されているのは胸と下半身の中心部だけ。
むしろ翻る布やフリルの意匠は、隠した部分を強調しているようにも思える。
それらが全て、彼女の明るい幼さと妖艶さを同時にアピールしている。
ピネガーと名乗った少女は、そのままそれが偽名であることを明かすと、
『ホントはメリー家の次女だったりするんだけどね。
こんな格好してるから、勘当状態だったり』
つまりは、ローゼ姫の従姉妹にあたるということか。
そしてドゥミ嬢が実在するなら、確かに彼女は姉となる。
ピネガーは貴族の子女という身分でありながら、夜の街を魅了する踊り子としてこのステージに立つことを趣味としている少女だった。
「マズイ事しちゃったのよ、ローゼちゃんは」
皿に盛られた小さな果実を口に含んで、ピネガーが言った。
「今日みんなに彼を紹介しちゃったじゃん?
あれ、マジでヤバイって」
「彼って祐樹の事ですか?」
ミストが確認すると、ピネガーはあははと笑った。
「それギャグ?
あの漂白済みの純潔処女に、他にどんな男を紹介できるのって」
いやー、あの女はイスキー邸でわりと〝オイタ〟をされてたんだけどなー。
〝下層民のあなたの手で躾けてください〟のインパクト凄かったぞ?
……とまあそれは言わず、
「祐樹の命が狙われていると聞いてきましたが」
「そりゃあ、グレンの後釜を狙う貴族は多いのに、ローゼちゃんが祐樹を推したりしたら面白くない奴は出て来るって。
んで私、こういうお仕事してるじゃん?
結構顔広いのよ。
ちょいヤバイ仕事してる〝パパ〟もいてさー。
そしたらさっき、ある貴族に祐樹の始末を引き受けてくれる〝業者〟を紹介できないか聞かれちゃってさぁ」
「だ……だれがそんな事をっ!?」
「まーまー、焦らないのっ。
……それ聞きたかったら、私の質問に答えてほしいんだけど」
ピネガーは舌の上に果実をのせ、んっ、と音を立てながら口に含む。
「ローゼちゃんの身体に蟲って奴さ、ぶっちゃけ入れられたでしょ?」
それは国を揺るがす〝国家機密〟だ。
もしその事実が発覚すれば、ローゼ姫は穢れてるとして今の地位を失う。
最悪の場合は王家を追放されるかもしれない。
腐ってもピネガーは大公の娘。それを知らないはずは無い。
「聞いてどうするんですか?」
ミストが尋ねると、ピネガーは笑って、
「ローゼちゃん脅して、新しい衣装買ってもらう」
と冗談めかして言った。バカな話で誤魔化しているが、物事を小さく見せ、口を滑らせようとする魂胆が丸見えだ。
「よく覚えてないです。
私だってあの時、蟲の支配下にありましたから」
事実をぼやかして、ミストは言った。
「へー、そっかー、ふぅん。
……せっかくローゼちゃんから祐樹を奪うチャンスなのになー」
――……、なんだって?




