グレンの暴挙と去っていく姫
広大なイスキーの屋敷の地下には、脱出用の通路とは別に、囚人を閉じ込めておく牢獄が数個設けられている。窓もないその場所へは一つの入り口しかなく、当然、入ったら最後出られないよう堅牢な造りとなっていた。
そこへの石階段を、傀儡となったメイド達に連行され、祐樹とミストが歩く。
ガチャン、と、冷たい音が響いて牢の鍵が閉じられる。
格子の前にトリス、グレン、そして彼に寄り添うようにしてローゼ姫が立った。
「どうだいトリス。
うまくいっただろう?」
得意げにグレンが言う。
「はっ。さすがでございますな。
メイドを風呂に寄越せと言われたときは肝を抜かしましたが……」
「メイドに風呂で誘われて、この下男が部屋に連れ込まないはずがない。
まさかそれが蟲のキャリアとも知らずにね」
そう言って二人して下品に笑った。
「……なんで一思いに殺さないんだよ」
憎しみを込めた目で祐樹が尋ねる。
グレンはローゼの髪を弄りながら、
「君が蟲の研究に携わっていたってことさ。
姫の調子がおかしくなった時に下手人がいるだろう?
得体のしれないお前はぴったりなんだよ」
ドゥミ嬢の部屋にお城から監察官が訪れ、そこで行われていたとされる儀式の客観的証拠集めをする。寄生虫を開発したのは祐樹の役だ。
今後、万が一姫の身体になにかあっても、すべての罪は祐樹が被る。
例え絞首台にぶら下がったずいぶん後からでも「よくよく調べたらすでに~」で説明が可能だ。そういうシナリオだと、グレンは意気揚々と説明した。
「ふざけないでっ!」
ミストが格子を揺すって怒鳴った。
「祐樹は、私達は……あんたのおもちゃじゃないのよっ!」
「ああ、そうだな。もう君たちは必要ない。
――僕は最高のおもちゃを手に入れたからねぇ」
グレンはローゼの背中に回り、女性の象徴たるその胸を乱暴に鷲掴みした。
「んっ」
と、姫からもまんざらではない吐息が漏れる。
グレンはその様を祐樹に見せつけるよう、執拗に恋人を愛撫した。
「ローゼ姫から離れろよ、クズ野郎ッ!」
我慢ならずとばかりに、祐樹が吠える。
するとグレンの瞳が邪悪に歪んだ。
「おいローゼ。君の付き人はずいぶん口の利き方がなってないな」
「申し訳ありません、グレン様。
こいつには罰を――、」
ぱんっ! と、姫の頬に平手打ちが入る。
「お前の教育がなってないからだろ!」
さらにもう一撃、もう一発。
ローゼ姫の頬に何度も何度も平手が入る。
「お、お許しを……はぅ!
お許しくださ……あぅっ!
姫は許しを請いながら、身を守ろうとするとその手は男性の力に抗えず、白い肌は暴力で真っ赤に染まっていった。
彼らがやがて夫婦関係を結ぶと言うのであれば、さながら早すぎるドメスティック・バイオレンスといったところか。
「おい、止めろっ! 止めろよっ!」
祐樹の制止などどこ吹く風で、音が響きやすい地下牢は肌に肌が叩きつけられる炸裂音が何度も何度も木霊した。
「くっそっ! てめぇ覚悟しやがれ……」
祐樹はE:IDフォンを構えるが、寸でのところでミストがその腕を掴む。
「今はダメ……っ、姫があれじゃ済まなくなるっ!」
彼女のいうとおり、今この理不尽を止められていても、この牢屋からじゃ姫を救う事は叶わないばかりか、支配されている彼女自身が何をしでかすかわからない。
だがそういうミスト自身も目に涙を浮かべ、唇は怒りに震えていた。
祐樹にはもう、目を背けるしか術が無かった。
「はぁ……はぁ……、ふーっ」
息が上がるほど姫の頬に制裁を加えたグレンは、まるでスポーツでも終えたかのようにすがすがしく汗を拭う。
転じて美しかった姫の頬は腫れあがり、鼻孔から出血した醜い顔となってその場に崩れ落ちた。
「お許しを……お許し、くださいませ」
しかしなおもローゼは虚ろにグレンの許しを請う。
「あの……グレン様」
トリスが慄きながら声をかけた。
「仮にも姫殿下に、少々やり過ぎかと……」
「んー? ダメなのか?」
グレンがちらりとそちらに目配せした途端、トリスはすくみ上り、
「い、いいえ、滅相もございません!」
と取り繕った。
「ですがほら、せっかく手に入れたローゼ姫に後遺症でも残ると、もったいのうございまして」
「ああ、まあ、確かに。
おい、あれもってこい」
メイドの一人がボトルを取り出す。
グレンはコルク栓されたそれを、栓を抜くこともなく先端を叩き割り、中の液体をローゼの頭に乱暴に流した。
「高価な治療薬をそんなにも並々と!」
「いいよ、どうせニッカに造らせるし」
その液体を浴びたローゼの傷がみるみる塞がり、元の麗しい姫君へと回復していく。
「ありがとうございますっ! グレン様ぁ!」
「ぷっ……はっはっは!
お礼を言うのかよ、これで!」
グレンは下卑た高笑いをした。
「お慈悲を頂けたのですから……」
「おいみろよ、これがあのローゼ姫だぜ!
みんなから憧れの的で、僕の婚約者なのにダンスの誘いすら断る難攻不落の姫殿下なんだぜ!
それがぶん殴られてお礼言ってんだよ! 笑えるよっ!!」
「グレン様に喜んでいただけるなら身に余る光栄です。
ご洗脳いただき、本当にありがとうございます!!」
ローゼの歓喜の声を、祐樹は歯ぎしりしながら聞いていた。
「……ローゼ姫……。
殴ったのはそいつなんだよ……。
目を覚ましてくれ……っ!」
「いいえ、違うわ祐樹」
姫は祐樹に、血も凍るような声で言った。
「お前のせいよ、下男」
そして見守る事しかできない祐樹の元にやってきて、その面前に唾を吐きつけた。
「姫……っ」
「死んで。グレン様のために。
それが私の為でもあるわ」
「く……そぉ……っ!」
祐樹はその場に崩れ落ちる。
「悪くない余興だろ?
絞首台に行く君への手向けだ、はははっ」
打ちひしがれ再起できない祐樹は、地下牢を去っていく三人の背中すら見送れずにいた。




