夫人の誤解は亜利奈の手の内
(※トリスが厨房に向かう数十分前)
ドゥミ嬢がすすり泣く声が止むころにはもう、すっかり陽が傾いていた。
イスキー邸の敷地は背の高い雑木林で覆われていて薄暗かったから、夜は一気に暗くなるな。
「あ」
ハンカチを仕舞おうとE:IDフォンを覗き込んだ俺は、画面に通知が来ていることに遅れて気付いた。
「……どうかなさいましたか?」
ドゥミ嬢が言った。
泣き顔の名残はまだ消えてない。
「レベルが上がってる」
「〝レベル〟……ですか?」
「そう。
なんかこいつ、俺の強さとか管理してくれるみたいなんだ」
『名前:しもやまゆうき
ジョブ:姫の男娼
LV:2
HP:120 MP:60%
力:7 素早さ:7 賢さ:4 運:0』
おそらく甲冑を倒した直後にレベルアップ通知が来ていたはずなんだろうが、色々あって気が付かなかったみたいだ。
「俺の運は上昇の余地ないのかよ。
あとなんなんだこのふざけたジョブは」
ぶつくさ言っていると、ドゥミ嬢は不思議そうな顔で画面を覗き込んだ。
「……見たことない文字ですわ」
そっか。
言葉は自動翻訳されてるけど、文字までは伝わらないんだ……。
俺の世界の文字だよ、と説明すると、ドゥミ嬢はいっそう興味を持ったようで、
「この、四角張った二文字が祐樹さんのお名前ですか?」
「いや、それは〝名前〟って文字。
その隣のテンテンの次が俺の名前」
「この……釣り針の様な文字ですか?」
釣り針……?
あ。『し』の事か。
「そう、そこから四つが名字。
ドゥミ嬢でいうならメリーの部分」
「まあ。家名が最初に来るのですね」
「そう。し、も、や、ま。
で、ここから名前。
ゆ、う、き」
漢字やカタカナまで説明すると混乱しそうだから止しとく。
「ゆ――う――き」
ドゥミ嬢は空中でひらがなを何度か書き、嬉しそうな顔をした。
「ふふっ。
これだけは、覚えちゃいましたから」
なんか、〝もう逃げらんないぞ〟みたいなニュアンスでちょっと怖いなぁ。
でも元気を取り戻してくれてよかった。
ともかく、俺はハンカチを片づけ、別の物を取り出す。
まずはポケットティッシュ。
ドゥミ嬢の鼻をすっきりさせないと。
泣きはらした眼のために目薬だ。
使い方に戸惑っていたお嬢様だったが、こいつのおかげで泣き痕はすっかり引いた。
しかし目薬なんて、よくもまあ俺はこんなもん持ってきていたな。リュックに突っ込んだときは亜利奈の事を考えてた気がする。
心配していたドレスの汚れもウエットティッシュで払えばすぐに綺麗になった。
「あとはドゥミ嬢。
しゃべりかた、いつもらしく」
そういうとドゥミ嬢は二、三回深呼吸をして、
「言われなくてもわかってるわ。
口を慎みなさい」
そう言って正面を向いた。
よし。復活だ。
これで堂々とイスキー邸に戻れる。
「――上出来よ、ユウキ。
あなたは最高の〝付き人〟だわ」
「お褒めに預かり光栄です」
冗談っぽく言いながら、俺は道具をE:IDフォンに片づけていく。
アイテムの欄に〝騎士の剣〟が見えた。
――どさくさに紛れてちゃんと回収しておいたのだ。
「安心してよ。なんとかやってるぜ」
護衛騎士達に伝えるつもりで、俺はそう言った。
俺達は最初にメイドさん達に迎えられた扉を抜け、屋敷へ入る。
「お嬢様、お待ちしておりました」
すぐさまトリスがニコニコと笑顔で出迎えてくれた。
「礼拝堂へ行かれたとの事ですが、お帰りが遅くいやはや心配しておりました。
晩餐の支度が出来ております。
イスキー侯爵もお嬢様との食事を心待ちにしておりますぞ」
そしてメイドさんを呼び止め、ドゥミ嬢を連れて行かせる。
ドゥミ嬢が去るまでトリスは深く頭を下げていたが……、
「――ユウキ殿!
一体どういうおつもりですかっ!?」
なんか、おもむろに怒られた。
「なに、俺なんにもしてないよ!」
「何もしていないのが問題なのだ!
付き人たるもの、主人の指示には忠実に、しかし上手に事を促して差し上げねばならないというのに!
お嬢様を晩餐に遅れさせるなどと言語道断というもの!!」
……なにその無理ゲー。
「いやだって、お嬢様が行きたいって」
「だってではない!
これだから無教養な下男は――、」
「お、お止めなさいトリスっ!」
唾をとばして説教を始めたトリスだったが、それを制止したのは、なんとウェルシュ夫人だった。
「お客人のお付きの方になんて事を!」
「は……いや、しかしこの者は」
「いいから下がりなさい!」
トリスがすげー困惑した顔でこっちを見てるけど、俺にだって何が起きているのかわからんよ。
ウェルシュ夫人は気味の悪いくらいの笑顔で俺の方を向くと、
「ゆ、ユウキさん、先ほどは私の手の者が、その、少々早まったことをしでかしたようで、大変失礼いたしました」
「……は、はぁ」
なんのこっちゃ?
わけがわからず曖昧に相槌を打つ。
「ちょっとした手違いというか、行き違いというか、あんなことをさせるつもりは毛頭になかったのです、ええ、本当に!
どうか誤解なされないよう……」
なんなんだこのババア。
一体何と勘違いしているんだ?
あ。
もしかして甲冑モンスターの件か?
あれの事言ってるんなら俺の方こそ謝らないと。理由はどうあれ、ぶっ壊したのは俺なんだから。
「いやー、ごめんなさい。俺の方こそちょっとやり過ぎたっていうか……。
あれって直ります?」
「〝あれ〟、〝直る〟――っ!?」
「あ。後片付けとか人手が居るなら言ってください。俺の荷物に詰めて、どっかに棄てとくんで」
「〝後片付け〟!?
〝荷物に詰めて〟!?
〝棄てる〟!?」
なんだ。
俺が喋るたびにババアの顔色が悪くなっていくぞ。
「しょ、しょ、処理はこちらでしました。
ユウキさんは、余計なご心配はなさいませんよう――、お、おほほ、おほほほ」
「あ。そっすか」
なんだ、こっそり『防具になるかな』とかセコイ事考えてたのに。
だってファンタジーの世界で盾も兜も無いんだぜ。
フル装備はハードル高いにしてもさ、
「腕ぐらい貰っとけばよかったなぁ」
「ひッ、ヒイィッ!」
あ、やべ。
心の声が漏れた。
独り言とかきめぇ。気を付けないと。
……ん?
なんでババア昇天寸前の顔してんの?
「夫人、いかがなされました?
……お加減がよろしくないようですが」
黙ってたトリスが調子を見に来る。
「トリス」
「はっ!」
「ユウキさんに、来客用のお食事をご用意してさしあげて」
「はっ、ただいま――、はぁぁ!?」
おっと。
今度はトリスの顔が青くなったぞ。
「ははは、ご、御冗談を……」
「冗談じゃないわ、今すぐに。
侯爵との相席はマズイから別の個室をご用意して。ちゃんとメイドも付けるのよ。
それから入浴の支度もご用意して差し上げて」
「にゅ、入浴っ!?
貴族どころか、騎士ですらない、下の下の下男、卑しい男娼のこいつをですか!?」
「くくく、口を慎みなさいっ!
このバカ、滅相もない!!」
「はあああ!?」
とりすはこんらんしている!
「夫人、一体全体何をお考えでっ!?」
「減らず口が多いッ!!
命が惜しいなら、早く支度をなさい!」
「は、はい、ただいまァっ!!」
どぴゅーんって効果音が似合いそうな勢いで、トリスがダッシュしていった。
「ふふふ、精一杯おもてなしいたしますので、その、滞在中はおくつろぎくださいね」
ウェルシュ夫人の何とも言えない薄気味悪い笑顔が俺に向けられる。
それがフッと必死の形相に変わり、
「ですから、何卒ッ!
妙な気は起こされませぬように!」
と、大魔神に祈る勢いで意味の分からない事を懇願をされた。
なんか、八つ墓村に出てくるババアにも似てるよな、こいつ。
……展開がよくわかんないから、俺はぼーっとそんな事を考えていた。