魅了-テンプテーション-
西の草原で戦争が始まった。
元魔王軍元帥であったガイアスの戦力は、総勢2万5000名におよび、七候補のなかでも最大勢力を誇るほどである。
もちろんその大多数は、ゴブリンなどの下級魔族に属するものではあるが、それでも大勢力といっていいだろう。
対して、シルフィーナの勢力は男女合わせても1000名ほどである。
男性淫魔と女性淫魔で構成されている、魔界でもちょっと特殊な軍勢らしい。
数字の上では圧倒にオレたちのほうが有利に思われるが……
「報告いたします、ドラグニア様!
先ほど先兵として送り出した部隊が、相手側に寝返り、こちらの軍に攻撃を仕掛けている模様。
裏切りです!」
「第二部隊、第三部隊も同じく!」
「クソッ、どうなっているんだ、我が軍は!」
部下達からの報告に悪態をつくガイアス。
歴戦の猛者であるガイアスにとってもこんな事態は初めてのことらしい。
味方の造反者、それも部隊単位で次々と裏切るというのが如何に異常な事なのかは、素人のオレにも良く分かる。
今のところは数のおかげで何とかなっているが、このまま続けば、確実に敗北するだろう。
「この異常事態、もしかすると淫魔達の持つ魅了やも知れませぬ。」
「テンプテーション?」
ガイアスによると魅了とは、淫魔達の持つ固有魔法であり、魔法をかけた相手を自分の僕へと変えてしまう恐ろしい能力らしい。
しかしその能力が戦争のような集団単位で使われたことが無かったため、ガイアス自身も半信半疑のようだ。
鬼人のような上位種たちならば魅了にかかる心配は無いそうだが、それでも大多数の下級・中級クラスものは抵抗することができないだろう。
ガイアスもいそいで部下たちに撤退命令を出しているが、すでに味方同士で戦っているところもあるようだ。
「くぅ……ドラグニア様、申し訳ございません。
どうやらこのガイアス、敵の戦力を見誤っていたようです」
ガイアスが申し訳なさそうにオレに謝罪する。
だが、これは仕方ないことかもしれない。まさかたった1000名足らずの戦力に2万5000もの戦力が翻弄されるなど、普通考えられないことなのだから。
「かくなる上はこのガイアス自らが、鬼人軍を率いてやつらを打ち取って見せましょう!」
ガイアスが決意に満ちた目でオレを見つめる。
うう、ごめんよ、ガイアス君。正直オレ、「戦争のことは全部ガイアスに任せとけばいいや!」とかてきとうに考えてた。
しかしそれでは駄目なのだろう。
戦場を見回してみる。
力尽き倒れる者、怪我をして運ばれる者、かつて仲間と呼んでいたものと戦う者。
それらはオレがこいつらのリーダーとして不甲斐ないばかりに起こったことなのだ。
だからこそ、オレは変わらなければならない。
平社員の新谷健一ではなく、彼らの主、ドラグニア・ランフォードに。
「必要ない、お前たちは魅了にかかった者たちを抑えるほうにまわれ。
やつらはワタシが相手をする。
淫魔風情の軍など、このドラグニア・ランフォードの敵ではないわ!」
そうして、オレははじめて自分の意志で戦場に舞い降りたのだった。