#137 失敗
「何…で……」
タイムアウト明け,霧ヶ原のベンチは確かに希望を持っていた。
まだ厳しい状況だが,逆転の可能性は残っていると,全員が信じていたからだ。
けれど,そんな空気は試合再開後すぐに消えた。
こちらの切り札として投入した陰山先輩が,ほとんど何もできずにいたからだ。
最初の数プレイは,まだ試合の空気に慣れていないだけだと思っていた。
でも,だんだんと気付く。
あれは,そんなレベルの話ではないと。
決して先輩が手を抜いているとか,緊張していつもの動きが出来ていないとか,そういう訳ではない事は見れば分かる。
では,なぜ先輩が普段のような動きが出来ないのか。
その原因は,同じタイミングで交代してきた見知らぬ18番の存在にあった。
あの18番は,攻撃でも守備でもいつも先輩に張り付いている。
こちらがどう動こうとお構いなしに,ずっと先輩だけを見ているのだ。
これでは他のメンバーに隠れる動きなど到底出来るはずもない。
もちろんそんな事をすれば,先輩だけじゃなくあいての18番だってチームの攻撃には参加できない。
でも,たとえそれで4対4の状況になったとしても,これまでの実力差を考えれば善戦は出来ても逆転は難しい。
信じたくはないが,これではまるで――
「――私たちの作戦が,全部分かっていたみたいなプレイね」
残り5分でここ一番の奇襲をかける。
これは普段から考えているいくつかの作戦の中の1つだが,最終的にそれを決定したのは第3クォーター終了時だ。
今までの対戦相手ならば,ここで多少なりとも慌てる場面のはずなのに,雫たちにはそれが全くない。
それどころか,示し合わせてきたかのようにベンチメンバーを交代させ,完全にこちらの攻撃を潰してきた。
こんな芸当,こちらの作戦を完全に読み切っていなければ出来ないはずだ。
一体どんなからくりを使ったのか,問いかけるような視線を送ると,雫は申し訳なさそうに口を開いた。
「ごめんなさいね。去年までであれば,ここまで対応出来なかったわ」
「…どういう意味?」
「楓高校,覚えているでしょ。時雨の行った学校。あなた,毎年あそこと練習試合しているじゃない。
向こうのキャプテン,予選であなたに負けた事がよっぽど悔しかったのね,仇は取ってくれって聞いてもいない情報まで全部教えてくれたのよ。その中の1つに,11番の存在があった。こんな形で相手の情報を仕入れるなんて,ちょっと卑怯な気がしたんだけど,私たちだって知った以上は対策を取らなきゃいけなかったのよ」
「なるほどね…」
確かに,今年の練習試合では美鈴さんにも活躍してもらった。
それを覚えていたのだとしたら,こんな攻撃もあるから気をつけてくらいの事は言ってあってもおかしくは無いか。
「…別に,謝る必要なんてないわ。事前に相手校を調べるのは問題でもないし」
「それでも,あなたとは,同じ条件で真正面から戦いたかったのよ」
「……そう,ありがと」
確かに私は事前の偵察はあまり好きじゃないし,これまでも積極的にはやって来なかったので,雫がそう考えるのも分からなくはない。
でも,だからといって相手を非難する気はないし,むしろこっちがもう少し手を用意しておかなければいけなかったと反省する所だ。
「…でも,これで諦めるような光じゃないわよね」
「当たり前でしょ。まだ時間は3分以上残ってる。勝てないとは,思ってないわ」
私の言葉に,安心したように雫が微笑む。
負ける気なんてさらさら無い。
たちえ万策尽きようとも,試合終了の笛が鳴るまで結果は分からないのだから――
――陰山先輩が出てから2分弱。
残り時間はいよいよ3分を切った。
「まだ勝てます! 諦めないで!」
ベンチからはしばらく前からこんな悲痛な声しかとんでいない。
残り時間3分を切り,すでに点差は13点に戻っていた。
未だに陰山先輩は動けない。
4人で戦ってもじりじりと離されていくだけ。
俺は1回残っているタイムアウトの事も忘れて,ただ祈るようにコートを見つめる。
ここからの逆転の可能性を信じて,ただ,見つめる。
「…お願いします,先輩……」
でも,現実はそう甘くない。
気持ちだけで結果が変わるなら,誰も試合後に泣きはしない。
勝者と敗者は,必ず生まれるのだ。
――――もしかしたら,負けるかもしれない。
そんな思いが,頭の片隅にちらつき始めた瞬間。
「頑張れ! 霧ヶ原高校!!」
観客席から,一際大きな声が体育館中に響き渡った。