幕間 決心
「…………」
市営第1体育館の入口の前で,深呼吸を数回。
その上で何度かの逡巡を経て,私,木下徹はようやく体育館の中へと足を向けた。
まっすぐ2階のギャラリーへと向かいながら,自分の馬鹿さ加減にもう1度苦笑を漏らす。
本当なら,この場所には来ないつもりだった。
万が一にでも彼女たちに見つかってしまったら,どんな顔をすれば良いのか分からなかったから。
熱心に誘ってくれる木嶋君に,何度も心動かされそうになったが,それでもやはり天王寺さんと白山さんの事を考えると足が動かなかった。
彼の話だと,もう2人はすっかり昔の姿を取り戻したと言っていたけれど,だからと言ってまた私が彼女たちの中に入っていけば,同じ過ちを繰り返してしまうかもしれない。
そうなるくらいなら,自分が行くべきではないと。
でも,結局こうして自分はこの場所に来てしまった。
きっかけは,ほんの数時間前に来た1本の電話だった。
電話の発信者は,木下進。
かつての私と同じように,高校でバスケを教えている,私の弟からだった。
『久しぶりだね,兄さん。元気でやってる?』
「あぁ,突然どうしたんだ?」
『俺が教えている子たち,今日試合なんだ』
「そ,そうか。もうインターハイ予選の季節だもんな。頑張れよ」
『…対戦相手,兄さんもよく知ってる学校なんだけど』
「そうなのか? でも,自慢じゃないがもう高校バスケからは縁遠くなってるからなぁ。もうお前のいる学校だって知らないし」
『……桜高校』
「え?」
『今俺のいる学校の名前だよ。それ聞けば,いくら兄さんだって分かるだろ?』
「桜…高校……」
どこかで聞いた名前……とはいうまい。
それは間違いなく,木嶋君から聞いていた名前。
この予選で一番の強敵であろう,今日の試合で当たる学校の名前だった。
『びっくりした? もちろんうちは勝つつもりだけど,兄さんもぜひ見に来てほしいと思って。だって,今のチームは兄さんがつくったんだろ?』
「そんな,ことは…」
『あるさ。いくら途中で投げ出したって,今のキャプテンと副キャプテンをつくったのは兄さんだよ。そんな彼女たちの最後の大会,見に来ない訳?』
「それは……」
『ま,別に兄さんが来ないなら来ないでも良いけど。それで結果が変わる訳でもないし。じゃあ,俺はおれからこれから学校に行かなきゃいけないからこれで』
「あ,あぁ…」
一方的に言いたい事だけ言って電話は切れる。
進がいつもそうなのは小さい頃からよく知っているので驚きはしないが,私の心にズシンと響いたのはその内容だ。
彼女たちの,高校最後になるかもしれない,いや,むしろなる可能性の方が高い試合。
それを見届けもしないで,本当に良いのか。
そうやって自分が犯した過ちから逃げ続けて良いのか。
でも,自分が行く事で彼女たちの心を乱してしまえば,それこそ本末転倒ではないか。
「……結局は,全部言い訳か…」
ごちゃごちゃと御託を並べた所で,所詮は自分のための言い訳。
彼女たちと向き合う勇気が持てない自分への言い訳に過ぎないな。
「…よし」
勝っても負けても,彼女たちにとって今日の試合が大きなターニングポイントとなる事は間違いないだろう。
だったら,たとえ遠くからでもちゃんと見届けてやるのが私の責任だ。
そう決心して,私は試合会場へと足を向けたのだった。
「おぉ…」
会場に入ったのはちょうどハーフタイム中で,得点は43対46で霧ヶ原が追う展開。
途中経過はよく分からないが,優勝候補相手に前半でこの点差なら可能性はまだまだある。
後半で一気に崩れない限り,面白い試合になるだろう。
「一気に崩れない限り…な……」
念のため,一番後ろの席に腰を下ろす。
万が一にでも試合中に見つかってしまえば,最悪な結果も十分考えられる。
私はここで,黙って見守ろう。
そう決めて,ようやく一息ついたと同時に選手たちがコートへと戻ってきた。
桜高校の中にはもちろん進の姿もある。
私を探してでもいるのか,少しだけキョロキョロと会場を見回してからベンチに座る。
両チームがベンチで最後のミーティングをして,精鋭5人をコートへと送り出す。
そして,後半戦開始の笛が体育館に鳴り響いた――