#127 流れを止める一手
「……ようやく,この形になったわね」
目の前に立つ強敵に,私の心は逸る。
久し振りに感じる,今の自分の実力がどこまで通用するか分からない相手と戦う時の高揚感。
自分の全てをぶつけて,そして何としても勝ちたい,と心から願う相手は彼女だけ。
ボールを持つ手にも自然と力が入る。
「まさか,こんなに早くなるとは思わなかったわ。あの光が自分より実力が上の後輩を隠し玉として準備しているなんて,驚きよ」
「……隠し玉…?」
雫の言葉に手の力がほんの少し抜ける。
風花ちゃんは確かにポイントガードとしては隠し玉と言えると思うが,まだ私の方が実力は上だという自負はある。
「……そうね。あなた達を驚かせてあげようと思って,今までの試合では本当の実力を見せないようにしてきたのよ」
これはもちろんはったりだが,私はあえて自信満々に口を開く。
もしかすると,さっきまで私を完全に抑えていた10番は,雫が用意した私を止めるための切り札だったのではないか。
そしてその思惑通りに私は止められたけれど,交代で出てきた風花ちゃんはそうはいかなかった。
前の試合だって最終的に時雨を止めたのは風花ちゃんなのだから,そう考えていたっておかしくはない。
…それなら,その勘違いは存分に利用させてもらう。
風花ちゃんがあの10番の相手をしてくれれば,私も自由になってこちらの攻撃の幅がグッと広がるかもしれない。
「私よりディフェンスの上手いあの子が止められない相手が県内にいるのは正直予想外だったわ。でも,ここであなたを私が止めれば問題ないわね」
「……そうね」
雫の言う通りだ。
いくら10番から逃れられたとしても,ここで雫に止められてしまえばそれで終わり。
結局私がいる意味は無くなってしまう。
「…でも,そう簡単に行かせはしないから」
そこで私は頭の中を回っているごちゃごちゃした考えを一度消す。
目の前の強敵を抜くためには,邪魔な思考は一切いらない。
私は思い切り地面を蹴り,真正面から切り込んでいった。
「うぉ…」
天王寺先輩にボールが渡ってから数秒間の静寂の後,それは突然だった。
そりゃ相手を躱すために緩急をつけた攻撃もするだろうけれど,それでも,だ。
一息でギアをトップに入れ,その上で左右にフェイントを数回。
普通ならそれだけで先輩を見失う所だが,それでも4番は振り切れない。
でも先輩はそれすらも読んでいたのか,振り切れないと見ると間髪入れずにターンで抜く。
……と見せかけたそれもフェイクか。
4番もそこまでの反応は出来なかったのか,ターンにつられて空いたスペースを先輩は素早いドリブルで突破した。
その動きはまるで洗練されたダンスのステップでも見ているかのようで,今までのどの場面で見てきた動きよりも美しかった。
「ナイスシュート」
危なげなくシュートも決まり,これで点差は10点。
流れはまだ向こうにあるかもしれないが,少なくとも一方的な試合展開はここまでだ。
ここから少しずつでも巻き返していければ,まだ試合は始まったばかり,いくらでも挽回できる。
そこから試合は,しばらく取って取られてのシーソーゲームとなった。
第1クォーターはずっと10点の点差は守られた形になってしまったが,昨年の全国ベスト8の相手にこの結果ならまずまずだろう。
もちろん,このまま負ける気などさらさらないが。
「お疲れ様です」
ベンチへと戻ってきた選手たちにドリンクとタオルを渡す。
もちろん皆疲れてはいるが,想像以上という訳ではない。
この調子なら,楓高校の時のようにはならないだろう。
「あの10番には驚きましたけど,風花が頼りになって良かったですね」
「えぇ,本当に。でも,ここで彼女の出番は終わりかもね。風花ちゃんに対してディフェンスが機能しないのであれば,オフェンスにほとんど参加していない彼女をコートに置いておく理由は無いわ」
確信めいた表情で言う天王寺先輩に,俺も頷く。
これまであの10番は驚くほど攻撃に参加してこなかった。
それでも出ていた理由は,恐らく天王寺先輩を完封していたディフェンス力の高さにあったと考えられる。
だが,なぜか風花にはそれが通用しなかった。
そうと分かってしまえば,わざわざ攻撃の手数を減らしてまで残しておく選手ではないだろう。
というのは,先輩と俺で共通した考えらしい。
「…となると,次に出てくるのは……」
「恐らく,あの8番でしょうね」
試合前のスタメン予想で,10番の代わりに名前が出ていたのが8番の長瀬千鶴。
3年の彼女は4番の上月さんとは中学時代から組んでいたフォワードで7番の和泉さんが台頭してくるまではずっとエースだった人だ。
そして,4番と中学時代からの付き合いがあるという事は……
「…やはり,千鶴が来るか。あいつが出てくるとなると,竹内ではまだ約不足かもな」
横からそう入って来るのは白山先輩。
そう,先輩たちはあの8番とは中学時代にチームメイトだったという事だ。
それだけに,相手の実力もよく知っている。
「そうね。風花ちゃんが抜けて攻撃の幅が減るのは嫌だけど,今のあの子を任せるのはちょっと厳しいかも…」
顎に手を当てて少し考えた後,天王寺先輩は改めて口を開く。
「……理久,行ける?」
「わ,私?!」
先輩の言葉に,突然名前を出された本人が驚きの声をあげる。
確かに大久保先輩はあまり練習でも目立たない選手だし,この大事な場面で出せる選手はまだまだいると思っているのだろう。
でも,天王寺先輩は顔色を一つも変えずに続ける。
「そうよ,あなたは風花ちゃんと交代。で,ディフェンスも少し変える。理久が6番を,次に入ってくると思われる8番を美空さんが抑えて。もし10番がそのまま出てきたら,10番について」
「はい」
「は,はい…」
たとえ相手が交代してこなくても,こちらの作戦を変えるつもりはないと,先輩はそう宣言した。
「ここからは,もう点差を守るための作戦は止める。10点差,前半のうちにひっくり返すわよ!」