#120 木下先生との再会(2)
『こんにちは!』
体育館の扉を開けると同時に聞こえて来た元気な声。
だが,入ってきたのが俺だと分かるとすぐに子どもたちの表情が変わる。
「こ,こんにちは~…」
ポカンとしてしまった子どもたちを前に小さく挨拶をしてみるも,「誰だコイツ」という空気は変わらない。
この空気はつい最近にも味わった事がある。
そう,女子バスケ部に乗り込んだ日もこんな感じだったっけ……
「校長先生から話は聞いているわ。霧ヶ原高校の木嶋遥斗くんね」
そんな中,コート脇に立っていた女性が俺の所へとやって来た。
上下のジャージに首から下げたホイッスル。
この学校の先生かクラブのコーチなのだろう,彼女の声が上がった瞬間に子どもたちの警戒レベルがぐっと下がったのが分かる。
やはり,先生やコーチの知り合いというステータスは小学生にとって大きな意味を持っているのだろう。
「私は清水恵子。4年2組の担任で,一応このクラブの顧問ということになっています」
「よ,よろしくお願いします」
「まぁ,顧問と言っても私は特にバスケに詳しい訳じゃないから名前だけね。だから,外部コーチという形で木下さんに来てもらっている訳よ」
「は,はぁ………ん?」
何か普通に話されたけれど,今何か重要な単語が出てこなかったか?
「木下さんって,もしかして木下先生ですか?」
「ん? そりゃもちろん。…君だってだからここに来たんじゃないの?」
「あ~……」
学園長め,なぜいつも俺には大事な事を話さないのか。
そろそろこの俺以外の人は全てを分かっている状況にもそう驚きはしないが,もう少し教えてくれたって良いと思う。
「そ,そうなんです。ぜひ木下先生と話がしたくて」
まぁ,自分1人しか詳しい事を知らないよりは,相手に合わせるだけで話が進んでいく分楽だけれどもさ。
「でも,今日は少し遅くなるってさっき連絡があったから,もう少し待っていてね。何なら,みんなと一緒に練習したって良いわよ?」
冗談半分に先生が「ね?」と投げかけると,子どもたちの間から小さな歓声があがる。
普段と違う人と練習をするのがそんなに嬉しいのだろうか。
「やった! コテンパンにしてやる!」
「せんせー,でもあんまり本気でやったらその人可哀そうだよね」
「手加減してあげなきゃねー」
「…………」
なるほど,見知らぬ人をボコボコにするのが楽しいという訳ですか。
全く,これだから小学生は……
「あれ? でも,このお兄さんとってもバスケが上手だって先生のお友達が言ってたよ? みんな,本当に勝てる?」
『うん!!』
「…ですって。どうします?」
「……分かりました,どうせ待っているだけでも暇なんで。
…子どもたちに,お兄さんの恐ろしさを教えてあげますよ」
それから,1対5でゲームをしても仕方がないという事で,腕に自信のある人とだけ1対1で勝負する事になった。
最初はほぼ全員が我こそはと手を上げたが,各々が自信満々に仕掛けてくるプレイを尽く破って見せると,手を上げる者は1人,また1人と減っていった。
そして,最後まで手を上げていた男の子を軽々と止めた頃には,子どもたちの俺を見る目がまた変わっていた。
「兄ちゃんスゲー! 今の僕にも教えてよ!」
「どうやったらあんな風にドリブル止められるの?! もう1回やってみせて!!」
小学生特有のこの手のひら返しの速さは見習うべき所も多いとさえ感じてしまう。
でもまぁ,ほんの数十分で彼らの心を掴めたのだから,ずっと煙たがられるよりはよほど良い結果だ。
「――あれ? 今日はやけに賑やかですね」
そんな中,体育館のドアが再び開き,1人の男性が入ってくる。
その声にすぐ反応し,子どもたちの顔が綻ぶ。
「あ,コーチ! こんにちは!」
「はい,こんにちは。今日はどんなお客さんが…来て…いる……」
子どもたちに笑顔で返す彼だが,俺と目が合った瞬間にその笑顔が固まる。
その顔を前に見たのは1度。
それも学園長と2人,夜の学校でだけ。
でも,すぐに分かった。
それだけ忘れられない人物だったのだ。
そして,今日俺がここまで来た理由でもある。
俺はすぐに表情を引き締め,ゆっくりと口を開いた。
「――お久しぶりです。木下先生」