#119 木下先生との再会(1)
蒸し暑い体育館の中に,キュキュッとバッシュが床を蹴る心地良い音が響き渡る。
その合間を縫って聞こえるドリブルの音や,ボールがネットを揺らす音もいつも見ている風景と何も変わらない。
ただ一点だけ違うのは,目の前でバスケをしているのは高校生ではなく……
「パスパース! ボールくれよー!」
「嫌だね! どうせまた全部1人でやっちゃうんだろ!」
「おーい! こっち誰もいないぞー」
とても楽しそうにボールを追いかけている小学生だという点だ。
体育館に設置してある時計を見ればもう午後の4時。
いつもなら部活に励んでいるこの時間に,どうして俺はこんな所にいるのか。
それを説明するために,数十分ほど時間を遡ってみよう。
その日の俺は,先輩に無理を言って部活を休み,学園長から手渡された住所を頼りに隣町に足をのばしていた。
携帯の地図だけを頼りに見知らぬ土地を歩くのは中々に難しい。
自分が方向音痴ではないと思いたいが,駅からの予定到着時間が過ぎてもまだ辿り着けていない。
「この先を右,と……」
それでも自分と地図を信じて歩く事数分,俺はようやく目的地らしき場所にたどり着いた。
「ここ…か……?」
学園長に教えてもらった住所。
そこにあったのは小さな小学校だった。
もう授業は終わっているのだろう,校庭でいくつかのグループが遊んでいる以外は人影がない。
何も考えずに正門をくぐろうとして,しかし,俺は足を止める。
最近の小学校はセキュリティがとても厳しいと聞いた事がある。
授業終わりとはいえ,俺みたいな部外者が敷地内にいたら怪しまれるのではないか。
決して怪しい者ではないが,そう言ったって信じてもらえはしないだろう。
このまま進んで良いものか。
傍から見れば,正門前で立ち止まって考え込んでいる今の状況の方がよっぽど怪しいのだが,その時の俺にはそこまで考える余裕は無かった。
「…あの,ちょっと良いかな?」
「はい?!」
後ろからかけられた声に驚き慌てて振り返ると,そこにいたのは初老の男性。
警備員のような恰好をしている所を見ると,この学校の守衛さんなのだろうか。
「君,さっきからそこにいるけど,学校に何か用かい?」
「あ,えと…その……」
まずい,完全に不審者扱いの質問をされている。
守衛さんの表情は温和な物だが,目が笑っていない。
「あ,あの,実は……」
ここで下手な言い訳をして信用を失うと大変なことになる。
俺はここに来た理由を包み隠さず,学園長から貰ったメモも見せながら説明する。
すると,学校名と学園長のメモを見せた所で守衛さんの表情が変わった。
「あぁ,霧ヶ原の子だったのか。先生から話は聞いているよ。今日ミニバスのクラブを見学に来るっていっていたのは君だったんだね」
「は,はぁ…」
「案内するよ」という言葉に甘え,俺は素直に守衛さんの後に続く。
そうして案内されたのは,正門から校庭を突っ切った先にある体育館。
近づくと,中からは楽しそうな声と共に,バスケをする音が聞こえてきた。
「今日はまだ木下さんは来ていないんだ。まぁ,もうしばらくすると来るだろうから,中で待っていて。君の事情を知っている先生がいるから,良く話してみると良いよ」
「はい。色々とありがとうございます」
笑顔で正門へと戻る守衛さんとそこで別れ,俺は体育館のドアを開けた。