#112 限界
最終クォーターは神崎先輩からのスローインが白山先輩の手に渡った所から始まる。
白山先輩から天王寺先輩へ、そしてその先は第3クォーターと変わらない展開が続く。
相手の攻撃はほとんど止められない状況で、ほんの僅かな隙も許されない攻防。
お互いに得点を決めながらもこちらがじりじりと追いつかれていくこの流れは、コートの中にいる全員に普段の何倍ものプレッシャーを与えているだろうけれど、ここは何とか踏ん張ってもらうしかない。
今はかろうじて噛み合っている歯車だが、少しでも狂ってしまえば一気に試合を持っていかれる。
「集中…集中……」
最終クォーター残り3分で点差は僅か10点。
祈るようにコートを見つめる俺の目の前で、しかし、それは起こってしまった。
「――先輩!」
それは、その試合初めての天王寺先輩のパスミス。
明らかに右サイドの文香が空いている状況にも関わらず、先輩が選んだのはゴール下への強硬突破。
神崎先輩に出したパスは相手の5番に簡単にカットされてしまった。
「速攻!」
「――戻れ!」
思わず立ち上がり声を上げる。
これを決められたらマズイと頭が警鐘を鳴らしていた。
楓高校からいち早く飛び出すはもちろん上月さん。
彼女の速さを止められる可能性のあるのはたった2人。
その1人、白山先輩はゴール下にいてとても間に合わない。
希望を残しているのは、天王寺先輩ただ1人だけだ。
「――先輩…?」
だが、普段であればパスカットをされた時点で飛び出していてもおかしくない天王寺先輩の姿がコートのどこにもない。
「先輩!!」
誰の邪魔も入らない上月さんのシュートが外れるような事はもちろんなく、これで点差は8点。
しかし、そんな事態ですら些細と言える程の危機がコート上で起こっていた。
「光…?」
「天王寺先輩!!」
天王寺先輩が、先ほどのパスを出したその場所から動けずにいた。
それどころか、彼女は膝をついたまま悔しそうに俯くだけで、周りにいるチームメイトに返事すら出来ない様子だ。
その体から出るおびただしい量の汗がフロアを濡らす。
そこでようやく異常事態に気が付いた俺はすぐにタイムアウトを取る。
「先輩!」
ブザーと同時にすぐに先輩に駆け寄り、肩を貸して立ち上がらせる。
信じられないほど軽いその体を支えながら何とかベンチまで連れていく。
「…まだ……やれる、わ………」
そう言って立ち上がろうとするが、どう見ても先輩はもう限界だった。
思えば先輩は第3クォーターからずっと2人のディフェンスと戦っていたのだ。
その上あの上月さんとはオフェンスでもディフェンスでもやりあっている。
午前中からの連戦という事も考えれば、ここまで先輩への負担はどれだけだったろう。
そんな事にも気が付けないで、何がマネージャーだ。
「先輩…」
「…ここで…私が抜けたら……この試合、は………」
今天王寺先輩を失う訳にはいかない。
でも、こんな状態の先輩を戦わせる訳にもいかない。
その2つから導き出される答えは、たった1つ。
――この試合は、もう勝てない――
神崎先輩が、火野先輩が、文香が、そして白山先輩までもが重苦しく口を閉ざす。
その事実は、きっとベンチにいる俺たちよりも、コートで戦ってきた彼女たちの方が良く分かっているのだろう。
残り3分でたった8点。
あの上月さんを相手に、天王寺先輩のいないメンバーではとても守り切れる点差じゃない。
誰の眼にも、諦めの色が映り始める。
ここで負けても予選は2位で突破、県大会には出場できるのだから良いじゃないかと心の中で悪魔が囁いた。
タイムアウトの時間ももう僅かしかない。
ここで先輩の復活を待つことは不可能だ。
「………」
だが、全員が諦めかけたその中で、たった1人、まだ眼を輝かせているやつがいた。
「―――私が出る。私が、アイツを止めてみせる」