#102 本気の意味
全日程を終えても未だ熱気に包まれる会場を後にした俺は,一度家に戻ってから夕食の買い物に行く事にする。
明日は勝っても負けても午前と午後の2試合あるので,途中の差し入れも何か買っておこう。
そんな事を考えながら自転車を走らせるのは行きつけのスーパー。
ここはいつも午後5時を過ぎるとタイムセールで食料品が値引きになるので,部活帰りにもよく寄っているのだ。
「さてと,今日の特売は…」
まるで主婦のような独り言を呟きながら店内をうろついていると,見知った人影を見つけた。
「…大地?」
思わず声をかけようとするが,すぐに思いとどまる。
最初は通路に隠れて見えなかったが,大地の横にもう一人,寄り添うようにして歩く人物を発見してしまったからだ。
それも,大地よりも頭1つ分小さい,見知らぬ高校の制服を着た女子。
いくら鈍い俺だってすぐにピンと来た。
「彼女…か……」
大地は顔も性格も良いし,センターなだけに身長も高い。
そりゃ,彼女の1人や2人いたって何の不思議もない。
当然だ,当然――
――べ,別に悔しくないからな!
ほんの少し悲しい気持ちになりながらも,俺は2人に背を向けて特売コーナーへと急ぐ。
そうだ,思い出せ。
今日俺はここに特売品を買いに来たんだ。
目的を忘れちゃいけない。
「お,今日は豚肉が安いみたいだな」
よし,せっかくだから今日は明日の縁起を担いで,1人で豪華にとんかつパーティーでも開こう。
夕食の献立を決めた俺は,それに必要な材料の調達へ向かう。
卵は家にある。
キャベツも昨日半額で買った物が残っている。
ソースは……この前使い切って以降買ってないか。
後は……
家に残っている材料を思い出しながら食材をカゴに放り込んでいく。
とんかつに使う材料が全て揃った所で,次は明日の差し入れ用だ。
「やっぱりここは無難にレモンと蜂蜜かな…」
みんなの様子を思い浮かべながら差し入れを考える。
こんな時間を自然と楽しんでいる自分に驚きながら,その日の買い物を終えた。
その夜,夕食を終えてのんびりしているタイミングで,俺の携帯が鳴った。
画面を見てみると,そこにあったのは大地の名前。
「もしもし?」
『おぅ,ハル。今時間大丈夫か?』
「大丈夫だけど。何かあったか?」
『いや,大した用事じゃないんだけど。今日の試合勝ったって聞いたからさ』
「あ,あぁ,ありがとう」
突然の電話に驚きながら,慌ててお礼を言う。
こんな電話を貰ったのは初めてなので,どう反応して良いのか分からない。
次の言葉を探していると,大地が続けて口を開く。
『1年生も活躍していたってのも聞いたぞ。地区予選とはいえ,1年生でレギュラーなんて凄い奴もいるんだな』
「あ,あぁ…」
レギュラーというのはきっと文香の事だろう。
でも,その言葉で思わず風花の事,それに釣られるように白山先輩の言葉まで思い出してしまった。
『…ハル?』
そのわずかな動揺は電話越しにでも相手に届いてしまったようで,大地が怪訝そうな声を出す。
ここでごまかすのは簡単だが,俺は思い切って大地にも相談してみる事にした。
女子の先輩ではなく同級生の男子である大地なら,また違った見方があるかもしれない。
「実はな…」
今日の試合の全容と,天王寺先輩の作戦,それと白山先輩の言葉。
「――とう訳で,今日の試合俺にはどうにも引っ掛かる所がな…」
全てを聞き,少し考えてから大地が改めて口を開く。
『…ハルの言いたい事も,分かるよ。
分かるけど,俺も今回は先輩の考え方に賛成かな』
「そう…なのか……?」
『白山先輩の言葉の通りさ。ただ全力を出すだけが本気じゃないって事。
…例えば,ハルはマラソンを走る時最初から全力疾走で走るか?』
「…? いや,最後まで体力を残すために最初はみんなについていく程度にする,かな…」
『だろ? でも,それはハルが『本気』ってやつを出してない訳じゃない。むしろ最後に向けて本気で戦っている証拠だ』
「うん…」
『でも,みんながみんなそうやって走っている訳じゃない。ハルと同じ速度で走っている人の中には,もしかしたら全力疾走じゃないとついて行けない人もいるかもしれない。
だけど,もしハルがそういう人を見つけたとして,こっちもその人に合わせて全力で走るか?』
「走ら…ないな……」
『今日の試合は,そういう事だよ。県大会まで視野に入れてマラソンを始めたばかりの霧ヶ原と,それについていくために最初から全力で走る相手校。お互いのスピードも,見ている先も違うんだ。それを,全試合短距離を走るように全力で駆け抜けていたら,最後まで息が続かないかもしれないだろ?』
「確かに…」
俺は今まで目の前の1試合の事しか考えられていなかったのか。
だから,その試合で体力を温存するという発想を無意識的に嫌っていた。
でも,大地の言う通り大会全てをマラソンと考えれば,前半・後半での体力の使い方も変わってくるのは当然の事じゃないか。
『そこで体力を温存しすぎて負けるのは論外だけど,確実に勝てるように温存するのは何も悪い事じゃないし,十分『本気』で戦っている証拠じゃないか?』
「そうだな……俺の考えが浅かったよ…」
『まぁ,そう自分を責めるなって。ハルの考え方だって,別に間違ってる訳じゃないだろ?
目の前の相手に全力で当たる。それは当たり前の事で,絶対に忘れちゃいけない事だ』
「…さんきゅ。そう言ってもらえると助かるよ」
間違いを正してくれるだけでなく,その後のフォローも完璧だった。
くそ,なんてかっこいい男なんだ。
これなら彼女がいても何の不思議もないな。
「…これなら彼女も出来る訳だよ……」
『は? 何の話だ?』
おっと,心の声が漏れてしまった。
「いやいや,隠さなくても良いんだよ。今日スーパーで2人で歩いているのを見かけたぞ」
『ん? ……あぁ,アイツの事か。安心しろ,アイツとはそんなんじゃないから』
「またまた~」
『本当だって。ただの幼馴染だよ。俺もアイツもお互い兄妹みたいにしか思ってないから』
「まったまた~。照れるな照れるな,今のお前になら俺だって惚れちまうぜ」
『や,やめろ気持ち悪い』
結局最後はそんなバカ話になってしまったが,俺の中にずっと引っ掛かっていた何かは,大地の言葉でいつの間にか綺麗に無くなっていたのだった。