#9 マネージャー初日(3)
「すっげぇ…」
広々としたコートでは、バスケとバレーのコートがそれぞれ1面。
男女合同での練習なので実質使えるのは半面だが、それでも学校の体育館では十分すぎるくらいだ。
床のワックスも塗りたてのように綺麗で、コートで選手が動く度にキュッと心地よい音が響く。
「いいとこだろ?」
武の言葉に大きく頷く。
「でもこれで第二ってことは、第一はもっと凄いのか?」
「いや、そんなことはない。実はこの体育館、もとは市の体育館だったらしい。取り壊しが決まってから学校が譲ってもらったんだと。で、改修工事をやって本格運用は今年から。そりゃ綺麗な訳さ」
「なるほどね」
武の説明に二人で頷く。
それなら学校の外にある理由も分かる。
「じゃあ、俺は練習に行かないといけないからこの辺で」
「おう。じっくり偵察させてもらうぜ」
「あまりの上手さにびっくりすんなよ」
そう言い残して武はチームメイトの所へ向かう。
一緒のチームで戦ってきた仲間と,今度は相手チームとして戦う。
どこか不思議な感じはするが,それが楽しみでもある。
「……早く戦ってみたいな」
「あぁ、その為にも部活を再開させないとな…」
早く戦ってみたい。
大地も同じように考えてくれていたことが嬉しかった。
その夢を実現させる為には、今はとにかく出来ることをやっていくしかない。
しばらくすると練習が始まった。
他校のジャージを着た俺たちがいても、誰も気に留めずに練習している。
どうやらただの見学か何かで偵察とは思われていないらしい。
実際やってるのは見学だし仕方ないか。
他の学校の練習風景は思っていた以上におもしろく、自分だったら…とつい色々と妄想してしまう。
基本のフットワークに始まり、四角パス、パスをもらってのレイアップシュート。
ここまではコートを広く使い、男女混合での練習。
シュート練習が終わると、今度はコートを半分に区切り、男女別に3対3などのゲーム形式の練習に移る。
まだ1年は基本練習期間中なのか、ゲーム形式の練習になるとコート外でパスやドリブルの練習をするらしい。
どれをとっても中学時代とは違う、密度の濃い練習だ。
こんなものを見せられては、体が疼いて仕方ない。
今すぐあの中に飛び込んで、コート中を走り回りたい気分だ。
大地も同じ気持ちなのか、固く握った拳を震わせている。
「――ねぇ、そこの君。そのジャージってもしかして霧ヶ原?」
「はい?!」
突然の声に驚き,慌ててそちらを向くと,そこにはバスケットボールを持った女子が立っていた。
「そうです…けど……」
その女子を見た瞬間、俺は目を疑った。
俺の目の遠近感が狂っていなければ、身長は俺と同じか少し低いくらい。
隣にいる大地と比べると全然低いはずだ。
にもかかわらず、思わず身構えてしまう程の雰囲気を醸し出していた。
「私はキャプテンの木ノ下愛美です。よろしく」
「木嶋、遥斗です。よろしくお願いします…」
「新巻大地です。よろしくお願いします」
存在感というか、威圧感が恐ろしいほど強い。
経験上、こういう選手ほどプレーも自己中で個人的にはあまり好きではないのだが、キャプテンを任されているということは実力もあるのだろう。
「今度練習試合をやることはもう知っていますね? その時はよろしくお願いします」
「あ、はい。よろしくお願いします」
「今日は偵察ですか? 弱い学校は大変ですね。
……まさか、あなたみたいな人をマネージャーにするなんて」
「なッ?!」
「ッ?!」
今なんて言った?
なんでこの人はもう俺がマネージャーをやってるって知っているんだ。
横にいる大地でさえ、マネージャーの事を知ったのはここに来る直前に俺が話したからだというのに。
訳も分からず混乱する俺をよそに、彼女の言葉は続く。
「去年まではそこそこ強かったみたいだけど、3年生がいなくなった今年からはそうはいかない。まずは今度の練習試合でそれを思い知らせてあげるから。偵察なんてしても無意味だろうけど、今日はせっかく来たんだからゆっくりしていってくださいね」
それだけ言って彼女は練習へと戻ってしまった。
誰から聞いたのかは知らないが、とにかく彼女は俺のことを知っていて、その上霧ヶ原の現状についても知っているらしい。
何者なんだ、いったい……
「…何か、不気味な人だな」
「…あぁ」
中学で一緒にやってきた女子にはいないタイプだ。
高校生はみんなあんな感じなのだろうか。
腹の探り合いとかは得意じゃないんだけどなぁ…
「とにかく、自由に見て行って良いって言うんだから、じっくり見てやろうぜ。その情報を先輩に渡せば、ハルもきっと認めてもらえるさ」
「そ、そうだな」
大地はこんな時でも前向きだった。
俺も負けてはいられない。
お望み通り、じっくり観察させてもらおう。
――とは言ったものの、数分後には二人して非常に居心地が悪くなっていた。
女子の練習を食い入るように見つめている男子二人。
これだけでも十分通報されるレベルだ。
しかもバスケは結構激しく動くスポーツなので、4月というのにコートの中の選手はしっとりと汗をかいている。
体に張り付くシャツは高校生らしい体のラインを浮き立たせ、ドリブルやシュートの度にその豊かに育った双丘を揺らす姿は、なんというか、その…
「なぁ大地。俺たち、犯罪者の階段を着実に上ってないか?」
「奇遇だな、ハル。俺もそう思ってきた所だよ」
二人で顔を見合わせ、がっくりとうなだれる。
――もう今日は帰ろう。
そう思って立ち上がった俺の足元に、何かがぶつかる感触。
見ると、ボールがてんてんと小さく跳ねていた。
手に取ってコートを見れば、一番近くにいた部員が手を振っていた。
コートから出たボールがここまで来てしまったのだろう。
ボールは少し古びているが、まだしっかりと表面の凹凸が残っていて良く手に馴染む。
中学卒業からこれまでろくにバスケができなかった上に、これからもどれだけやれるのかが分からない俺たちにとって、これはまたとないチャンスだった。
――いやいや,いったい何を考えてるんだ俺は
ぶんぶんと首を横に振って雑念を取り払う。
今は他の学校の練習中なんだ,邪魔をしちゃいけない。
そう言い聞かせてボールを投げ返そうと思った瞬間、意外な人物が声をあげた。
「良かったら、君たちも一緒にやらないか?」