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男子高校生のお遊びは過熱しやすい。人間なら誰だって楽しいことが好きだ。特に騒ぐのが好きで、およそ責任を背負う必要のない立場で、若さがあり余り、多少先を見通す能力に欠ける男子高校生は体育の時間など一つのレクリエーション以外の何物でもない。
「いくぞぉぉおおお!」
「ウォォオオオ!」
「勝つぞぉぉぉおおお!」
「ウォォオオオ!」
晴れた天気でいつもより気分が良い俺たちはテンションのあまり、円陣を組んで雄叫びを上げていた。今日の体育の授業で俺たちがやっているのはバスケットボールだ。
「ぶっ殺せぇぇえええ!」
「ウォォオオオ!」
バスケットボールだ。
概ね五人程度でチームを組み、体育館の半分を使って試合を行う。俺はマイケル、竹田、賢司、そして背が高くメガネを掛けている山下雄介、通称下さんのチームだ。
一通り雄叫びを上げたところで最初に冷静になったのは竹田だった。
「なぁ、バスケで殺せって何か違くね?」
至極当然な疑問と言える。しかしそんな疑問など男子高校生のテンションの前には些事に過ぎない。そもそもスポーツの経験者というのは限られているのだから、そんな俺たちの闘い方とは技術ではない。モチベーションなのだ。
ここで冷静になってしまうと後が心配だ。こいつのモチベーションを維持してやろう。
「お前それで良いと思ってんのか。向こうのチームの大沢、あいつお前のこと『賢司に似てるとこ多いよな』って言ってたぞ」
「なんだと!?生かしちゃおけねぇ!」
「俺に似てるの嫌なん!?」
全くの嘘だが俺のクラスの男子はこう言っておけばやる気が向上する。殺る気が。
コートの中心で下さんと相手チームの男子が向き合う。背の高い下さんはジャンプボールに最適だ。審判役の男子がボールを高く放り、二人が飛び上がった。ボールは下さんの右手に捕えられ、下さんの左後方、マイケルの手へと移る。
「うぉ!俺か!」
ボールを受け取ったマイケルはすかさず走り出す。俺は相手側リング付近へと急いだ。下さんはマイケルから遠ざかり過ぎず、いつでもパスを受け取れる位置を取り、竹田、賢司は更にその周囲へと広がった。マイケルから下さん、そして竹田か賢司を介して俺へと繋ぐ布陣だ。バスケの技術がない俺たちはパスで廻すしかない。
生徒が走り回って運動靴が床を叩きつける音が轟き、チームメイトが呼びかける声が響く。体育館上部にある窓から陽光が射し込み、空気中を舞う埃の存在を明らかにしている。
「へい!下さん!」
ディフェンスに阻まれたマイケルは下さんへとボールを投げた。受け取った下さんは駆け出すが、こちらも二人のディフェンスが現れ行く手を塞いでいるため、前進するのは困難だ。マイケルが駆け寄るがパスをカットしようと相手の男子が割り込み、竹田と俺はパスを受けるにはまだ遠い。ならば賢司は、コート外にいる女子と談笑していた。
「何してんだ賢司ィイ!」
「え?あ、ゴメーン!」
試合中に関係ない女子とお喋りとかアホか!アホだった!
ボールを易々と下さんから奪うと、相手チームは一斉に駆け出し、俺たちは慌てて後を追った。
男子高校生のお遊びは過熱し易い。故に檄もまた過激なものになり易いものだ。パスが出来なかったマイケルは大声で賢司を批難した。
「オイ賢司、つねるぞ!」
「どこを!?いやどこでもやめて!」
すかさず下さんもボールを手にした相手を追いながら脅迫に加わる。
「今度同じことしたら新品の紙でピッてやるからな!」
「それやろうと思ってやってみても思ったより出来なくね!?」
賢司に脅しをきかせている内に相手はほとんど独走状態となっていた。バスケ部員でもないのにドリブルも上手く、俺たちはまだ追いつけていない。きっと小学生時代に昼休みの時間をバスケに割いていたのだろう。
賢司が俺たちに追いついたところで竹田は真っ直ぐに賢司の目を見て告げた。
「死ね!」
「ヒドイ!」
賢司に似ているという評価が余程刺さったらしい。相手チームよりもずっと敵を見る眼をしている。これ以上竹田の心を苛ませるのはチームワークに悪影響を及ぼしかねないので真実を伝えておくことにしよう。
「竹田ー、賢司に似てるって言ったアレ、嘘だから」
竹田は足を止め、目を丸くして口をポカンと開ける。そして腰を折り、両手を膝につけ、溢れ出る感情を露わにした。
「良かった……!」
「俺に似てるのどんだけ嫌なん!?」
空気を震わせる竹田の声から、彼の心がどんな重みを感じていたのか、俺は痛烈に理解してしまう。そうか、こんなにも彼にとっては辛く、苦く、そして悲しい思いをさせてしまったのか。この責任は俺にある。そう思うと俺まで後悔で顔が歪んでしまう。だから彼の肩に手を置き、俺に出来る、精一杯の優しさ、温かみを込めて言った。
「分かるぞ、竹田……!」
「なんか余計俺が悪いっぽくなってない!?竹田に嘘言ったのお前だよね、ハル!」
細かいやつだな賢司。細かい男は彼女出来ないという統計結果が出ているのに。
しかしそんなことを言っている内にボールを持った男子はリング下から高く跳び上り、バックボードに当てる要領でボールをリングに通した。男子高校生がこれをやるのは大抵、カッコつけのためである。女子に良いとこ見せたいがためにやることなのだ。というより、小学生時代の昼休みをバスケに使っていた時点で既にカッコつけは始まっていたと言って良い。バスケが上手い男子はカッコいいという見解は男子と女子の意見が一致する数少ない例だろう。
見事ゴールを決めた相手チームは俺たちとは正反対に盛り上がっている。
「ウェェエエイ!」
お前らそのウェェエエエイ!ってなんなんだよ。類人猿に先祖返りしちゃってんじゃないの。腹立たしい。カッコつけてゴールを決めて更にウェェエエイ!なのが輪をかけて腹立たしい。
落下して寂しくバウンドしていたボールを捕獲して、俺はラインの外に出ると、仲間たちを振り返った。皆一様に俺を真っ直ぐ見つめている。仲間たちの顔に浮かぶのは幸先の悪いスタートを切ったことに対する不安、そして僅かな諦めの表情。当然だ。相手は小学生時代から研鑽を積んできた強敵。しかしこちらはてんで未経験のド素人だ。どう考えても勝ち目などあるはずがない。だが見せてやろう。俺がお前たちの希望であることをここに証明してやる。
俺は各自の立ち位置を思案顔で見定めながら、何気ない風を装ってボールを右手で持ち上げた。そしてクルリと手首を捻って反対の手でボールを弾いた。瞬間、相手チームに衝撃が走る。
「オイ、あいつ、」
「あぁ、ヤベェ……」
相手チームの目は総じて、俺の右手にあるボールへと注がれていた。
「あいつ……ボールを指に乗せてグルグルするやつやってやがる!マジヤベェ!」
「すげぇグルグルしてやがる!ハンパねぇよ!」
そうだろう、衝撃だろう。ものすっごいグルグルしてるだろう。俺だってバスケが上手い男子に少なからず憧れてきた男だ。全くの未経験というわけではないところを見せつけてやる。そしてこの俺の存在こそが、俺たちの希望であることを証明してやる。仲間たちの目に輝きが戻り、みるみる血が漲ってきたことが分かる。そうだろう、マイケル?
「オォォすげぇよハル!そんなこと出来んのかよ!」
お前も分かるだろう、竹田。希望とはなんであるか。それが今、どこに立っているのかを。
「ヤッベェ!めっちゃグルグルしてる!」
なぁ、下さん。バレーやってるからってバスケまで出来ると思われてきたお前はさぞや肩身の狭い思いをしてきたことだろう。もうそんな思いはしなくて良いんだ。理不尽な期待を寄せられるような思い、きっと苦しかったことだろう。俺がその重荷を代わりに背負ってやるよ。
「カッケェ!ハル超カッケェじゃん!」
賢司、確かにお前はアホなやつだ。だがその目玉までアホに侵されてはいまい。これは錯覚などではないのだから。紛れもなく、唯一つの真実を、今お前は目にしているはずだ。
「あ、ヤベ。靴紐解けてた。ごめんハル、ちょいタンマ!」
相手チームからは絶望の眼差しを、仲間たちからは希望の眼差しを受け止め、俺は暫し頭を垂れる。勝ちに行くのだ。俺たちは。敵の経験も、自信も吹っ飛ばして、逆境の壁を貫いて、勝利をこの手で掴んでやる。俺たちは諦めなんかしない!
「行くぞてめぇら!こいつらなんか叩き潰せぇ!」
「ウォォオオオ!」
「ごめん、もうちょっとタンマ!」
俺は両手に力を込めて、近くにいた下さん、その上方に向けてボールを投げた。背の高い下さんなら正面を遮る敵がいてもジャンプすれば簡単に取れる高さだ。投げた瞬間に、下さんの近くへと駆け寄る。目論見通り、跳び上がった下さんはボールを受け取り、パスを求めた俺にすかさず投げ渡す。バスケに求められるのは迅速な判断、そして実行だ。相手チームにピッタリ付かれているマイケルたちはまだパスを渡すには早い。対して走り続ける俺ならばいける。このままボールを敵のリングへと叩き込んでやる。
ドリブルをしながら相手と仲間の間をすり抜けて走る。もう少し、あとちょっとで辿り着く。高度なテクニックなんて必要ない。適度な距離をとって後はリングに向けて放るのみ。距離を見定め、力加減を計算し、脳にアドレナリンが溢れ出す。俺はボールをその手から、思い切りはたかれて奪われた。思わず声が出る。
「あはん!」
「あれ?ハル!?」
竹田の目が驚愕で見開かれた。ボールは敵に奪われマイケルが果敢に跳びかかるが躱される。下さんは戸惑いながらもパスをカットしようとするが僅かに届かない。賢司もシュートの邪魔をしようとしたがタイミングを外され、ゴールが決まってしまった。
「ウェェエエイ!」
相手はゴールに沸き、忌々しいウェェエエイ!の鳴き声を上げていたが、俺たちのチームには困惑が漂っている。
「えっと、あれ?さっきハルなんかすげぇ出来るオーラ出してなかった?」
竹田が俺を見てそう言った。表情に先程までの輝きがない。ただの竹田のようだ。言われた俺はニヒルな微笑を浮かべて顔を上げ、窓から射し込む陽光に目を細めた。
「俺な、指に乗せてグルグルするやつだけなら上手いんだ」
「それバスケ上手くねぇってことじゃん!俺たちの期待返せ!」
バスケやるやつは大概あのグルグルするやつが出来たものだ。そして俺はそれが出来ることに憧れていた。カッコ良くない?
仲間たちの希望の眼差しは今や絶望と憤りの眼差しへと変わり果てている。しかし期待など返しようがない。俺に返せるのは返事だけだ。
「仕方ねぇだろ。バスケの時間はグルグルするやつばっかり練習してたんだから」
「バスケ練習しろよ!」
スポーツものの漫画やアニメは男子高校生の青春ストーリーの典型例だろう。スポーツに向けた情熱、勝利を目指す努力、仲間たちとの友情。どれも美しく、誰もが称賛する要素を多分に詰め込んだ物語である。そして俺たちはスポーツにさほど興味が無く、努力をした覚えは無く、仲間たちとのチームワークも無い。つまり負けた。
グルグルするやつばっかり練習してた実話。