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「ごめんハル、教科書忘れちゃったから見せてもらっても良いかな?」
学生生活とは、青春である。漠然としたものではあるが、およそ多くの人々にとって一致するであろう見解と言える。しかし漠然としているが故に、人はどうでもいいことにすら青春というレッテルを貼り、意味を見出そうとしてしまう。特に男子はそれが顕著であろう。
「お、おぉ。良いぞ」
そんな男子であることが我ながら恥ずかしくてたまらないのだ俺は。中学生の頃だって、何度自分に言い聞かせてきたろうか。こんなことに大した意味など無いのだ、と。
若干俺は狼狽えながら生物の教科書を左に寄せて、机と椅子を綾目さんへと寄せた。
「ありがと」
そう感謝を示す彼女もまた、席を俺の方へと寄せた。いや、それは違う。俺に寄せたのではない。生物の教科書に寄せたのだ。おのれ、何か腹立つな生物の教科書。ニヤついてんじゃねぇよミトコンドリア。
特に何を話すでもなく、先生の声を聞き、黒板を写し、授業を受ける。ただそれだけなのに何でこう、何か、あの、緊張しちゃうかなー。なんなんだろうこの俺の動揺。待て、慌てるな俺。隣にいたのが俺だから彼女は俺に頼んだのだ。例えばこの席がアホの賢司のものならば彼女は賢司に頼んでいる。そうだとも、今回は偶然、俺がここにいたというだけだ。
しかし、女子がこれほど近くにいて何も話さないというのも、どうにも気まずさを感じてしまう。嘆かわしい男子の性よ。
彼女の方はどうだろう、とチラリと目を運ぶ。全く何も変わらない。先生の声を聞き、黒板を写し、授業を受けている。バカげた焦りを感じているのは俺だけだ。なんか、なんか悔しい……。いやどうでもいいそんなこと。さぁ!集中するんだ俺!学生の本分は勉強だからね!頑張って勉強しないとね!勉強大好き!
「ハル」
「えっ、あ、ハイ」
しまった。焦りを勘付かれたか。
「ページ次いったよ?」
「んおぉう、スマン」
慌ててページを捲った。ところで教科書に使われてる紙って触り心地が悪いよな。触れた爪に引っ掛かりを感じるというか。どうでもいいか。どうでもいいな。
「考え事?」
彼女は微笑を浮かべながら俺に話しかけてきた。こちらが気まずい思いをしているところに話しかけてくれるとは、この子、出来る女だな。ポニーテールだって完璧だし。
「あぁ、ちょっとな。青春について考えてた」
クスクス笑いながら俺の目を見る。
「何それ、ハルっていつも何考えてるか分かんない顔してるよ?」
「そりゃな、自分でも分かんねぇときあるし」
昔はそんな顔がカッコいいのだと思っていたものだ。クールで達観している雰囲気がある、と。そんな顔をしていても大してモテないことに気付いたのは中学二年の頃だったか。しかし長らく続けてきたことから脱却するのは簡単ではなく、今でもこの表情が抜けきらない。男子諸君は気を付けろ。クールがカッコいいのは漫画の中だけ。
もっと他に良いカッコつけ方を思いつかなかったのだろうか。思い出すほどに後悔の念が強くなり、頭を抱えてしまう。でもクールカッコいいじゃん?女の子ってなんで分かんないかな?
「ハルってさ」
「ふぁ?あ、ハイ」
「髪綺麗だよね?リンスとか使ってるの?」
おおう、いきなりそういうこと言うのやめてよマジで。胸がドッキドキしちゃうわ。
「いや、昔は使ってたけどな。最近はなんでかリンス使うと皮膚がヤバいことになるから使ってねぇんだ」
「へぇー、それでそんな綺麗なのって凄いね」
女子の訳分かんないのがこれだよ。唐突に男子の見た目を褒めちゃったりして気があるのかと思えばそうでもないとか歩く罠かよ。心に痛み止めは無いんだよ?
「そう言う君も相当綺麗な髪してるだろ。すげぇよそのポニーテール」
「何それ」とポニーなテールをとっとこ走るポニーのテールの様に揺らしながら彼女は笑った。
いや本当そのポニーテール凄いわ。なんでそんなピョンピョン跳ねるの。何で出来てるの。
「あっ」
小さな声を上げて彼女は手を止めた。
「ごめん、シャーペンの芯なくなっちゃったから貰って良い?」
もちろん良いとも。何本だってくれてやるとも。だから袖をチョンとつまんでチョンチョン引っ張らないでよ。胸がムズムズするわ。
あぁとかそんな感じの音を喉から出して答えると、一本だけでは心もとないだろうということで三本の芯を彼女に渡した。
手に取ると彼女はまた笑う。
「ハルっていつも気遣い上手で大人っぽいよね」
「お、おう」
一言一言がクリティカル!この子なんでこんなポンポンと出てくるかな?ちょっと嬉しくなるわ!
女子、という生き物は自覚が足りなさ過ぎる、というのが今までの人生で俺が得た教訓だ。彼女たちにとってはなんでもないことだが、しかし男子にとってはなんでもないことなどではないのだ。ちょっとした褒め言葉も軽いボディタッチも男子にとってはイベントと呼ぶに相応しい。女子はこの点を全く理解しておらず、こちらは無駄に胸をざわつかせるばかりで困ったものだ。
以前、女子たちがこの男子の勘違いについてお話しされているのを聞いたことがある。曰く、この程度で勘違いするとか男子ってバッカみたーい、と。
うっさいわ!
「なぁ、君はもしかして俺のことバカとか思ってたりしないか?」
「えぇ!?思ってないけど、どうしたのいきなり」
良かった。多分このポニーテールっ子に嫌われるのは結構傷付きそうだからな。
「いや、なんとなく女子って男子のこと全員バカだと思ってそうな気がしてな」
「流石にそれはないんじゃないかな。ハルのことバカって思ってる人はいないと思うよ?あ、でも賢司は思われてるかも」
賢司、男子への女子からの蔑視を一身に受け止めるとは、あいつ聖人か。
しかし確かにアホであることは言わずもがな、加えて勘違い度も男子の中でも一際、と言って良い。男子として同情せざるを得ない。
「まぁそれは賢司だから仕方ないな」
「それで説明付けちゃうの!?」
「なんせアホだからな。あそこまでアホなのは見たことないくらいだ。でもアホの方が人生は楽しいのかもしれないな。全くアホは羨ましいな」
「ハルって賢司に対してやたら厳しいね……」
俺は別に賢司のことは嫌いではない。表裏のないあいつの性格には逆に好感を持ってすらいる。友達だからこそ心にもないことだって言えるのだ。ただしアホは厄介だ。何故かあいつは他の人間と会話するのと比べると二倍時間がかかるのだから。
「別に厳しくなんかないぞ。公正中立に、真っ当な評価を下した結果だ」
「それは多分もっと酷いんじゃないかな?」
俺は悪くない。アホが悪い。しかし流石に言い過ぎたかもしれないな。少しぐらいはフォローしてやるべきだろう。俺は鬼ではないのだ。
「でもまぁアホでもあいつは良いやつだよな。一年の初めの頃とか、人見知りとかしないで話しかけてくれたりしたし。多分あいつの場合はアホだからできるんだろうな」
上出来じゃないか。下げはしたが、ちゃんと上げてやる。しかし上げ過ぎない。フォローのバランス感覚には一家言ある。
高校に入学した頃、というのは一つの試練と言える。同じ中学の同級生が入学してきても数は少なく、しかも友人とは限らない。人の輪の広げ方を知らない人間には別世界の入り口に等しい。そんなときは賢司の様に表裏がなく、他者と接するときに壁を作らない人間は救いになるものだ。
「賢司も言ってたよ?いつもクールで大人っぽくて、なんだかんだで優しいハルは凄ぇって。あたしもそう思う」
全くもって、女子は会話するときは細心の注意を払って言葉を選ぶべきだ。照れるじゃないか。
私としてはもっとギャグがやりたい。しかしこの子ギャグには使い辛いな。
やっぱり男同士の方が楽ですわ。