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俺が交通手段に電車を利用する理由はもう一つある。窓から景色を眺めるのがたまらなく好きだからだ。見えるものは毎日同じものだが、四季によってその様は大きく変わる。今、つまり春には所々に植えられた桜の木が満開の花を咲かせて町を彩る。近くを流れる用水路には既に散った桜の花弁が流れて水面に桜吹雪を描いていた。思わず声が漏れる。
「花見してぇな」
声を聞いた女子を証人にしたい系男子は顔をしかめて少し考えた表情を作ると俺にその顔を向けた。
「毎回疑問に思ってたんだけどさ、花見って何が楽しいの?」
え?何こいつ地球外から来たの?実に嘆かわしいことだ。こいつはそんなんで地球人を、日本人を気取っているのか。仕方ない。俺が完膚なきまでに論破してやらなければなるまい。
「何言ってんだ?いやーお前、まるで分ってねぇな?そんなんじゃ人生損するよ?そりゃ花見は楽しいだろ。ほら、あの……桜綺麗だし」
「何も伝わんねぇよ」
俺に向けたしかめっ面に更に薄ら笑いを浮かべてきた。こいつってこんな腹立つ顔してたんだな。しかし伝えられていないのは確かに俺が悪い。どうしよう、上手い言葉が見つからない。おそらく花見は多くの人が「楽しい」と考えているはずだが、いざ何が楽しいかを聞かれると中々難しい命題だ。花見イコール楽しいという単純な式が意識に定着してしまったせいで、花見をどういうプロセスで楽しく感じているかを疑問に思ったことがないからだろう。
しかめっ面系男子は更に踏み込んできた。
「桜綺麗っつってもさ、花じゃん?」
いやそれは俺にも伝わんないわ。男子高校生のこの論理性が一切感じられない口撃なんとかなんないの?
「花じゃんて、それはただ単にお前が花に興味ないだけだろ。そりゃお前に楽しめるわけねぇわ」
「いや、でもさ……だって、花じゃん?」
人のことは言えないがこいつも相当貧相な語彙力だ。男子高校生の会話は相手の会話レベルを正確に測れるかが常に問題として存在する。見誤れば相手に話は全く伝わらない。場合によってはお互いに伝わらない。だが今は伝えなければならない。俺が花見を守るんだ!
「あのな、世間一般じゃ桜を見ることを楽しむ人がたくさんいるだろ?それは要するに世間は桜を見ることに価値を見出してるってわけだ。お前一人が桜に興味ないってだけで花見がつまらないってことにはならないだろ?」
「いや桜が綺麗なのは分かるよ?でも桜以外にも綺麗な花あるだろ?なんで特別桜だけを持ち上げてる感じなの?」
こいつに彼女ができない理由ってこれじゃないだろうか。細かい。
「お前は本当に分かってないな、このしかめっ面系男子。そりゃ桜以外にも綺麗な花はいくらでもあるけどな、桜が特別視されるのは咲いてから散るまでの間隔が短いからだ。人はそこに他の花にはない儚さを見たんだよ。それに春って季節もあるな。出会いと別れの季節だからな。その時期にだけ咲いて、あっという間に散ってく桜に人は自分たちの境遇を重ねてんだ」
俺ってば分かってるー。そうだよこれが言いたかったんだ。かつて外国人は桜の花を美しいと感じる日本人の美意識を理解できなかったという。薄いピンク色など鮮やかな色になりきれていない、つまらない色である、と。しかし鮮やかな色だけが色ではない。開花時期の短さに加えて色もまた薄いというのは、より儚さを強調するエッセンスとなる。だから桜は美しい。これだけ言ってやればこいつもきっと理解できるだろう。
「そのさ、儚さってのが分かんないんだよ。なんで儚いことが良いの?」
彼女ができない理由をもう一つ見つけた。情緒が分からないとか、欧米人かこいつは。天パだし。
しかし、これもいざ聞かれると答えに困る。なぜか「儚さ」とは、言葉だけならば理屈抜きに美しさを感じてしまう。だが、誰だって豊かであること、楽しいことを求める。それが一つでも多く、一秒でも長く続く方が良いに決まっているはずなのだから、脆く、失われやすいというのは本来ネガティブな要素なのは間違いない。それなのに、なぜそれを美しいと感じてしまうのだろうか。答えに詰まった俺は屁理屈と理解していながら思いつきで答えることにした。
「人の夢と書いて儚いって言うだろ。逆に言えば儚いことこそ人の夢ってことだよ」
流石に無理があるか。そもそもこいつは情緒という概念を持たない。儚い桜を人生の寓意として捉えることができない人間なのだ。というより、男子高校生という生き物がほとんどそういうものなのだろう。これだから最近の若者は!きっとまた面倒くさいこと言ってくるのだろうな。
「あぁー」
合点がいったというリアクションだ。こいつ、納得しやがった……!持ち前の論理性の無さで俺の屁理屈に納得するとは。なんで筋道立てて話した時より屁理屈の方が物分かりが良いんだ。男子高校生というのは訳が分からない。
論理性足りてない系男子が納得したところで、丁度電車も俺の降車駅に到着した。一年経つが停車する際の慣性にはいまだ慣れずに身体が大きく揺られる。友人に別れの挨拶をして、同じ学校に通う生徒たちの流れに乗って電車を降りた。中には俺の後輩になったばかりの一年生もいる。友達百人できるかな、とか考えているのだろうか。しかしこの歳になれば友達が百人もいるなんて煩わしいだけだとすぐに理解できる。あるいは既に理解している者もいるかもしれない。
駅を出ると、学校へと続く道の脇に植えられている桜の木は、四方八方へと花を咲かせていた。つい最近まで灰色の空の下、冷たいアスファルトの上で小さな蕾しかついていない木がポツポツと佇んでいただけの寂しい道が、今や雲一つ無い、真っ青な空の下で煌びやかな衣装を身にまとった有名女優たちが一堂に会した場面のように華やかだ。学生の頭上にはさながら牡丹雪の如く花弁をゆっくりと、静かに降らしている。
ほら見ろ。やっぱり桜は美しいし花見も絶対楽しいに決まっている。なんだよ、俺は何も間違ってないじゃんか。