2、向こう側
扉の向こうには、少し狭い廊下があった。いくつかあった部屋に続くと思しき扉のうち、リトは奥から二番目の扉を引いて暦を手招いた。
「ここ、使っていいよ」
そこにはかわいらしいこじんまりとした部屋が広がっていた。しばらく誰も足を踏み入れていなかっただろうと予測できるくらい整頓されたこの部屋には、本堂と同じく埃一つ落ちていなかった。
「ちょっと前まで他のやつが使ってたんだけど、そいつ出て行ってから誰も使ってないんだよなー。あ、一応ここはきれいに掃除してあるから問題ねぇよ」
ちょっと前まで、というのが少し引っかかったが、それ以上に暦はあてがわれた部屋に魅入っていた。
それほどまでに、自分の好みだったのだ。
木でできたベッドに、カントリー風な机。床には薄いピンク色の絨毯が敷いてあり、その上にはちゃぶ台のような小さな机があった。もろに自分の好みだった。
「こんな部屋……いいんですか?」
「あ?別にいいって。僕以外に住んでないって言っただろ?部屋有り余ってんだよ。てかそんな気に入ったのか?」
少し異常なほど部屋を見入る暦に、不思議そうな目を向ける。暦はハッとして、リトに視線を戻す。
「はい、すごく私好みなので……」
暦はバツが悪そうに言う。彼女は気に入ったことや興味を持ったものが目の前にあると、つい熱中してしまう癖があった。
「気に入ってくれたんならいいんだけど……つかさ、さっきから僕日本語で話してるんだけど、あんた日本人だよな?」
そういえば、リトは暦に会った瞬間からずっと日本語で話をしていた。聞きなれた言語なので気にも留めていなかったが、今思えばここはフランス。金髪碧眼の少年が流暢な日本語を話しているなど、珍しいこと極まりないのだ。
「一応クウォーターです。日本人と、フランス人の……」
「通りで黒髪に緑の目なわけね。ちょっと不思議だってさ。現地住み?だったらフランス語の方が「日本語が良いです!!」
今までリトと話していた中で、暦は最も大きい声を出した―――――否、出してしまった。
「あ、すみません……ただ今はフランス語、聴きたくなくって……」
嫌でも自分の悪口を言っていた人たちを思い出すから……なんて、初対面のリトに言えるはずもなく、暦はただそれだけを述べた。どうしても今は、祖母が話す言語を聞いていたかった。なんだか落ち着くから……
「……分かった。じゃあしばらくは日本語で話しとくよ。日本語よくわかんねぇから、変になんの嫌なんだけどなぁ」
リトは渋々、といったような言葉だったが、口調はさしてイヤそうではなかった。むしろ、少し嬉しそうな表情をしていた。
「僕はそこの突き当りの部屋だから、何かあったら来いよ。ちなみに手洗い場は廊下出て左から二番目、飯とか食うのはその右隣、あと風呂場は……手洗い場の真正面のとこ。他何かあったら行って来いよ?」
他にも色々とリトは暦に言い、暦がすべてを覚えきれぬままリトは部屋を出て行ってしまった。