赤毛のアンを読みたくて
●場面一
小学6年生の山田花子はカップラーメンに熱湯を注ぎ、フタをしました。そして目覚まし時計を3分間にセットしました。こうしておけば本を読んでいても、カップラーメンを忘れる事はありません。
花子は小学校の図書室で借りてきた「赤毛のアン」をまた読もうとしていました。花子は「赤毛のアン」が大好きでした。もう何度も読んだのですが、何度読んでもおもしろくておもしろくて飽きないのです。
本を開いた花子は驚きました。なんと本の途中から最後までページが真っ白なのです!
「これはアン・シャーリーの身に、何か大変な事が起こったに違いないわ」
ウラと言う名前の少女が叫びました。ウラは花子の側にいつも一緒に居る少女です。花子も同感でした。
こうして花子はウラに導かれて「赤毛のアン」の世界に飛び込みました。
●場面二
「赤毛のアン」は第31章からページが真っ白になっていました。アンがグリン・ゲイブルスに引き取られてから3年後、クイーン学院の受験を1年後に控えた夏休みの部分です。
「赤毛のアン」を何度も読んでいる花子にはわかるのです。
けれども「赤毛のアン」の世界に飛び込んだ花子は、アヴォンリーの世界の美しさにすっかり心を奪われてしまい、アンをそっちのけで「恋人の小径」や「妖精の泉」、「ウィローミア」や「ヴィクトリア島」を心ゆくまで散歩して楽しんでしまいました。
そうしてようやく花子はアンに会う事が出来ました。
アンはグリン・ゲイブルス(緑の切妻屋根)の前に立っていました。
花子はアンにききました。
「どうして本が真っ白になったの?」
アンは答えました。
「あたし疲れ切ったの。少女から大人になるのがイヤになったの。あたしいつまでもグリン・ゲイブルスで暮したいの」
花子は驚きました。
「そんな事したら世界中の女の子が「赤毛のアン」を読めなくなるわ。お願いだから元気を出して」
「クイーン学院へ行くのは素晴らしい事よ。だけどマシュウ小父さんが死んでしまったり、マリラの目が悪くなってしまうのには耐えられないわ。
あたしはいつまでもマシュウ小父さんとマリラに愛されている少女のままでいたいの」
アンはグリン・ゲイブルスを愛しそうに見ました。そこにはマシュウ小父さんとマリラの気配がしました。
「ねぇ、それより、せっかく花子はこの世界に来たんだから、あたしと一緒に遊びましょうよ。あたしたち腹心の友になれるわ。
すぐにダイアナが来るし、ジェーン・アンドリュースやルビー・ギリスもやって来るわ。
あたし、花子をみんなに紹介するわ。みんなで大いに愉快に楽しみましょうよ!」
そこへステイシー先生が現れました。
ステイシー先生は言いました。
「あれは本物のアンじゃないわ」
そこへアラン夫人も現れました。
アラン夫人は言いました。
「あれは花子さんの側にいつも一緒に居る少女・ウラよ」
そうです!花子がアヴォンリーの世界の美しさにすっかり心を奪われてしまい、心ゆくまで散歩して楽しんでいる間に、花子の側にいつも一緒に居る少女・ウラがアンに化けていたのでした。
すっかりだまされていた花子は叫びました。
「あたしはだまされないわ。あんたはアンじゃないわ。ウラよ」
ウラは言いました。
「アンとウラは一心同体なのよ。花子とウラがそうであるよにね。アンや花子だけじゃないわ、世界中の女の子がウラと一心同体なのよ。生と死、光と影、明と暗がそうであるようにね。
アンが少女から大人になるのをイヤがったのも花子が願ったせいなのよ。ここは花子が願った世界なのよ?」
花子は叫びました。
「あたしはこんな世界を願っていないわ!」
「ウソばっかり。本当はどうなの? 花子はチビでデブでブスでアトピーでお父さんも居ないじゃないの。学校でもいじめられて。そんな花子に私の事をとやかく言う資格があるの?
花子のお母さんも昔は「赤毛のアン」を読んでいたのよ。花子より熱心なぐらいにね。それが今じゃどう?スーパーにフルタイムのパートで雇われて、一日中レジ打ちで疲れ切っているじゃないの。おまけに内引き疑惑までもたれて。
「赤毛のアン」をいくら読んでも何の役にも立たないのよ!
花子のお母さんも地元の大学を出て、希望に満ちた眼差しで東京の会社に就職したけれど、そこでどんな目にあったか教えてあげましょうか?
どうして花子にはお父さんが居ないのか。どうして花子のお母さんは東京から地元に帰って来て、独りで花子を産んだのか。どうして花子のおじいちゃんとおばあちゃんは、花子に会いたがらないのか。それを知ったら花子は驚くわよ」
花子は顔を真っ赤にして地団駄を踏んで、
「どうしてウラがそんな事を知っているのよ?!」
「世界中の女の子が「赤毛のアン」を夢中で読むけれど、その時「赤毛のアン」もまた世界中の女の子の心を夢中で読んでいるのよ。
自慢じゃないけれど「赤毛のアン」は世界的なロングベストセラーよ。日本中どこの本屋にも置いてあるわ。私は東京の本屋から花子のお母さんをじっと見ていたのよ」
ウラは勝ち誇った様子で繰り返しました。
「「赤毛のアン」をいくら読んでも何の役にも立たないのよ!」
ステイシー先生とアラン夫人が花子の肩にそれぞれ手をかけ、身をかがめながら花子の耳元で、
「ウラに負けてはいけないわ」
とささやき花子を励ましました。
花子は叫びました。
「そんな事ないわ。だって「赤毛のアン」が教えてくれたんですもの。人生は戦うだけの価値があるものだって。そしてその戦いはとても楽しいものだって!」
ウラは突然、無表情になりました。そして、
「ひとつだけ忠告しておくわ。表の面積が増すと裏の面積も増すのよ」
それだけ言うとウラは霧散消失してしまいました。
アラン夫人が言いました。
「花子さん、よくがんばりましたね。私達も花子さんと同じ年頃にウラと戦ったのよ。いいえ、今でもウラと戦っています」
ステイシー先生が言いました。
「さぁ、花子さんが会いたかった人が来ますよ」
花子がステイシー先生の指差した方を見るとアンが歩いてくるではありませんか。今度こそ本物のアン・シャーリーです。花子は思わず飛び上がって、手を叩いて喜んでしまいました。と同時にステイシー先生とアラン夫人は一歩後ろにさがると、消えてしまいました。花子のピンチを助ける役目を終えたのです。
アンは歩いて花子の目の前まで来ると言いました。
「あたし「お化けの森」を通り抜けようとしたんだけど、いくら歩いても同じ所をグルグル回って「お化けの森」から抜け出せなかったの。しまいには疲れ切って眠ってしまったの。だけど誰かのあたしを呼ぶ声が聴こえたから、目を閉じてその声だけを頼りに、声のする方へ、声のする方へと歩いたの。そうしたら「お化けの森」を抜け出せたの」
花子は笑顔で応えました。そしてアンに話し掛けようとしたその瞬間、突然、空から降って来るような大音量でベルが鳴り出しました!
●場面三
花子は驚いて机から体を起こしました。そしてあわてて目覚まし時計のベルを止めました。
花子はひどくお腹が空いていたので、大急ぎで湯気の立つアツアツのカップラーメンを食べはじめました。
「ただいま」
カップラーメンを食べている最中に、花子のお母さんが仕事から帰ってきました。
「おかえりなさい」
花子は何故かお母さんの顔を見る事が出来ずに返事をしました。
花子のお母さんは一向構わずに花子の側に置いてある「赤毛のアン」を見つけると、
「うわ~なつかしいわね!「赤毛のアン」ね。この本はお母さんも花子ぐらいの年によく読んだのよ」と言いました。
花子は思わず、
「知ってるよ」
と答えそうになりましたが、カップラーメンの汁と一緒にゴクリと飲み込んで黙っていました。
花子のお母さんは「赤毛のアン」を手に取り、なつかしそうにあちこちをペラペラと眺めていました。
花子の活躍のおかげで世界中の女の子がまた「赤毛のアン」を読めるようになったのです!
花子のお母さんは「赤毛のアン」から顔を上げると、
「いつも忙しくてカップラーメンばかりで悪かったわね。これからはできるだけお母さんが食事をつくるから」
と言いました。
花子は笑顔でお母さんの顔を見ながら、
「うん!」
と返事をしました。
●場面四
次の日、花子は小学校へ行きました。
蛇川美子が花子に近付いてきました。蛇川美子は美人で頭も良くてクラスの女子のリーダーです。
蛇川美子は花子に向かって、
「バイキンをまき散らさないでよね。私達、防護服を着なきゃならないじゃないの」
と意地悪を言いました。
蜂木良夫が花子に近付いてきました。蜂木良夫は毒舌でクラスのみんなを笑わせてばかりいる人気者です。
蜂木良夫は花子に向かって何も言いませんでした。その代わり両手・両足をひきつらせながら、クネクネカクカクと気持ちの悪い踊りをはじめました。クラスのみんなは大爆笑です。
花子は目を閉じてじっと想いました。
じっとアンとウラを想いました。
花子は目を開けると、蜂木良夫の金玉をおもいっきり蹴り上げました!
するとどうでしょう?
男の子の蜂木良夫が「エーン、エーン!」とその場にしゃがんで泣き出しました。
花子は蛇川美子の方を向くと、その顔をおもいっきり張り倒しました!
するとどうでしょう?
大人ぶった蛇川美子が「エーン、エーン!」とその場にしゃがんで泣き出しました。
花子はぐるりとクラス中を見渡しました。泣いているふたりを除いてみんな静まり返りました。
花子はゆうゆうと窓際の自分の席に座ると、窓の外を見上げました。
晴れた空には雲がひとつ浮かんでいました。
花子は、
「あの雲は時空を越えてグリン・ゲイブルスまで行くのかな?」
と思いました。
花子はランドセルから「赤毛のアン」を取り出すと、愛しそうにその表紙をながめました。
花子は次の休みにお母さんと一緒に「赤毛のアン」を読む約束をしたのです。
花子と花子のお母さんは声をそろえて言いました。
「赤毛のアンを読みたくて」
(おしまい 最終更新日22年05月26日)