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第二話 本物? 偽物?




 廊下の左右に立ち並ぶ何十人という使用人の数に、煌蘭はこっそりとため息をついた。


 こういうところはどこだってそうだ。表向きは従順な執事や女中のくせに、裏に回ると途端に下世話な奴らへと転じる。主に話題となるのは煌蘭のことなだけに、いっそのこと全員消えてくれないか、などと物騒なことまで考えている。これが少し前の神官のように正面から言って来るのならこちらも嫌みで返すのだが、周りでこそこそとそのくせあからさまに自分を見て内緒話されているのはいい気がしない。


「ようこそ、おいでくださいました。わたくしは、執事頭の(かん)と申します。奥で旦那様がお待ちです。こちらへどうぞ」


 煌蘭は浣の対応を見ておや、と思う。浣の目線は、常に嵐瑛に向いていた。


 ああ、そういうことか。


 合点がいった煌蘭は誰にもばれないようにほくそ笑んだ。









 屋敷の奥まったところに連れてこられた。何故か煌蘭はなるべく嵐瑛の隣に並ぶようにして歩く。決して前に出ないようにしているようだった。


「旦那様、封士連から封士様方がお越しになりました」

「入れ」


 その声は主人然としていてなかなか堂に入ったものだった。


 中に入ってまず目に入ったのは、豪勢ながらも品のある調度品の数々だった。その中央にあるソファに身を沈めていた男がゆっくりと立ち上がる。顔色は悪く、憔悴しきっている。目の光りもわずかにかげり、六十代半ばに見えた。


「これは封士殿。よくお越しくださった。私はこの家の主で瀏清信と言います」


 手を握られて思わず目を見開いた。自分の手と相手の顔を見比べる。口を開こうとすると横から強く足を踏まれ、別の声が割って入ってきたのでできなかった。


「私どもは封士連から派遣されました。私は(れい)(こう)解位(かいい)です。そして、こちらは私の師匠である、封位の(ふう)嵐瑛封士です。私どもは封士連には属しておりませんが、封士連瓏老師のお墨付きですので、もうご安心ください」


 いつもより低めの少年のような声を繕っている煌蘭に、嵐瑛は目を眇めた。


 一体どういうつもりだ。


 嵐瑛は声をかけようとしたが、頭に響いた声でかろうじて言葉を飲み込んだ。


『余計なことはしゃべるな。訳は後で話す。相槌だけ打っていろ』

『……わかった』


 煌蘭と嵐瑛はどうしてか脳内で会話出来る。煌蘭は最初こそ疎ましがって、嵐瑛のことを封印しに来たくらい嫌だったらしいが、今ではかなり便利なものとして互いに重宝している。だが、主に嵐瑛からの話しかけは無視される。


「さあ、お二人とも。どうぞ、こちらへおかけください」


 促されるまま二人はソファに座った。無駄にふかふかしているので、嵐瑛はあまり深く腰掛けなかったが、煌蘭は完全に深く座って落ち着いてしまっている。そして、器用に身を乗り出した。


「それで、ご依頼なのですが、魔物の封縛と言うことですが、詳しくお聞かせ願えますか?」


 煌蘭は運ばれてきた紅茶に軽く礼を言い、瀏に視線を戻す。瀏はソワソワと落ち着かないように指を組んだり解いたりしている。


「ええ……娘が……末の娘がどうも魔物に取り憑かれているようなんです」

「取り憑かれているのですか。魔物に? なぜわかるんです?」


 瀏はちらりと嵐瑛を見た。弟子である煌蘭が聞くのはお気に召さないようだ。


『嵐瑛、お前がしゃべらないのが気になるようだ』

『お前がしゃべるなといったんだろうが』

『いいから、何か言え』


 融通の利かない、と毒づいた煌蘭に、嵐瑛は一瞬非難の視線を向け、瀏に言った。


「えーっと……俺はあまり話すのが得意じゃない。煌……の質問に答えてくれ」


 瀏はその言葉にほっとした表情になった。

 その途端、隣でその成り行きを見守っていた煌蘭の気配が僅かに不機嫌なものになったのが判ったが、何故不機嫌になったかは判らなかった。








 煌蘭は普段から、子どもだから、女だからと侮られていた。一発で煌蘭が封士だと言うことを信じたものは数えるほどしかいない。本物の煌蘭はどこへ行っても、まず疑われるのに、偽物の嵐瑛はすんなりと受け入れられている。その事実に、煌蘭は気付かれない程度に唇を突き出した。はっきり言って気にくわなかったが、こうして別のやつを隠れ蓑にすれば、やっかいな嫌味や陰口からは解放されることに妥協して顔を作る。


「末の娘は蓮花と言うのですが少し変でして……」


 瀏は口ごもり、視線を泳がせた。


「変とは?」

「魔霊を信じて研究しているんです」


 魔霊とはまたずれた研究をしているものだ。そもそも、魔霊も精霊も信じて研究する物ではなく、実際にいるから研究するのだ。その研究対象は存在の有無ではなく、主にその霊力や魔力である。瀏はどうやら隣国の悪魔と魔霊を混同しているらしい。確かに、一時期魔霊は悪魔と呼ばれていた時もあるのでそれはやむを得ないことでもあるのかも知れない。


「失礼ですが、お嬢さんはおいくつですか」

「二十四です。おかげで嫁のもらい手もなく……。二人の姉も今出戻っていて、もしかしたらうちからは誰も嫁に出せないのではと……」


 はっきり言ってそう言う話はどうでもよかった。結婚相談所にでも行ってくれ。


「……魔物とはどのようなものですか?」

「よく知りません。でも、きっと蓮花を奪いに来たんです」


 もらってくれるなら、魔霊にでもやればいいのに。煌蘭はいっそそう言ってやりたかった。第一、魔霊は悪魔と違い取り憑いたり魂を喰ったりするような存在ではない。


「蓮花さんは、今、どんな様子ですか?」

「よくぼーっとして外を……主に川を見ているんです。魅入られたかのように。私は、娘が魔霊に魂を喰われてしまったのではないかと気が気でなくて……」


 そう語る瀏は僅かに怯えている。娘の魂が魔物に喰われてしまうのではないかと思っているにしては、その怯え方は少し違っているようだった。


「いつ頃からそんな様子なんですか?」

「二ヶ月ほど前でしょうか」

「今日は、娘さんは?」

「姉二人に連れ出してもらって、二泊三日の小旅行に出かけています」

「いつご帰宅なされますか?」

「明日の夜頃には」


 ならば、魔霊もまだ戻ってはいまい。魔霊なのだとしたら、魔霊は常に主の声が届く範囲にいるはずだからだ。


「そうですか。わかりました。全力を以て対処させていただきます」


 煌蘭が言うと、瀏は安心したような、どこか落胆したような微妙な顔で深く頭を下げた。









 (あて)がわれた部屋に入って煌蘭が鍵をかけるのを見届けると、早速どういうことだ、と嵐瑛は詰め寄った。


「だって、みんなお前の方が封士だと思っていただろう? わざわざ説明するのは面倒だし、嫌がらせも減るだろうしな」

「……どっちかって言うと、後者が本音だろ」

「もちろん」


 全く悪怯れていない煌蘭に嵐瑛はため息をつくと、二つ並んだ寝台に腰掛け煌蘭と向き合う。


「それで? これからどうするんだ?」


 煌蘭はああ、と一つ頷いて手甲に付いている、封珠の上だけを切り取ったような直径五センチの装飾から封珠を一つ取り出した。


「とりあえず、これからはこれをしていてくれ」

「これは?」


 うっすらと赤みがかった透明な封珠だ。煌蘭の無色透明な封珠とは違う。火の封珠、と言うには、いささか透明度が高すぎるし、前に見せてもらった火の封珠とも異なっている。あれは火が火の形のまま封じられていた。


 嵐瑛はそっとそれをつまみ上げた。すっと、体の中を何かが通り抜けるような感覚に、眉をひそめる。


「そのまま風を出してみろ」


 言われるがままに風を出そうとしてみる。しかし、吐息ほどの風すら起きなかった。風が出せないのではなく、力自体が感じられない。


「それをこっちに。もう一度やってみろ」


 煌蘭に封珠を返して風を起こすと、今度はきちんとそよ風が吹いた。嵐瑛はおそらくその原因となったであろう封珠を見つめた。煌蘭はそれに満足したように笑みを浮かべている。


「これはこれまでの封珠とは違い、完全に力を出せなくさせるんだ」

「……そんなことが可能なのか? だが、以前は……」


 今もまだ嵐瑛が身につけている、細いガラス棒が絡み合って球体を作ったような封珠は、つけた当初はただ力を無効化してしまうだけだった。今は、煌蘭が何の術もかけていないので単なる奇形の封珠である。


 今回の封珠は、無効化する以前に力を完全に封じてしまっているから力を出せないのだ、と煌蘭は言う。


「以前は、まだお前の力を受け流すだけだった」


 言葉を切りにやりと笑う。


「これはその後開発したんだ。その試作にお前も立ち会っているぞ」

「は?」


 じっと赤い透明な封珠を見つめる。煌蘭に会ってからの記憶をたぐり寄せた。


 赤い封珠……赤い……そう、まるで、水に溶けた血液のような……。


「まさか、あの時のか?」


 あの時は一体何をしていたときだったか。なんだか力強い鋸の音が響いていた気がする。








   *           *            *








 ギーギーと音を鳴らしているのは巨大な封珠だ。楔のように固定された後、恐ろしく鋭い鋸によって切断されようとしている。


「……それ、切れるのか?」


 封縛のことに詳しいというわけではないが、封珠を物理的に切断するなど聞いたこともない。


「切れる切れる。封力を調整してやれば大丈夫だ」


 そんなことするのはこいつだけなんだろうなぁ……と嵐瑛は彼方へと遠い目を向けた。


「あ……」


 まるで何か思いだしたというような声の上げ方に、嵐瑛は気怠げにそちらに目を向けた。


「あ? ……煌蘭、どうした一体!?」


 嵐瑛は真っ赤な鮮血に目を見張る。血の鉄臭さが鼻を突いた。風の精霊は匂いには敏感なのだ。嵐瑛は慌てて、流れ出る血を興味深げに見ている煌蘭の左手を高く掲げた。


「手切った」

「切ったって、見りゃわかる。なんか尋常じゃない流れ方してるぞ。ボタボタ流れてるだろうが。痛くないのか?」


 見ている方が痛くなるようで嵐瑛は思わず顔をしかめるが、煌蘭は平然と流れていく血を見ていた。予想を裏切らず、煌蘭は血にも強い。これでキャーキャー言ったらもっと可愛げもあろうに、全く平気そうだ。いや、確かに煌蘭がこんなことでキャーキャー言っていたら引くけれど。


「熱い感じ。まだ痛くない」


 実感がないのだろうか。


「じゃあ、痛くなる前に、この前みたいにさっさと治せ」


 便利な癒しの封珠があるのだから、病院に連れて行くまでもないだろう。それに、今は封士領の郊外にある煌蘭の家なので、街の中心部からは少し遠い。封士連に来てからずっと嵐瑛は封士連本部を中心としてふらふらしていたのだが、たまたまちょっと手を貸せ、と煌蘭の家に引っ張っていかれた。煌蘭の家の場所は知っていたが、入ったのは初めてだった。


「ああ。だが、その前にちょっとやってみたかったんだ」


 何を? と聞くよりも煌蘭の行動の方が早かった。


(ばく)

「は?」


 煌蘭の掌の上の、拳大ほどの大きさの封珠の中では、縛された血液がふよふよと浮いていた。


「できた。血入り封珠」


 煌蘭は嬉しそうだ。先ほどからじっと血を見ていたのもきっとこれを考えていたのだろう。


「……で? どうするんだ? それ」

「……輸血に役立てるとか」

「外気に触れた血液をか?」


 煌蘭は黙ってしまう。特に何も考えず、やってみたかっただけらしい。


 嵐瑛はある意味命を封じてしまっている封珠を見てなんだか複雑な気分になった。


 自分たち精霊は傷ついたからと言って血が流れ出たりはしない。けれど、自分を構成するものがそこから流れ出してしまうのだ。嵐瑛なら、風が出ていくことになる。だから、精霊も、いわゆる出血多量のような状態で形が保てなくなり、死ぬことになる。


「……怖いから、その封珠はやめておけ」









  *           *          *








 その後、痛くなってきたという煌蘭のせいで話は有耶無耶になってしまったが、まだやめていなかったのか。


「そう。あの時のやつの改良版だ。水や火などの力は封珠に入れると封力と混ざるから解放したときに力が弱まると言っただろう? 今度はその逆の発想だ。血と封力を混ぜて、封珠を強くする」


 そうしてできたのがこれらしい。


「通常の何も封じられていない封珠のおよそ五倍の封力が込められている。今まで編み出した封珠の中で二番目に強い」


 煌蘭はもう一度嵐瑛の手の上に封珠を乗せる。やはり何か抜ける感覚がある。力が押さえられたのではなく、消えたのだと言ってもいいだろう。けれど、全く不快ではない。しかし、これで二番目に強い封珠だというのだから、一番目はどんなものなのか。想像も出来ない。二番目でこうなのだから、一番目に触れたらどうなってしまうのだろう。


「どうして今これを?」

「相手が本当に魔霊だとしたら、絶対にお前の正体に気付く。お前の精霊としての力でな。その封珠を身につけていれば、お前の力はばれないし、感じるのは私の封力の方だろう。むしろ、封士として潜入することになっているのだから、その方が好都合だ。前の封珠だけでも封じられることは封じられるからな」


 言いながら今度は淡紅色の封紐を取り出した。恐らく、その紐にも煌蘭の血が練り込まれているのだろう。何だか恐ろしい。煌蘭はその紐を封珠に何度か巻いて握り込んだ。手を開くと封珠が紐と一体化している。境目が判然としないのは、透明から半透明へと徐々に変化していっているからだ。


 煌蘭がそれを嵐瑛の首にかけようとすると、嵐瑛は待て、と煌蘭の手を止めた。


「また勝手に外すと首が締まったりするのか?」


 一瞬きょとんとした煌蘭だったが、意味が判ると声を上げて笑った。


「ないない。やろうと思えばできるが、今回はそんなことしない。外したいときにはいつだって外せるぞ?」


 そのやろうと思えばできるが、と言うところが、非常に気になるところだ。


 試しにつけて見ろ、と言う煌蘭に従ってつけてみる。やはり何か通り抜ける。力が押さえつけられる感覚ではなく、通り抜けるのはなぜだ?

 今度は外してみる。締まったらどうしようか、とも思うが、やってみないとわからない。


「本当だ……」


 するり、となんの反発もなく外れた。


「ただ一つ、難点は持っている限り力を封じるから、完全にそれから手を離さないと力は使えない」


 確かに、紐の部分を持っているだけなのに、力は封じられたままだ。


「ああ。気をつける」


 嵐瑛の胸の上で、かちりと小さく、二つの封珠がぶつかり合った。





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