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序章

このお話は、封縛記シリーズの二作目です。一作目を呼んでいないと全く判らないということはありませんが、物語の舞台及び世界観を理解していただくため、そちらを読まれることをお勧めします。



 低く呟く声が段々と高くなっていく。唱え始めた時は、決して大きな声ではなかったのに、呪文が終わる頃には声高に叫んでいた。


 じっとりと掌には汗を掻いている。額からも汗がしたたり、顎に流れて玉になって落ちた。ぽたりとやけに大きく聞こえたような気がして身を竦ませた。


 薄暗い部屋の中に複雑な幾何学模様の陣が浮き上がる。凄絶な赤い光が部屋を包み込むと、大小二つの人影が浮かび上がった。


《我の眠りを覚ましたのはお前か?》


 陣から現れた大きな影は陣のすぐ側に立ちすくむ小さな影をひたと見据えた。


「そ、そうよ。わたしが今日からあなたの(あるじ)


 恐ろしく怪しい影に、小さな影は震えながらも毅然と答える。けれど、大きな影はただ鼻で笑っただけで、何の感情もない瞳で小さな影を見下ろした。


《人間風情が我を従えるだと?》


 赤い血のような目が凄絶に光った。部屋を満たした光と同じ色だ。小さな影はその視線に意識の全てを持って行かれそうになるのをどうにか堪え、大きな影を見上げた。


 それを見て、大きな影は僅かに目を見張る。今までこの視線に耐えられた者は決して多くはない。


《ほう……なかなかいい目をしている》


 真っ直ぐな青い目は僅かに潤んでいる。口元はキュッと結ばれ、泣くまいと強く大きな影を睨み付ける。


「あ、あなたを呼び出したのはわたしよ。わたしの命令に従いなさい」


 恐怖で震え、うわずる声が泣きたくなるくらい情けなかったが、ここで泣いてしまえば、負けてしまう。


 大きな影はゆっくりと小さな影に近づくと、その顎を片手で掴み、グッと顔を近付ける。小さな影はへたり込みそうになるのを我慢して負けじと大きな影を見た。


 見た目は人と変わらない。いや、人よりもずっと美しい顔立ちだ。何よりも、その目に惑わされそうになる。意識を奪われそうになる。強く握った掌に爪が食い込む痛みがなければ、あっという間に我を忘れてこの大きな影に従ってしまいそうだ。それほどギリギリの賭けをしていた。


「わたしに、従いなさい」


 小さい影の目に更に力が込められる。強いはっきりとした口調で言えた事に小さい影は内心で安堵した。大きな影はそれを見てクッと口の端を上げた。


《何の力もない小娘よ。お前に何故我を呼び出すことができたのかは知らぬ。だが、面白い。従おう。もしお前が、万が一、一つでも我を退屈させることがあれば、その命、すぐにでも消し去ってくれよう》


 大きな影はそのまま小さな影に覆い被さると、契約の印にその唇に口づけを落とした。


 激しい風が吹く。小さな影の長いブロンドの髪を吹き上げる。小さな影は大きな目を更に見開いて、ゼロ距離で大きな影の持つ真っ赤な目を見た。


 吸い込まれそうだ。大きな影の漆黒の瞳孔の中に吸い込まれそう。そうして、後戻りできなくなりそうな予感に小さく震えた。


 どれほどの時間、そうしていただろうか。ただ触れるだけの口づけなのに深く口づけされるよりも苦しかった。息をするのを忘れていたのかもしれない。魂を抜き取られてしまったのかもしれない。瞬きすら忘れていた。


 ああ、駄目だ。従えると言って、従えられているのは自分の方だ。


《小娘よ。名は何という》


 大きな影は笑みを含んだ声で小さな影に問う。いつの間にか抱きしめられていた。


「……蓮花(れんか)


《我は洙泱(しゅおう)。水に住まう魔霊だ。我に用がある時はいつでも呼べ。呼べば必ずお前の元に現れる。蓮花》


 もう一度小さく口づけを落として魔霊の姿はかき消えた。


 駄目だ。どうしよう。魔霊を捕らえたつもりだったのに、魔霊に捕らえられたのかもしれない。


 蓮花は光の収まった薄暗い部屋に座り込んだ。

 そっと、唇に触れる。まだ、口づけされているような感覚。


「魔霊のくせに……何するのよ……」


 蓮花は顔を真っ赤にしたまま、暫くその場から動けずにいた。






   *               *             *






 助けて……助けて……


 怖い、怖いよ

 誰か、助けて……


 ねえ、誰か……誰か……


 助けて……

 あたしを……


 ここから、助けて……





   *               *             *


 夏の風と夏の太陽を感じながら、彼は封士連の中をフラリと歩いていた。


 立秋まで目前という夏真っ盛りの日差しの中を、蝉の声を聞きながら漂うように流れていた。


 精霊である嵐瑛(らんえい)にとって、暑さや日差しなど何の影響もない。日焼けをするということもないし、汗を掻くということもない。至極、涼しげな顔だ。


 主から、執務室には来るな、と言われているので、主が外に出てくるまでは大層暇だった。

 最初は、精霊が封士連内をふらふらしていることに慣れなかった封士達も、最近では嵐瑛がどこを歩いていようと、あまり気にしなくなった。時々、女子封士が頬を染めながら走り去っていく程度だ。


「っと、そこにいるのは、老師の精霊じゃね?」


 ぽんと、投げるように放たれた言葉に、嵐瑛は後ろを向いた。なんだか、土建屋の兄ちゃんのような雰囲気の男が立っていた。それでダメなら、武人然とした雰囲気の男といってもいいが、それにしては少し軽い。


 年は二十代半ばから後半ほど。明るい茶の髪に、オレンジ色の瞳がなんだか好奇心でいっぱいになっている。


 着ている衣服は、恐らく封士の服だ。だらしなく前は半分ほどはだけていて、ズボンも膝までまくられている。袖は言うまでもなく肩まで引き上げられ、たすきのようなもので落ちないように止められていた。


 首には汗が流れ落ち、肩からはタオルが下がっていた。

 パタパタと団扇で仰ぎ、屈託のない笑みを浮かべながらやってくる。かつて、自分にここまで愛想よく近づいてきた封士はいない。みんなどこか恐れたような顔をするのが普通だった。


「あっちぃなぁ」


 日差しに目を細めて、嵐瑛の座る長椅子に腰を下ろした。


「蝉はうるせぇし。泣くのは構わねえけど、もうちょっと小さく泣きゃまだマシなのに」


 一体何をしに来たのだろう、とじっと観察していると、ニッと笑ってこちらを見た。


煌蘭(こうらん)と一緒にいるの楽しいだろ」


 呼び捨てにしたことにハッとした。煌蘭の正体はここでは隠されているのだ。誰でも平気で呼び捨てにはできない。


「飽きねえんだよなぁ。大変なんだけどさ」


 男は、嵐瑛の驚きなど全く気にせずに、クツクツと笑っていた。その笑みは、どこか煌蘭にも通じるところがあって、自然と視線が強くなっていった。


「はは。んな目して見んなよ」

「部長! どこにいるんですか! 休憩時間はとっくに終わりましたよ!」


 どこからともなく叫び声が聞こえてくる。燈夜は、それをのけぞるように聞くと、しゃぁねえなぁ。と苦笑した。


「んじゃ。オレ行くから。またな」


 団扇をひらひらと降って、去って行ってしまった。

 なんて一方的なんだろうと、嵐瑛は瞠目して、その背中が見えなくなるまでその姿を見送ってしまった。


「らーんえい!」


 呼び声が掛かる。ふと上を見ると、人が一人飛び降りてきた。それを、危なげなく受け止めて、嵐瑛は深くため息を吐いた。


「お前は……妙な登場の仕方をするんじゃない」

「お前がぼうっとしていたから、ちょっとカツを入れてやろうと思っただけじゃないか」


 にぃと、フードの下で煌蘭は笑うと、地面にストンと降りた。


 小柄な彼女は、嵐瑛の胸より少し上の高さまでしか身長がない。しかも、とても軽い。一体何がつまっているのだろうかと、時々不思議に思った。いや、血肉骨内蔵だとは判っているがそんな事ではなく。


「単に、煌蘭が動きたいだけだろ」

「肩が凝るからな。それより、さっき誰かと話してなかったか?」

「話していたというか、一方的に話しかけられていたというか」


 きょとん、と煌蘭が首を傾げた。


「誰だ?」

「さあ。名乗りもしなかったから。ただ、お前のことを煌蘭って呼び捨てにしてたな」

「あー。はいはい。うん。判った。あいつか。了解した。気にするな」


 気にするなと言われる方が気になる。嵐瑛は、あれは誰なんだと、声を掛けようとした。


「嵐瑛。暑いから日陰行こう。日陰。お前はいいかもしれないが、私は普通の人間だ」

「……普通? お前が?」

「殴るぞ?」


 フードの下から見える口元は笑っているのに、その放つ空気は剣呑で、それだけで十分涼しくなれるだろう? と思ったが、思うだけに留めておいた。


 触らぬ神に祟り無し、触らぬ煌蘭に拳無し。である。





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