1-8.回転する人々
彼らの神々はどこにいるか、
彼らの頼みとした岩はどこにあるか。
彼らの犠牲のあぶらを食い、
灌祭の酒を飲んだ者はどこにいるか。
立ちあがってあなたがたを助けさせよ、
あなたがたを守らせよ。
今見よ、わたしこそは彼である。
わたしのほかに神はない。
わたしは殺し、また生かし、
傷つけ、またいやす。
わたしの手から救い出しうるものはない。
わたしは天にむかい手をあげて誓う、
わたしは永遠に生きる。
(申命記第三十二章より)
少し言い遅れたが、ぼくの大学入学と同時に、国民劇場のオペラ・シーズンが終わった。
絶望していたそのときには、これでやっとモーツァルトの音楽から逃れられると思った。もうぼくには何も無い、彼女さえも無いのだと思っていたから、このまま素晴らし過ぎるものとは無関係になれればと。
それが、また芸術に目覚め、闘い始めた今、もう日にちがずいぶん経っているにも関わらず、それらの音楽たちが舞台を失った悲しみをぼくに訴え始めた。つまり、その一音一音がぼくの頭の中でやたらと鳴り響くようになったのだ。そのたびになんらかの覇気が湧き出すのだが……。
「いや」
ある日、疲れ果てたぼくは自分の覇気に対して首を横に振った。また弱気になっていた。そして、そんな自分の弱さにホッとしていた。ぼくはまだ独りじゃない。世界人口分の仲間がいる。
なんだと? 何を思っているのか? ぼくはいったい何をしている? こんなくだらない自分がまだ居たのか。これではまるで幸せにふやけた者たちのようだ。
実態は、このところ、どこへ出向いても闘いに明け暮れていた。独りで闇雲に叫んでいた昔と比べれば信じられないような毎日には違いない。今は喜びと傷が半々だ。相手に手応えがあり充実感に血肉が滾っているかの如く。
それでも、なおかつ続くこの激しい孤独感はなんなのだ?
こればかりは、これについてだけは、動く死人だったときの方がまだマシだったような気がする。あの頃は誰に対しても一線を引いていた。つまり愛していなかった。
今はこんなにも愛してしまっている。だからあの頃よりもずっと敏感なのだ。そうだ、ぼくを求めているかのように振る舞う連中も、決してそうではない。彼らが求めているのは、気の利いた演奏か、革命的な話であって、ぼくではないのだから。
どんなに語り合っても、ぼくはやっぱりたった独りだ。それなのに最近はそんな自分の姿すら見失ってしまっている。気付かぬうちに、彼らに合わせて形作られたのか。
こんなことではいけない。ぼくはもっとちゃんとした人間にならなければ。
……しかしどうやって?
自分を信じることさえも、これといった何を行うこともできてないぼくには、ほど遠い。モーツァルトのように、全身で立ち向かうには、ぼくはまだ不完全過ぎるのだ。それだけの真実をまだ見出していない。嘘を語るまいとしても、語った端から偽りにからまっていく。これでは自分と周囲を騙すことにしかなっていない。
この日ぼくは、どうしても大学に行く気になれず、朝から「ツェーアガルテン」というレストランに行った。そこは書店も兼ねていて、飲食をしながら好きなだけ本が読めるため、学問を愛する者はたいていここに集まって思想を語り合った。ぼくもそうした連中と同様、わりと頻繁にここに来ていた。
席に座って珈琲を飲む。手に取った新聞を読みもせず、周りを見渡す。ここでも大学と同じような人間模様が展開されている。
冷静になればなるほど、いろんなものが見えてくる。主張する人間の愚かしさに嫌気がさしてくる。
「今はもう誰も彼もが信じて疑っていない。猫も杓子も口をそろえて言う。この明らかに間違っている世界がもうじき終わると。もうじき理想が現実になると」
今日もあるグループが革命を語っている。
理想が現実になる? いや、この二つが一致することは永遠にないと、誰かが言っていた。そうだ、モーツァルトだ。
彼女の言う通りだ。これからどんなに良い時代が来ようと、理想は常に現実より一ランク上の世界であり続けるだろう。どんな過程を経て現在があるのかは知らないが、いつだって完全に到達したいという思いにかられた理想主義者たちが、理想を描き続け、それを達成しようと働き続けてきた。そういう意味で、現在とは、これまでで最上の世界ということになる。
だが、たとえば今を考えてみよう。この世が間違っていると叫んでいるのは、大部分が平民だ。税金を巻き上げられる不平等を嘆いているのは、自分が不幸な者たちだ。
どこかに幸せな世界はないものかと、不幸な人間はその不幸さゆえに疑問を持つ。決してあり得ない、と幸せな奴らだけが固く信じている。そんな奴らのお手製の鎖が我々を縛り付け、ここまで追いつめた。
だが、それも無理のないことではないか? どんな者でも、当たり前のことを嘆きはしない。
すべての人間がどんな不幸も当たり前のこととして受け止めることができれば、革命もあり得なかっただろう。だが、そんなに受け止められない、他人のわがままを。そんなに愛せない、自分を虐げる者たちを。貴族は我々を愛さず、我々も貴族を愛さなかった。だから滅ぼすのだ。
みんな誰かに愛されたがる。相手を受け止めるより、自分を受け止めてほしいと願う。そうだ、自分たちが受け止めることができなかったものを、今度は相手に受け止めさせるというだけの話なのだ、この革命は。
とすると、人間の弱さこそが全体的な向上を促すということか。互いに欠落を攻め合い、甘え合うことが。不幸な人間の心に生まれた理想は、幸せな人間を滅ぼしていく。そのようにして、これからも時代は改善し続けるだろう。この革命も、そうした人類の愚かしい歴史の一頁に過ぎないのだ。
「どうしたの? ルイ」
前々からずっと気になっている娘、ヴィルヘルミーネ・ヴェスターホルトが声をかけてきた。ぼくはついにレストランからも遠ざかって、ライン川のほとりで一人寝転がっていた。
「ぼくなんかと一緒にいると、またひやかされるぞ」
とぼくは彼女を見もせずに言った。
「いいわ、そんなこと、気にしないわ」
彼女は優しい口調で言う。
「あなたが気になるなら、向こうに行くけど」
「いや」
と言いながらも、これまでさんざん浴びせかけられたひやかしの声や噂話を思い出す。それはひどいものだった。
ぼくはいい。だが彼女が……。彼女はこれから良家の男と縁組をしなければならない身だ。彼女はとても魅力的で、どんな男も恋をせずにはいられないような愛らしい少女だった。たとえば、少年が理想の恋人を思い描くとき、多くの確率でその夢の中の少女はちょうど彼女のような風貌だろう。だから彼女に出会うと、たいていの者は夢が現実になったかのような錯覚に陥る。二人は出会うべくして出会ったのだと……。ぼくも一歩間違えば、そういう連中の仲間になりかけた。彼女と初めて会ったとき、少しとは言えないほどときめいた事実もある。
ウィーンの恋で一度は完全に打ち消された想いだったが、あれからあとも、彼女は相変わらずぼくの理想の女の子のままだ。今回、まだ自分を取り戻せないでいた頃、もう一度ときめいて、動く死人だったぼくにとっては一点の灯火ともなってくれた。目と目が合うだけで、いたたまれなくなってしまうから、彼女の姿を見ないようにするしかなかった。その後、少しばかり自分を取り直した今も、彼女に対する気持ちは変わらず、また悲しいことに……立場も変わらず、うまく気のない振りをし続けている。
そんなことを何もかも見通したかのような世間の噂が耳に痛い。そして、今まさにぼくは何かに逃げたい欲望にかられていたところなのだ。彼女をその逃げ場にしてしまいそうで怖かった。
「悪いが、今は一人にしておいてくれ」
ぼくは冷たく言い放った。すると彼女はそっと立ち上がり、去っていってしまう。これでいいんだ。彼女を汚したくない。
いや、綺麗事だ。不自然なまでの極端な抑制もすべては自分の弱さのためだ。本当は逃げたい。逃げたくてならない。そしてそんな欲望から自分を守りたいだけだ。
二年前、理想を捨てたとき、虚しさも紛れてしまうほど楽な気持ちになったのを覚えている。幸せになるというのは案外簡単なものだった。考え方一つで難なく開かれる。ことに集団や生活に逃げ込めば、自分自身が生まれながらに背負っている使命をごまかすことも可能なのだ。いや、可能と言うより、いともたやすく失われてしまうと言った方がいい。
不幸は瞬く間に消え去ってしまうものだった。ほんのわずかでも幸せらしいものがそばにあれば、それが逃げ場になる。
単純に見て、幸せへの扉を開ける人が多いのは当然だ。周囲も最大の思いやりをもってそう仕向けるだろう。その方がお互いに楽だからだ。
それで、ぼくはいったい何をしているのだろう。少し疲れると、また何もかも捨ててしまいたくなる。一度楽に流されて味を占めたのか、屈する癖が付いてしまった。闘争心さえ起こさなければ安らかにいられるからと、どうにか避けていればなんとか日々を暮らしていけるからと、追いつめられるまでこうして怠惰に過ごすのか。後押しがないと何もできない甘ったれた子供のようだ。
ルートヴィヒよ。闘わないなら、さっさと死ぬがいい。生きるなら早く勇み立て。いつまでこの宙ぶらりんの心地よさの中で遊んでいるのか。革命を信じて疑わない彼らを見習うがいい。彼らは自分たちの落ち度を責められて逆上し、相手の同じ落ち度を責め始めた。ぼくのように自分の内で密かに自分の不完全さを責めるよりも、彼らのように大っぴらにした方が、全地上の発展につながるのだ。
だが、それは正しいことなのか? 彼らのように、愛し切ることのできない不完全な自分を棚に上げて甘える方が正しいのか?
正しいことが知りたい。だが、どんな主張も的外れに思える。自分の考えさえもだ。本当に正しいものなど、この世にあるのだろうか。あったとしても、誰が求めるのだろう。
こうしてぼくが止めどもない悩みに埋もれていたとき、フランスでは第三身分という名の市民たちによる盛大な誓い(テニスコートの誓い)が立てられていたことを、あとで学友アヴェルドンクから知らされた。
個人はどうあれ、時代は革命に向けてまっしぐらだったのだ。
【参考文献】
★『ベートーヴェン』(上)(下)
メイナード・ソロモン著 徳丸吉彦、勝村仁子訳(岩波書店)
★『ベートーヴェンの生涯』(上)(下)セイヤー著 大築邦雄訳(音楽之友社)
★『ベートーヴェンの生涯』青木やよひ著(平凡社)
★『ベートーヴェン 生涯篇』属啓成著(音楽之友社)
★『ベートーヴェン書簡選集』小松雄一郎訳(音楽之友社)
★『ベートーヴェンの虚像をはぐ』武川寛海著(音楽之友社)
★『古代の宇宙論』
C・ブラッカー、M・ローウェ編 矢島祐利、矢島文夫訳(海鳴社)
★『世界創造の神話』
M=L・フォン・フランツ著 富山太佳夫、富山芳子訳(人文書院)
★『ギリシアの神々』曽野綾子、田名部昭著(講談社)
★『ギリシア・ローマ神話事典』
マイケル・グラント、ジョン・ヘイゼル著
木宮直仁、西田実、入江和生、中道子、丹羽隆子訳(大修館書店)
★『プロメテウス―ギリシア人の解した人間存在』
カール・ケレーニイ著 辻村誠三訳(法政大学出版局)
★『作曲家別 名曲解説ライブラリー ベートーヴェン』(音楽之友社)
★『作曲家別 名曲解説ライブラリー ハイドン』(音楽之友社)
★『コンスタンツェ・モーツァルトの結婚―二度ともとても幸せでした―』
〈音楽選書65〉
ヴィゴー・ショークヴィスト著 高藤直樹訳(音楽之友社)
★『シカネーダー伝―『魔笛』を書いた興行師』原研二著(新潮社)
★『現代医学のみた大作曲家の生と死 ハイドン/モーツァルト』
アントン・ノイマイヤー著 礒山雅、大内典訳(東京書籍)
★『ハイドン(1970年)(永遠の音楽家16)』
ピエール・バルボー著 前田昭雄、山本顕一訳(白水社)
★『モーツァルト』メイナード・ソロモン著 石井宏訳(新書館)
★『比類なきモーツァルト』
ジャン=ヴィクトル・オカール著 武藤剛史訳(白水社)
★『ベートーヴェン事典』平野昭、土田英三郎、西原稔編著(東京書籍)
★『ベートーヴェン大事典』
バリー・クーパー著 平野昭、横原千史、西原稔訳(平凡社)
★『モーツァルト大事典』ロビンズ・ランドン監修 海老澤敏訳(平凡社)
★『ベートーヴェン全集』(講談社)




