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1-12.永遠の思慕

彼らの神々はどこにいるか、

彼らの頼みとした岩はどこにあるか。

彼らの犠牲のあぶらを食い、

灌祭(かんさい)の酒を飲んだ者はどこにいるか。

立ちあがってあなたがたを助けさせよ、

あなたがたを守らせよ。

今見よ、わたしこそは彼である。

わたしのほかに神はない。

わたしは殺し、また生かし、

傷つけ、またいやす。

わたしの手から救い出しうるものはない。

わたしは天にむかい手をあげて誓う、

わたしは永遠に生きる。


(申命記第三十二章より)

 一七九一年になった。

 春、暖かくなっていく季節にさえ折り合えず、相変わらずぼくは憂鬱に取り巻かれていた。

 いや、違う、憂鬱ではない。思い出だ。心から愛した人のことが、モーツァルトのことが頭から離れない。フランクフルト・アム・マインでの旅からこっち、なおいっそう思い出されて、それからというもの、彼女の記憶に胸が締め付けられている。

 彼女を失うと同時に自分までも失ったのは、意地でもプライドでもなく、弱さでも挫折でもなく、彼女を愛し過ぎたからだ。

 ぼくと同じようにかどうかは分からないが、やはり彼女を愛していたヨーゼフⅡ世は亡くなった。頼りにできる人がいなくなって、困ってはいないだろうか。()のコンスタンツェは彼女をちゃんと守ってくれているだろうか。

 もう彼女と出会ってから四年になる。あのとき、ぼくは恋に落ちて、疑いをかけたりかけられたりして、結局、彼女の苦しみにしかなれないからと、そこから去るしかなかった。

 だが、彼女のことをどんなに忘れようとしても、忘れられはしなかった。忘れるということは、ぼくにとってはまさに自殺することと同じだった。ああ、再びウィーンに行って、もう一度彼女に会いたい。またあの香りを直に感じたい。あの華奢な身体を抱き締めたい。

 この足で駆けていきたい。彼女のいる町に一歩でも近く。

 だが、彼女の心にそんな余地はありはしないだろう。あの『ドン・ジョヴァンニ』を聴いてしまったから、それが分かる。一年半前の秋、ぼくはこの地ボンでオーケストラの一員としてヴィオラを弾きながら、このオペラを聴いた。その長きに(わた)る彼女の美し過ぎる嘲笑(ちょうしょう)の声に、目を閉じていた。こんなふうに裏切るのが彼女のやり方なのだと、必死に自分を慰めながら。

 あれほどこんな台本には音楽をつけるなと言ったのに。彼女はぼくの言うことなど聞き入れはしなかった。彼女はどうしても自分の好き勝手に行くと言うのだ。

 だが、彼女はあのとき、あんなにも打ちひしがれていたではないか。最愛の父親を失いかけて、身も心もボロボロだった。誰かがそばについていてやらねばそのまま死んでしまいかねないほどに弱り切っていた。

 それなのに、蓋を開けてみれば、こんなことができるとは。うまい具合に引っかけられたとしか思えない。ぼくが失意のうちにのたうち回っている間に、あなたはこんなイタリア・オペラをさらっと書き上げてしまった。やっぱりあなたはすごい人だ。並の精神力じゃない。

 しかも、あなたの音楽というのは、なぜこうもあなたそのものなんだ。あなたの音楽が流れてくると、まるであなた自身がそこにいるかのように感じる。ああ、ぼくはあなたを心から愛していた。そして、今でもそうなのだ。あなたを失った今のぼくに何ができるだろう。あれから満ち足りた仲間たちの幻想に溺れながら、そのことを考え続けた。まだ考え続けている。正しい道を生きたいからだ。あなたを失った以上、もはやぼくには善しかすがるものがない。

 誰もいない。精神的な独り者同士として手を取り合った母はもういない。残った家族もぼくのことなど求めてはいない。彼らが求めているのはいい金づる。息子か兄という名の音楽屋でしかない。誰一人としてぼく自身を求めてはいない。ぼくの居場所はここにはない。ぼくでさえも長らくぼくを拒絶してきた。一人じゃないと思いたかった。思わせ振りの形式はあふれていた。ぼくも周囲と一緒になってぼく自身を殺害しようとしていたのだ。

 ここにはもういられない。定められている役割が、ぼくを殺そうとする、この場所には。

 かたくなに自分を守り始めると、アヴェルドンクを除いて、仲間たちは皆、ぼくから離れていった。ぼくはやっと本来の姿を取り戻せたというわけだ。

 やたらと敵の多い大学とは反対に、オーケストラの団員たちはぼくのことを過剰なほどに崇拝していた。ぼくがクラヴィーアでも弾くと、雑音一つ立てずに熱心に耳を傾ける。だが、そんなときも、ぼくは一人冷めていた。こんな音楽などなんにもならない。そのくせ、ぼくを粋がらせることだけはする。こんなものはいたずらに虚勢を(あお)るだけだ。モーツァルトの音楽とはわけが違う。ぼくにはまだ真実が見えない。音という衣装を着て、それをうまく隠し、さもそれが真実であるかのように、おもむろに人前で演奏しているが、本当はぼくに人前で弾く資格などないのだ。

 聴き手にぼくの音楽がどう響いているのかも分からない。今それを考えると、媚びが出てくる。自分をますます見失うだけだ。

 こんなものが真実を表すわけがない。

 奉仕というものを軽く考えていた頃は、ただぼくを求めてくれる人を救える自分でありたかった。だが、あやふやな真実でその場限りの慰めを与えても、それがなんになるだろう。そんな偽りの奉仕ならしない方がいい。それではいかさま教祖と同じだ。盲人を手引きする盲人にはなりたくない。


「困ったな。どうしよう」

 ブロイニング家に行くと、ワルトシュタインが頭を抱えていた。

「どうしたんだ?」

 ぼくが問うと、

「読書協会から舞台音楽の依頼がきたんだ。音楽だけじゃなく、振り付けもすべてやれと」

「ほう」

「上演はこの三月六日だ。そんなにすぐに書けるわけがない」

 彼は本当に困り果てているようだった。

 そこでぼくは、

「振り付けの方は手伝えないが、音楽なら……」

 と、つい言ってしまった。それで、『〈騎士バレエ〉のための音楽』を作曲することになってしまった。

「そうか。ありがたい! 読書協会と言っても、そんなに思想的な作品じゃない。気楽な歌なんだ」

 と彼は言った。これは、もしかすると、落ち込んでいるぼくを元気付けるために、彼、あるいは彼らがあえて作り出した演奏会なのかもしれないと感じた。だが、ぼくはその疑いの中で、またくだらない作品を生み出してしまった。

 

 三月六日のボン城レドゥーテンザールでの『〈騎士バレエ〉のための音楽』の初演には、行かなかった。こんな作品を自分で聴いて、どんな気分になるかは目に見えていたから。

 こんなことでは駄目だ。


「本気かい?」

 久々に赴いた大学で、久し振りに会ったアヴェルドンクがぼくに言う。

「ああ、本気だ。セヴェリン、今後は外で会おう」

 とぼくは彼に言い残して、それ以後、大学に行くことはなかった。そう、ぼくはこの日をもって、大学を退学したのだ。

 最後に、少しだけ本気で頑張ってみようと思った。作曲することをはじめ、音楽というものに努めることを。至らない革命思想などに振り回されることなく、自分が集中してどこまでできるかやってみたかった。


 それからは、ブロイニング夫人の提供してくれた空間で、本当にたくさんの曲を書いた。ヴァイオリン協奏曲、クラヴィーア三重奏曲、変奏曲、声楽など……数え切れないほど。それから、以前書きかけて失敗したクラヴィーア協奏曲ニ短調も書き直した。

 だが、真実など、どこにも在りはしない。ぼくはまだ何も(つか)んではいなかった。

 これらの中で、リギーニのアリエッタ『愛よ、来たれ』の主題による変奏曲は、すぐに出版の話が持ち上がった。マインツのショット社から、この夏に出ることになった。

「やったな、ルイ!」

 ワルトシュタインはぼくの肩を叩いてくる。ぼくはそれに反応できなかった。

「どうかしたのか?」

 彼は心配して問う。ぼくは戸惑っていた。心を決めてからというもの、ぼくは努力しているし、明らかに現実は動いているのに、少しも喜びがない。こんなに心を苦しめてまで決断したことなのに、漠然としか感じられない。今のぼくの限界がぼくに、もうそれ以上のことはするなと命じているかのようだ。

 

 一七九一年、夏。

 ぼくの気持ちなどお構いなしに、ぼくの変奏曲が出版された。ちょうどその頃、フランス国王一家がフランスから逃亡したというニュースが、全ヨーロッパを駆け抜けた。

 大学を退学しても、そうした話題は耳に入ってくる。これからまた一騒動ありそうだと人々は噂した。

 ぼくはぼくで、それどころではなかった。宮廷でオルガンを弾くだけの毎日だが、それさえも辛い状態だった。音楽に触れることで、魂が傷つく。本当は何もしたくないのだが、生活費のためにはそういうわけにもいかない。

 そんな個人的事情などそっちのけで、周りは動いていく。八月になると早々に、ぼくの入団している宮廷楽団に演奏旅行の話が飛び込んできた。ドイツ南部、メルゲントハイムへの一か月の旅だ。なんでもその町でドイツ騎士団の会議が開催されるとのこと。ぼくたちはそのために駆り出され演奏させられるのだ。これで九月十八日から十月二十日までの間は確実に拘束されることになる。

 しかも、その計画の中には、今さらながらぼくの『葬送カンタータ』を演奏できないかという話もあった。ぼくは考えたが、一度、自分でも聴いてみたいと思い、それを承諾した。それでその話はほとんど本決まりになり、メルゲントハイムに着くと、すぐに我々は音合わせに入った。一度は難し過ぎるということでお蔵入りになった曲だ。楽団のメンバーは苦しんでいたが、なんとか演奏できる形にまで持っていけた。

 聴いてみると、『戴冠式カンタータ』に負けず劣らず、なかなかよくできていた。これを聴くためにぼくはこの地にまで来たのかと思うほどだった。ぼくの中で、たとえかの人が『ドン・ジョヴァンニ』をかき鳴らしたとしても、ぼくはぼくだと言える作品ができるのではないか? 今は無理でも、いつかは。そんな希望すらも抱くことができた。

 しかし、楽士たちの要望でクラヴィーアを弾き出すと、ぼくの気持ちはまた暗く落ち込んでいくのだった。クラヴィーア演奏には、今のぼくの状態がそのまま出る。ぼくはクラヴィーアを自分の感情の道具にしているだけだった。

 モーツァルトはそうではなかった。一貫した美の方程式によって形作られたものでありながら、弾くたびに新しい世界を紡ぐ。彼女は真実どころか、真理を(つか)んでいた。

 ぼくには何も見えていない。ただ感情に任せてごまかしているだけだ。ぼくは詐欺師だ。人前で弾く資格などありはしない。

 ぼくはついに耐えられなくなって、演奏の途中でその場を立ち去った。


 外に出てみると、夏の緑が眩しい。

 マイン川を見渡すと、どこにもかしこにも大自然が広がっている。長い間、忘れていた。この見えない力の大きさを。ぼくを育んだのは、他の誰でもなく、この大自然だったのに。今はただ、何も思わず、目を閉じて感じよう。この偉大な力を。人間なんて、大自然に比べたら汚いだけだ。大自然だけが、真なる愛なのだ。


 この夜、ヴィルヘルミーネ・ヴェスターホルトの夢を見た。あの誰もが憧れる美しい少女の夢を。

 ぼくは彼女にメルゲントハイムの土産を渡した。旅の最中に見つけた小物を三つ並べて、

「どれがいい?」

 と尋ねた。それらの中の一つは、四角い小さな板に描かれた妖精の絵で、あとの二つは、絵の妖精と同じ形をした人形だった。ただし人形二体は、素材が違っていた。一つは金で、もう一つは木でできていた。

「好きなのを選んでいいよ」

 とぼくが言うと、彼女は迷いもせずに、絵を選んだ。

「これがいいわ」

「なぜ?」

 ぼくは聞いた。

「だって、かわいいでしょ」

「これらはかわいくないかい?」

 ぼくは人形二体をまじまじと見つめる。

「いいえ、とてもかわいいと思うわ。でも、それはわたしよりあなたに必要なものだと思ったのよ」

「ぼくに?」

「ええ」

 彼女は微笑む。

「でも、金より、木の人形の方が、あなたには似合ってるわ」

 と彼女は言った。

「木の人形を大切に……」

 と、そこで、目が覚めた。

 

 現実のぼくは、残念なことに土産を買う金などなく、手ぶらで帰った。

 しかしまっすぐにではない。旅の途中で先輩たちに連れられて、アシャッフェンブルクに立ち寄った。なんでもそこにはヨーロッパで有数のクラヴィーアの大演奏家がいるということで、彼らはどうしてもぼくを彼に会わせたいようだった。

 彼の名は、フランツ・クサヴァ・シュテルケルといった。彼はぼくの演奏をとても聴きたがった。ぼくは弾きたくはなかったのだが、決まりきった役割としていつものようにクラヴィーアを弾いた。リギーニのアリエッタ『愛よ、来たれ』の主題による変奏曲。彼は他の人間と同じようにぼくの演奏を大絶賛したが、もうこれで最後にしようと思った。なんのことはない。今、ぼくはただ何も見付けられずにいる自分への怒りをそのまま演奏に垂れ流した。指から噴き出すのは、自分と人間への嫌悪感、憎悪、ありとあらゆる悪いものばかり。それらが聴き手に投げ付けられていく。そしてまた、そうした一音一音が、モーツァルトを切り刻んでいるかのように感じられた。

 この音楽にそれほどの価値はないというのに。


 ボンに帰ってからは、ぼくはいっさいの鍵盤演奏を断った。

 楽団員たちは、その理由を聞きたがった。それでぼくが正直に答えると、

「なんだって?」

 と、彼らは驚きに目を丸くする。

「クラヴィーアをやめる? 君が?」

「ああ、もう人前では弾かない」

「冗談だろう?」

「いや、本当だ」

「まさか、音楽をやめる気なんじゃ……」

 彼らは不安げに問いかけてくる。

「ああ、そうだ」

 ぼくは、この際だからはっきりそう答えた。

「そんな……あなたは知らないんだ。あなたのクラヴィーア演奏がどんなに感動的か!」

 彼らはぼくを引き留めようとしたようだったが、ぼくの心はすでに決まっていた。的外れな努力をやめることに後悔はない。

 全体的な核心を見極めるためには、音楽から離れるしかないのだ。

 昔から思いつめていたこと。この世とはなんなのか。人間の存在する意味とはなんなのか。ぼくはそのために何ができるのか。

 もっと見晴らしのいい場所へ行って、もう一度考えてみたい。余計なものはいっさい持たず、布一枚だけを(まと)って、未開発地帯を旅するのだ。砂漠でも、ジャングルでもいい。そこでぼくはすべてと和解する。そして何かを(つか)むのだ。

【参考文献】


★『ベートーヴェン』(上)(下)

      メイナード・ソロモン著 徳丸吉彦、勝村仁子訳(岩波書店)

★『ベートーヴェンの生涯』(上)(下)セイヤー著 大築邦雄訳(音楽之友社)

★『ベートーヴェンの生涯』青木やよひ著(平凡社)

★『ベートーヴェン 生涯篇』属啓成著(音楽之友社)

★『ベートーヴェン書簡選集』小松雄一郎訳(音楽之友社)

★『ベートーヴェンの虚像をはぐ』武川寛海著(音楽之友社)

★『古代の宇宙論』

    C・ブラッカー、M・ローウェ編 矢島祐利、矢島文夫訳(海鳴社)

★『世界創造の神話』

    M=L・フォン・フランツ著 富山太佳夫、富山芳子訳(人文書院)

★『ギリシアの神々』曽野綾子、田名部昭著(講談社)

★『ギリシア・ローマ神話事典』

    マイケル・グラント、ジョン・ヘイゼル著 

     木宮直仁、西田実、入江和生、中道子、丹羽隆子訳(大修館書店)

★『プロメテウス―ギリシア人の解した人間存在』

         カール・ケレーニイ著 辻村誠三訳(法政大学出版局)

★『作曲家別 名曲解説ライブラリー ベートーヴェン』(音楽之友社)

★『作曲家別 名曲解説ライブラリー ハイドン』(音楽之友社)

★『コンスタンツェ・モーツァルトの結婚―二度ともとても幸せでした―』

                 〈音楽選書65〉

       ヴィゴー・ショークヴィスト著 高藤直樹訳(音楽之友社)

★『シカネーダー伝―『魔笛』を書いた興行師』原研二著(新潮社)

★『現代医学のみた大作曲家の生と死 ハイドン/モーツァルト』

       アントン・ノイマイヤー著 礒山雅、大内典訳(東京書籍)

★『ハイドン(1970年)(永遠の音楽家16)』

        ピエール・バルボー著 前田昭雄、山本顕一訳(白水社)

★『モーツァルト』メイナード・ソロモン著 石井宏訳(新書館)

★『比類なきモーツァルト』

        ジャン=ヴィクトル・オカール著 武藤剛史訳(白水社)

★『ベートーヴェン事典』平野昭、土田英三郎、西原稔編著(東京書籍)

★『ベートーヴェン大事典』

      バリー・クーパー著 平野昭、横原千史、西原稔訳(平凡社)

★『モーツァルト大事典』ロビンズ・ランドン監修 海老澤敏訳(平凡社)

★『ベートーヴェン全集』(講談社)

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